東京国際芸術祭2004 10回記念ユーラシアフェスティバル
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Reviews Online -劇評通信-


毛皮族『DEEPキリスト狂』

坪池栄子((株)文化科学研究所 研究プロデューサー)

毛皮族「雑感」

  3月4日、東京国際芸術祭に参加している毛皮族の初日を見た。第11回公演「DEEPキリスト狂」である。下北沢駅前劇場での約1カ月公演だ。

  しかし──痛々しいほど間に合っていなかった。開演は遅れる、舞台監督(?)は横切る、役者が幕内を覗いて転換を確認する・・・。これだけ間に合っていないと、きっともっととんでもないところが間に合っていないに違いない。それでもマリリン・モンローもどきの金髪娘・町田マリーが自分の役について説明しながら、色っぽい身体を張ってオチをつくり、幕を下ろしたとき、自らを見せ物にする“晒し者魂”が毛皮族なのだから、これはこれでいいじゃないか、とレポートを書くことにした。

  私がはじめて毛皮族を見たのは昨年の7月。同じく駅前劇場で行われた「夢中にさせて」である。立教大学演劇サークルを母体に劇団を旗揚げしたのが2000年、主宰の江本純子が78年生まれだから、小劇場の世代で言うと第5世代のカンパニーということになる。

  男装の麗人・江本純子(通称エモジュン。歌手の時にはジュンリーと名乗る。毛皮族の作・演出家)、お色気キャラの町田マリーや澤田郁子(拙者ムニエルからの客演)、男っぽいおばさんキャラの柿丸美智恵。そこにシロウト丸出しの若手が絡む。ミラーボールあり、歌あり、踊りあり、トップレスあり、下ネタありの宝塚的エロバラエティといった感じ。今回の「DEEPキリスト狂」でも、基本は同じだ。

  毛皮族の面白さのひとつは、エモジュンの身体に埋め込まれている“欺瞞バロメーター”にある。それは多分、エモジュンのおっぱいの先にでもぶら下がっているのだと思うが、欺瞞バロメーターが振れれば、芸能界ネタから国際情勢、もちろん自分たちの芝居まで、何でもエロバラの餌食(ターゲット)にしてしまう。ちなみに、今回のターゲットはマイケル・ジャクソンだった。

  タブーでもなく、消費感や喪失感や遊戯感でもなく、自閉感や自暴自棄感や演技的快楽でもなく、欺瞞感──思えば、これほど今の社会状況を的確にいいあてている言葉はない。「オレオレ詐欺」に「架空請求書」、年金論議にイラク問題、情報化社会でたくさんの情報にさらされながらも、常にだまされている感で一杯になっている時代の気分。エモジュンの演劇的な身体の感受性は、この欺瞞感にほかならない。
 
  そして、これをひっくり返すには身体を張るしかないことを、彼女たちは生理的に知っているのだと思う。中村うさぎがコンプレックスをありとあらゆる実践で飯の種にしてはじめて開き直れる(克服できる)ように、世の欺瞞の種をおっぱい丸出しで演じることで厄払いしているような──健気なエロバラなのである。

  毛皮族のもうひとつの魅力が、本物の毛皮ではなく、フェイクファー的な虚実が往復する世界観だ。例えば、江本純子作詞の主題歌。ナンセンスな言葉の羅列で、これが世の中の正体だ、毛皮の正体だ、と啖呵を切っているかのようだ。みんな偽物、でもこれが現実、だから目張りをすればみんな美人、でもみんな偽物──どこまで行ってもロマンに向かわないらせんの現実感。このフェイクファー的な世界観で観客を挑発する感じは、どこか懐かしいものだった。

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