東京国際芸術祭2004 10回記念ユーラシアフェスティバル
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Reviews Online -劇評通信-


アルカサバ・シアター『アライブ・フロム・パレスチナ −占領下の物語−』

河野孝(演劇ジャーナリスト)

 エジプトのカイロでかつて新聞社の特派員として活動していた時、この作品の舞台となっているパレスチナにも何度か行った。ちょうど第一次インティファーダ(民衆蜂起)が起きたころだ。当時の経験からしても、通信社などがイスラエルの支配下にあるパレスチナ人の犠牲者をニュースで流す際、「死者何人、負傷者何人」とまるで交通事故の死傷者のように数字として扱うことが確かに多かった。それは、イラン・イラク戦争もそうであり、湾岸戦争や今度のイラク戦争についてもしかりで、そこに住んでいる人たちの人間の顔はほとんど出てこない。だからこそ、西岸のラマラ市を拠点とする劇団アルカサバ・シアターが上演する「アライブ・フロム・パレスチナ」(アラビア語タイトルが占領下の物語)は、「我々はニュースの上での数として扱われる犠牲者ではない。何よりも我々は人間であり、普通の生活を望んでいるのだ」と強く迫ってくる。
  うずたかく積まれた新聞紙の山が四つ。エリック・サティのピアノ曲が物憂く流れる中、その山をかき分けて人間たちが忽然と姿を現す。地の底から死者がよみがえってきたようだ。一同は整列し右手を挙げ、宙づりされている黒い人形を神のようにあがめる。、それはパレスチナの事件を報道する国際メディアの象徴なのだという。この後、人々は正面を向いて両腕をゆったりと大きく揺すぶりながら、大またに歩き出す格好をする。
  その一団の中から青年が「私は子供のころからずっと、歩くことが好きだった」と客席に向け語り始める。彼は教育を受けられない子供たちの面倒をみていて、子供たちにアラビア語を教える。
  「シャッラドゥーナー(彼らは私たちを追い払った)」という言葉を選び、「SH(シーン)というアルファベットで始まる単語をあげてごらん」と青年はたずねる。
  「シャロン(イスラエルの首相)」「シャアブ(人民)」「シャヒード(犠牲者)」
  「D(ダール)で始まる言葉は?」
  「ダムダム(弾丸の炸裂音)」「ドシュカ(機関銃)」「ダッバーバ(戦車)」
  青年はまたイスラム教がアラビア半島を支配する前のジャーヒリーヤ時代の詩を教える。
  「石持てわれに続け そして投げるのだ。アンダレーナのすべての石を投げよ」
すると子供たちは「いや、『我らの地のすべての石を投げろ』だよ」とやり返す。
パレスチナ人民の抵抗運動、インティファーダはイスラエル兵に石を投げることから始まった。石投げは民衆蜂起のシンボルなのだ。
  青年の「N(ヌーン)は?」という問に子供が「ナクバ(パレスチナの大災難)」と答える。その瞬間、一同が凍りついた後、皆しらけて家に帰り始める。
  アルカサバ・シアターの芸術監督、ジョージ・イブラヒム氏は1970年、東エルサレムに劇場を開設、2000年6月に西岸のラマラに拠点を移して劇場をオープンした。その3カ月後に、シャロン・イスラエル首相が東エルサレムのイスラム教聖地アルアクサー・モスクを訪問したことが引き金となり、パレスチナ全土で第二次インティファーダが再燃した。劇場は民衆に連帯するためイスラム暦の週末にあたる毎木曜、「演劇の夕べ」を催し、俳優がそれぞれの体験に基づいてパレスチナの民衆が迫害を受ける様子を即興で物語に作り、九カ月間続けた。それらの短い作品の中から、新聞はパレスチナ人を数字としてしか扱っていないというコンセプトで選び出し、一つの作品に仕上げたのが、「占領下の物語」だ。この作品はまさにインティファーダを母胎として生まれてきた。
  上演時間約70分の「アライブ・フロム・パレスチナ」は、十九のエピソードで構成されている。冒頭、青年が登場する「家路」に続き、爆撃で死んだ息子の遺品に語りかける父親、イスラエルの戦闘機に狙われた若者、難民キャンプのブリキの掘っ立て小屋に住んでブリキがきらいになった男、自分の死にざまを振り返る男など、悲しみを切々と独白で語りかける。彼らが望んでいるのは、普通の人間らしい生活なのだ。
  中には、どたばた喜劇のように演じる優雅な海外旅行を夢見るスーツケース、ロンドンの息子との国際電話など笑いを誘う場面もいくつかはさんでいる。夕食のデートを楽しむレストランの恋人たちの場面も面白い。二人がプレゼントとして交換するのは銃弾と催涙弾なのだ。女は男がほかの女性を連れて劇場に行ったことにやきもちをあらわにし、男を問いつめる。男は妹のような存在の近所の女の子と言ってシラをきるが、痴話げんかが始まる。
  使われている言葉は、クウェートの「アル・ハムレット・サミット」が標準アラビア語だったのに対し、パレスチナ地方の口語方言を話しており、テンポも速くくだけた感じがする。ロシアのアネクドートのように、アラブ世界の人々は「ヌクタ」と呼ばれる風刺がきいた小噺が伝統的に大好きだ。今回の寸劇のようなシーンの多くには、「ノクタ」のスピリットが反映され、日本の漫才のような笑い話を作っている。
  平和が来たらハリウッドに行って映画スターになりたいと夢見る男が、エルサレムでのイスラエル兵と民衆の衝突を映画のロケと勘違いするのも、滑稽で皮肉な話だ。また、チェックポイント(検問所)を男女がきりぬけようという場面では、女がラマラからエルサレムに行くのに東京経由で行こうと言い出す(今回は東京だが、場所は公演する国によって変わる)。それを受けて、南米経由、アフリカ経由と場所が発展していくのだが、「イラクへ」という個所では「イラクは、今はとても熱いぞ」と言い返し、現在、自衛隊のイラク派遣でも揺れているイラク情勢を否応なしに想起させる。
  最終場面で「誰かが死ぬ。いつものことよ」と女性が話し出す。「四人の市民が犠牲になり、二百人が負傷、4対0」「3人が殉死。ガザ地区と西岸での砲撃は続いている」などと伝える新聞記事を次々と読み上げていく。ついに女性がたまりかねて「こんなの普通じゃない。絶対に普通じゃない」と叫ぶと、皆一斉に新聞を放り投げて新聞の山を崩す。すると、銃撃音が鳴り響く。人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ、まき散らされた新聞の中にうずくまるように倒れこむ。照明が落ち、新聞の中から両腕がゆっくりと上に向け差し出され、あえぐように両手を揺すぶらせる。そこに我々は、声とはならぬ沈黙の叫びをどう聞き取ればよいのか。パレスチナでは「非日常」が「日常」になっているのだ。
 
