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コミュニケーション・プログラム

 


チュニジア滞在記 
瀬崎 珠希 (東京大学教養学部超域文化科学科4年)


私がチュニジアを始めて訪れたのはカイロ留学中、せっかくアフリカまで来たのだから近所の国を旅行したいなぁと思ったものの、東ではイラク戦争、南のスーダンも内戦で、じゃあ西は?と思ってモロッコとチュニジア行きのチケット買ったとたん、モロッコでテロが起きたので運命的にチュニジア行くことになったのです。今度は何も起こりませんように!と願いながら。その後すっかりその美しさと明るさに魅了されて次の年の夏に留学をしました。

ブルギバ元大統領とフランス
空港から降りて、適当にバスに乗り、とにかく中心地にむかった所、大通りのハビブブルギバ通りに到着。大統領の名前がつけられたそこはまさに目抜き通り。共和国の初代大統領の存在感はほんとにあちこちで感じて、ふと入ったサンドウィッチ屋さんの壁にも彼の写真、お邪魔した友達のうちにも彼の写真、そして私が通った学校も、ブルギバ学校と名づけられていました。その通りはまるでパリのシャンゼリゼを平坦にしたみたいで、70年以上続いたフランス統治時代の名残が色濃く残っています。例えば、必ず毎食お目にかかるのがフランスパン。50cmほどのパンは町のあちこちで売られていて、値段も政府が補助金を出しているから特に安くて70円くらい。そして、外国人を見ると人懐っこく話しかけてくるその言葉はアラビア語ではなくフランス語。彼らは両方の言葉を不自由なく、時々ごちゃ混ぜに使いこなします。表示も必ず2言語で書いてあるので、フランス語がわかる人には不自由しない国ですが、私はカイロアラビア語を話すため、エジプトのテレビを見ている彼らは理解してくれても彼らのマグリブアラビア語を理解するのにかなり苦労しました。

長距離バス
 さて、私はたびたび首都チュニス以外にも南の砂漠地域に旅行に行きましたが、その度にのるバスが少し不思議で、座席に座ってふと隣を見ても、一度として隣に人がきちんと座っていることがない。つまり、座席がなぜか少し前後にずれているのです。その理由はいたく単純で、バスの座席をつけると気に、前から適当にねじでくっつけていくために、前後の間隔がばらばらで、隣とももちろん合わなくなってしまうのだそう。だからそれを良く知っているチュニジア人達は我先にバスに乗って間隔の広い座席をゲットするのでした。

チュニスと地方都市
女性を観察していると、首都チュニスと地方都市ではかなりの服装や結婚に対する考え方が異なるのを感じます。首都ではイスラム圏にきたと感じないくらいタンクトップやミニスカートで観光客と見まがうかの女の子達が男の子と混じってカフェに座っていたり、歩いていたりするのを見かけますが、地方に行くと、長袖で長ズボン、頭にはスカーフを巻いて歩いている人が殆どで、結婚する年齢も5,6歳は若いとききました。結婚衣裳も砂漠のほうではまだ民族衣装をきるようで、赤に黄色に刺繍が華やかでした。この写真はジェルバ島という島でよく見かける民族衣装。高齢の女性達が身につけています。


サッカーとチュニス
世界中いろいろなところで子供達がサッカーをしている姿を見かけますが、チュニジアも例外でなく、いやむしろワールドカップでチュニジアチームも善戦しているのでむしろ強いからか、子供達が空き地の壁にチョークでゴールの絵を書き、ボールをはだしでけっている姿をよく見かけました。特に、チュニスの霞ヶ関、つまり国会や大統領宅がある広場の前で地面が斜めであるにも関わらず(!)サッカーをする子供達の姿は印象的でした。

