東京国際芸術祭2004 10回記念ユーラシアフェスティバル
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Reviews Online -劇評通信-


アイホール Take a chance project 共同製作作品 山下残ダンス公演『透明人間』

堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「ダンスが生まれる瞬間(とき)」

●コンテンポラリーダンスは“何でもアリ”か?

  山下残とは何者であるのか? 彼の表現ははたして“ダンス”なのか?
  昨今、日本のコンテンポラリーダンスは“何でもアリ”だと言われている。子供の頃からバレエやモダンダンスを習い踊ってきたようなダンス・プロパーなダンサーたちよりも、むしろ成人後に、他の様々なジャンルから参入してきては、それぞれ独自にユニークな表現を獲得しているアーティストたちの方が、より注目され、評価されている。演劇、舞踏、お笑い、パントマイム、シルク(サーカス)、ストリートダンスやショーダンス、音楽、メディアアートなど、多様な価値観とスタイルが渦巻く状況にあって、あえて“コンテンポラリーダンス”を定義しようとする時、避けて通れないのが山下残の存在ではないだろうか。彼の作品を、どのような視点からどう位置づけるかによって、コンテンポラリーダンスの概念、いや“ダンス”という概念そのものが問い直されると言っても過言ではないからだ。それほどエッジな場所に“残という名の男”はいる。だが、その話を進める前に、少しだけアート界の事例を紹介して、理解の補助線を引きたいと思う。

  5年ほど前、『なぜ、これがアートなの?』と題する展覧会が開催されたことがある(※1)。美術館の現場で長年教育プログラムに携わり、多くの人々に「アート」を伝えてきた前ニューヨーク近代美術館教育担当アメリア・アレナスが基本構成を手掛け、好評を博した企画展だ。それは、美術史の流れや学識といった、すでに確立された価値体系に基づいた展示の仕方ではなく、美術作品を前にした時に誰もが共有する具体的な色や形や対象などといった諸要素を5つのセクションに分けて展示したもので、鑑賞者は「今、自分が何を目にしているのか」「その事実をどのように感じているのか」など、自分の気持ちや思考の流れを辿りながら、“鑑賞する”という行為のプロセスを検証し体験する、いわば展覧会形式による鑑賞ワークショップのような趣向であった。

  通常、展覧会で美術作品を鑑賞する際には、作品名や作家名などが書かれたプレート(キャプション)を拠り処に、会場を巡って行く。だが、この展覧会では、そうしたプレートの掲示がない状態で、展示作品とストレートに向かい合わなくてはならないのである。展覧会のタイトルともなった「なぜ、これがアートなの?」は、アレナスの同名の著書(※2)から採られたものだが、その言葉どおり、鑑賞者は自分自身で主体的に「アートとは何か?」を常に考えざるを得なくなる。こうしてこの企画展は、単にアートの普及・拡大を計ることに成功したばかりでなく、一見難解に思われている現代アートの見方や付き合い方を実践的に学びとる場ともなったのだった。


●なぜ、これがダンスなの?

  さて、現在日本の「コンテンポラリーダンス」と呼ばれているフィールドでは、多種多様な表現が“ダンス”として認識され、流通している。「なぜ、これがダンスなの?」という形容が相応しいものもいくつかあるが、山下残が創り出すパフォーマンスは、その恰好の例と言っていいだろう。

  山下残は、1970年大阪に生まれた。89年よりダンスを学び、関西を拠点に活動を開始。そして、94年に発表した『詩の朗読』で一躍注目されることとなった。この作品では、10数人のメンバーがテーブルを囲んで話をし、お茶を飲み、本を読み、煙草を吸うなどの動作を行う。だが、それらは稽古の時に“素”の状態で自然になされた日常会話や仕草であり、それをセリフや振りとして採取し、構成・再現したものを、舞台に乗せたのだった。出演者が自分自身を演じる事を目的とした作品であり、普段何気なく交わしている言葉や行為を意識化して再現することも、“実はダンスなのではないか?”と問題提議をしたわけである。そしてこれ以降、山下はダンスの既成概念を問い直すように、コンセプチュアルな作品を次々と発表する(※3)。中でもここ数年、特にスタイルとして定着してきているのが、言葉(テキスト)とダンス(動き)の関連性を捉えた作品づくりである。今回再演された『透明人間』(※4)でも、舞台上でダンサーたちが展開するダンスを、振付家である山下本人が言葉で同時通訳するような作品となっていた。


●言葉を媒介にダンスの面白さを伝える

  そもそも山下が、ダンスと言葉を対置させる作品づくりをするようになったのは、美術の展覧会などでの鑑賞の仕方に強い関心を抱いたからだという。通常の展覧会では、展示作品にクレジットが付され、鑑賞する際には作家名や作品タイトルを確認した後に、展示作品を眺めるのが一般的である。こうした鑑賞の仕方を、ダンスに応用したというわけだ。もうお気付きだろうが、これは先述した展覧会『なぜ、これがアートなの?』とは、まったく逆に発想である。