  ☆☆☆

  以下は、横道にそれるが、関係者から聞いたこぼれ話を紹介する。
1) 今回の舞台で使用した新聞は、アラビア語の新聞で、全部で80キロ。大きな段ボール箱で5箱分になった。かなり前から在東京のエジプト、クウェート、サウジアラビアなどの大使館に協力をお願いして調達したものだという。
2) レストランの恋人たちの場面で、プレゼントに使われる銃弾と催涙弾は日本製。というのも、劇団の一行がテルアビブ空港を出る時、荷物検査で小道具がひっかかってしまった。小道具担当のムアッズさんが、イスラエルの係官に本物ではなく、芝居に使う木製とプラスチック製の模造品であると申告するのを忘れてしまったため、検査にあたったイスラエルの係員が本物と思って直ちに空港を閉鎖、ムアッズさんもテロリストとして4人の警備員に取り押さえられてしまった。その後、事実が判明したが、小道具は没収されてしまった。テルアビブ空港の警備の厳しさは世界でもピカ一。このため、日本で銃弾は木を削って作り、催涙弾は徳利(とっくり)にコルクを詰めて作ったとか。見ていた我々はいっぱい喰わされた、か、いっぱい呑まされた?
3) アルカサバ・シアターの次の作品として、イブラヒム氏は「イスラエル当局が逮捕したパレスチナ人が刑務所の中でどういう生活をしているかを題材にしたい」という構想を抱いており、来年4月ごろ上演できればと述べている。

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