チュニスのお酒
チュニジアはかなりイスラム色が薄いとはいえ、お酒はやはり公然と飲むものではない、という認識はあるようです。とはいえ国産のセルティァビールはスーパーで売られているし、ワインも造られているのですが。ある日、南部のオアシス都市に行ったときのこと、観光客相手に街の案内をしているという自称町長さんが、こっそりと私と友人に「お酒飲むか?」と聞いてきました。地方だったのでちょっとびっくりしましたが、どんなお酒が出てくるのか興味深かったので彼が持ってくるのをまっていました。そうすると、ペットポトルに入れて新聞紙にくるんだ白くにごった液体を持ってきて、ニオイを嗅がせてくれました。なるほどつんとしてアルコールのような匂いがしました。流石に2?は多い!と思いましたが200円ほどを払って、ホテルに戻り、飲んでみると少し甘いが独特の味がするお酒でした。

 さて、翌日、この地方で朝早くしか手に入らない、というラーグミーというジュースがある、という噂を聞きつけ早く起きて市場を散策し始めました。そのジュースはナツメヤシから取るジュースで、毎朝絞ったものを市場で売り、冷蔵庫がないため売り切ってしまえば終わりというフレッシュなもの。市場の入り口に、小さな壷を前に座るおじさんがいたので之だ!と思い、聞いてみたらやはりそう。取れたては冷たく、甘いが少しつんとする初めての味で、私の友人はいたく感激し、是非ともチュニスにいる学校の友達に飲ませてあげたいと勇んで水のペットボトルを空けてそこに入れてもらったのでした。
 さて、その帰り道、ふたから液がもれて滴る前日のアルコールの入ったペットボトルとフレッシュなラーグミーのボトルをもって帰ったわけですが、なんだかラーグミーの色が変わりペットボトルが膨れてきたなぁと思いつつ、皆とともに、そのふたを開けてみるとポンッと軽く爆発し、一気にアルコールの匂いが、、、いやな予感がして飲んでみるとあのお酒の味がするではありませんか!なるほど、とも思いましたがあのお酒は単にナツメヤシのジュースが発酵したものでした。そしてラーグミーはやっぱり幻のジュースなのでした。南に旅行されるかたは是非お試しを。

ハマメットでの結婚式
学校の友達のクラスメイトのハンガリー人がチュニジア人男性と結婚し、その式があるということで、ハマメットまで出かけました。楽団を招いてスピーカーでその演奏を流し、沢山の親戚や友人達が集まり食事をして次の日の朝まで踊り祝う、というスタイルは私がカイロにいたときと同じで、近所の人も通りがかりに覗きながら皆でお祝いするのは式場で格式ばった結婚式よりいいなぁと個人的には思いました。チュニジアではかなり国際結婚が日常的になっていると聞きます。特にイスラム教徒の男性が外国人女性と結婚するほうがその逆より簡単なため、そちらのほうが多いですが。

国際文化センター
ハマメットで安いホテルを探していてたまたま知り合ったタクシーの運転手の知り合いの貸し部屋。夜暗くてどこに案内されたか定かではなかったのですが、次の日もしや、と思ったら国際文化センターの真横でした。そこは地球の歩き方に「フランク・ロイド・ライトに『世界でもっとも美しい家』と絶賛された」と書いてあり行きたいけど地図もないから行けないかもしれないと思っていたところでした。その貸部屋は夏にヨーロッパ人が月単位で借りるキッチン着きの部屋らしく、私たちはとてもラッキーだったと思います。そしてその国際文化センターはもともとルーマニア人大富豪の別荘で、ローマ風呂のついたホテルや絵画を展示するスペース、プール付の建物にローマ時代の円形劇場のようなところもあり、そこは毎年夏に国際文化フェスティバルが催されるのですが、海を見渡しながら演劇や映画を見る、というなんとも贅沢な場所なのでした。そこで小道をずっとたどっていくと、少しかがんで進むくらいのアーチ状の小道に差し掛かり、そこを100メートルほど進むと鉄の格子扉がありその向こうにはプライベートビーチが広がっていました。その贅沢な空間の使い方には本当に参ったとしか言いようがなく、是非ともハマメットに行ったさいは寄られることをお勧めします。



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