東京国際芸術祭2004 10回記念ユーラシアフェスティバル
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Reviews Online -劇評通信-


スレイマン・アルバッサーム・シアターカンパニー『アル・ハムレット・サミット』

河野孝(演劇ジャーナリスト)

 ハード(硬質)でありながら詩的、風刺のスパイスもアラブ料理のようにたっぷりきかせている。1時間半の凝縮された舞台から、今まさに激動している中東世界のうねりを生々しく直接体験できた感触が、観劇後に残った。
  ドイツのハイナー・ミュラーはシェイクスピアの「ハムレット」を基に「ハムレット/マシーン」を書いたが、この作品は「ハムレット」の劇構造がイスラム世界にも応用できることを示した。しかも、作者のスレイマン・アルバッサームは原作を単純になぞるのではなく、登場人物を因数分解する一方、湾岸戦争や「9.11テロ事件」、イラク戦争などの状況を受けて、その人間関係を新たにシャッフルしアラベスク模様の政治ドラマを描き出している。2002年の英国エジンバラ国際演劇祭でフリンジ・ファースト賞をとった際は英語上演だったが、今回は日本公演のためにアラビア語バージョンに作り直した。俳優陣もイラク、シリア、レバノン、サウジアラビア、英国と多国籍のキャストを組み心機一転の意気込みで臨んだ世界初演作品だ。アラブ世界でもこんな組み合わせが実現するのは珍しい。出来上がった舞台も、これをどこかのアラブの王政の国で上演したら、おそらく上演禁止の対象になりそうなスキャンダラスな内容を含んでいる。
  秘密警察を使い兄の先王を殺して王妃ガートルードと結婚、クウェートとおぼしき小王国を乗っ取ったクローディアスはオイルマネーを信奉する帝国主義者として登場する。それに対立する王子ハムレット。国境ではフォーティンブラス率いる敵国との緊張が高まり、国内でもクローディアスの専制政治に対する「解放軍」の反体制活動が活発だ。ほかに、ポローニアス、レアティーズ、オフィーリアが出てくるが、親友のホレーシオらは登場しない。原作と大きく異なるのは、ゲーテ作「ファウスト」の中のメフィストのような存在として登場してくる武器商人(英国人俳優が演じる)で、裏の世界で情報や軍資金を操作して影響力を行使している。
  舞台上には会議用デスクが6つセットされ、赤じゅうたんも敷かれてサミットのような国際会議が行われている雰囲気だ。小型カメラが登場人物たちの顔をリアルタイムで背後のスクリーンに大写しに映し出し、検閲、盗聴など監視社会を象徴させる。
  ハムレットの独白やオフィーリアと愛を語る場面などでは、オリエンタル風音楽(生演奏)も流され、情感を高める。もともと詩のために作られた言語ともいうべきアラビア語テクスト(主にフスハーと呼ばれる正則アラビア語)を使っているため、セリフが詩的に響く。また、オフィーリアと武器商人のやりとりの中で、オフィーリアが「爆弾(qunbula)」と言ったのに対し、武器商人が「キス(qubula)?」とまぜ返すところなど、言葉遊びもしている。礼拝時間を知らせるアザーンのように流されるコーランの章句でハムレットが母ガートルードを責めるのをやめるのも面白い着想である。
  この作品でのガートルードは男関係もいろいろありそうで、酔っ払っていたり、あまり道徳的人物ではない。オフィーリアも武器商人にレイプされて妊娠し、気がふれていく。石油を売って得られるお金を神のように敬うクローディアスは金権主義に徹する。全体として、皮肉にあふれた手つきで人物を造型している。
  演出の面白さとして、スクリーンを吊りもの代わりにうまく活用している。ある時は月夜の晩であったり、石油がチラチラと燃えていたり、戦車が侵攻してきたりと、演じられている場の条件設定をする。時には、俳優たちの背後での演技を影絵のように映し出す。ハムレット追放でロンドンに送り出す時のパーティーで、ハムレットがトロイの木馬を擬した馬の人形にまたがって出てくるのが、「ハムレット」の中の劇中劇に相当する。この場面は笑えるところだ。
  皇太子で人民解放戦線の指導者となったハムレット。この地域で戦闘が始まろうという時、国連の代表団が、平和維持軍を派遣し党派間の不和を討議するため中立的立場にある政治指導者の調停の下、サミットを組織すると通告してくる。しかし、ハムレットは「国連は殺戮を犯し、殺戮者を許す武器だ」と拒否。この結果、泥沼の戦争状態に突入する中でクローディアス、ガートルード、ハムレット、レアティーズら全員が死んでいく。ハムレットの最後の言葉は、「真実を認識しても手遅れだ。地獄だ」。この後、最終場で例によってフォーティンブラスの登場。作者は国名を明示していないが、イスラエルを暗示しているのが明らかに読みとれる。その横に武器商人が現れて二人がたたずむ姿は、現代世界を支配する国際政治力学へのプロテストなのだろうか。
  最後に作者で演出家であるアルバッサームに触れておく必要がある。クウェート人の父とイギリス人の母の間にクウェートで生まれ、中等教育以上を英国で受けた。このためだろうか、作品にはアラブと西欧の二つのアイデンティティーを持った生い立ちが色濃く反映されている。エジンバラ大学を出てロンドンのヤング・ビック、ゲートシアターなどでアシスタントディレクターとして経験を積み、1996年に劇団ザウム(主張)を旗揚げした。現在はクウェートに重点を移して、スレイマン・アルバッサーム・シアターを開設、積極的な演劇活動を展開している。

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