[東京国際芸術祭 公演初日通信]

今回は、コミュニケーション・プログラム『創作現場訪問』で、南半球の渦のリハーサルを見学した学生たちによるレポートをお届けいたします。

まさに、土田ワールド炸裂!と言った感じで満喫しました。冒頭からやられました、着ぐるみとは・・・。話の流れとか、キャラクター設定がうまいですね。簡潔で、分かりやすくて、しかし、どこにでもある戯曲という感じがない。僕は個人的にほのぼの系が好きなので、まさに土田さんの世界がお気に入りです。

しかし土田さんの戯曲はただ、ほのぼのだけでなく、僕らの生活に結びつく点が共感を生みます。僕自身、見ながら最後の方は近江谷太郎さん役と重なるかも!?!?って思ってしまいました。そっと自然に入れてくる何ともいえないメッセージ、それが心地よいです。見終わった後に、何かいい気持ちになれるのです。また、今日の話の舞台も何気ない空間ですよね。それをあそこまで面白く、かつ興味深く仕上げる力にはお見逸れいります。最後に満月・・・やられました。

谷口 浩成 東京農工大学大学院工学研究科博士後期課程3年

本日は貴重な時を過ごさせていただき、ありがとうございます。本番直前の緊張感の中、私は関係者と見学者ばかりの空間ある客席で、ゆったり『南半球の渦』に浸りました。客同士が密接に座っていなくても、着ぐるみ絡みのカワイクて妙な雰囲気や、神経質な男のいたたまれない寂しさ、滑稽さが劇場に充満する作品でした。終わった後、土田さんが「あそこの間は・・・」とダメ出ししている姿をちらりと見たりもして、舞台稽古訪問ならではの醍醐味を味わえました。

須田サワコ

無作法といわれる男を巡る不公平なコメディ、というチラシの言葉を馬鹿正直に受け取ってみる。無作法、不公平、非常識。このように羅列される形容は必然的に、作法、公平、常識、という言葉の内実を問う。

不良少年という死語は「良」な少年を問わずにはおかないのだ。それ以上に私たちは、不良や非常識という言葉によって、自分たちの立ち位置を無意識のうちに良=常識のなかに確保する。そう、無自覚な前提として、けれどひとたび良とか常識とかが問われてしまえば良=常識という公式のズレさえをも目撃せざる得ないような前提として。

劇中発せられる「ここ、どこ?」という質問は、私たちの立ち位置ではなく、同一視される良=常識のズレを問うている。登場人物たちはそのズレをどうやっても埋めることが出来ず、客席にいる私たちもまた、ズレつづけていく彼ら/私たちをどうすることも出来ない。どうすることも出来ない可笑しさゆえにこれは確かにコメディだ。

「無作法な」男たちは可笑しいのであって、可愛いのではない。汝彼らを愛す可し、ではなくて笑う可し。憎めないとか愛す可き、という言葉に逃げる必要などはないのだ。不当に愛を要求しないところに演出家の気概を見たように思う。それにしても、不当の「当」は良や常識よりも曖昧だ。無「自覚」に信じては、いけません。

石神夏希 慶應義塾大学美学美術史学専攻4年