  『なぜ、これがアートなの?』展では、既成概念や既存の価値体系から解放されて、自由にアートを鑑賞するためにキャプションを外し、鑑賞者が主体的に作品と向かい合うことを企図した。だが、ダンスではほとんどの場合、最初から言葉による意味づけなどはなされない。「言葉の意味や理屈に収斂されないがゆえに、より深く崇高な表現が可能なのだ」というのが、ダンス評論家や愛好者の大義名分であり、アーティストの中にも「観客が自由に見て、自由に感じてもらえればいい」というスタンスでいる人が多い。だが実際、ダンスになじみのない者やビギナーにとっては、言葉による説明がなん分、かえってどのような見方をすればいいのか、あるいは、どう楽しんでいいのかがわからずに、戸惑うことも少なくない。

  こうしたダンスと観客との関係性に着目した山下のダンスは、かなり戦略性に秀でた表現と言わざるを得ない。同時に、言葉を媒介とするダンス、あるいは言葉と拮抗させるダンスは、ダンスの既成概念と真っ向から対立することにもなる。山下は「なぜ、これがダンスじゃいけないの?」という挑戦状を常に突き付けながら、ダンスを観ることの楽しみや面白さを、丸ごと提示しようとしているのではないだろうか。


●『透明人間』のグルーヴ感

  さて、肝心の『透明人間』再演版についてだが、これは山下が続けてきた試みの中でも、かなり完成度の高い形でまとまった作品という印象だった。山下が発する言葉とダンサーたちの動きの相乗効果により、常にダンスが発生する瞬間に立ち会っているような驚きと発見の連続であったからだ。読み上げられるテキスト自体は、基本的に人の動作を即物的に描写する平易なものである。だが、そこから派生してイメージを飛躍させたり、あるいは動作を他のものに見立てたり、置き換えたりしていく。「酔っぱらって足を引きずっている。」「ひじで骨盤を押す。」といった日常的にありえそうな言葉のままに動いてみせるものもあれば、例えば、鎌首をもたげたコブラのように手首を直角に曲げ頭上に突き立てて「キリンがダンスをしている。」とする時もある。「座布団を引っぱられる。」(=正座していたダンサーが跳んで脚を投げ出す)、「尾底骨がはねる。」(=尻から突き上げられるようにジャンプする)、「アレーと着物を脱がされる。」(=時代劇の悪代官が町娘を手篭めにしようとするシーンのように芋虫ゴロゴロ状態で床を転がる)などのコミカルな運動、そして、その延長にリアリズムでは到底あり得ないような意味内容を読み上げては、半ば強引にダンスと対峙させていく。この言葉とダンスのミスマッチが可笑しい。「顔が三つある。」では、首の運動により頭を高速に左右へ倒し、残像現象で顔を三つに見せようとする(ていうか土台無理でしょ、そんなこと!)。かと思えば、舞台の対角線上を跨いで立ち、おもむろに膝をゆるめて前屈し、両腕で円を作って「東北東の方角にのびる太くて長い巻寿司に両腕でかぶりついている。」(そんなにデッカい巻き寿司なのかよ!)。

  速射砲のように次々と読み上げる山下のテキストと、一心不乱に繰り広げられるダンサーたちのムーブメントを目と耳で追いながら、観客の意識は絶え間ない往還を強いられる。そうして視覚と聴覚を総動員させて没頭するうち、そこにはあたかも、かつて古舘伊知郎がテレビで実況中継をしていたプロレス番組を観ているようなグルーヴ感が生じる。古舘が「オオッと出たぞォ、“歩く人間山脈”アンドレ・ザ・ジャイアントぉ〜!」と叫んだ時、誰しも「だって人間なんだから、そりゃ歩くでしょ!」などとツッコミを入れつつ、「でも、確かに大きな山がのしのし歩いて来るみたいでコワイね」と納得もし、終いには「負けるな、猪木! エンズイ切りぃ!!」と、いつのまにか興奮してしいた。山下もそれと同種の言語感覚で、言い得て妙、こじつけて笑の「詩のボクシング」ならぬ「言葉によるダンスの実況中継」を繰り広げるのだ。

  だが終盤、ダンサーの一人として参加していた滝本あきとのソロパートになると、単なる実況中継を超えて、世界の真理をイメージさせるような秀逸なシーン展開となった。このシーンは、以前の山下がキュレーターを務めた横浜STスポット「ラボ20」(※5)で滝本が発表したソロ作品『からだのからだ』(※6)をもとにしている。同じ立ち位置のまま、下半身はほとんど動かさず、主に両腕の動きだけで魅せる繊細にしてミニマムなダンスで、左腕を背中越しに、反対側の右腰あたりに回し、もう一方の右膝あたりをつかもうとする。これがなかなか捕まえられなかったり、時に二の腕をしっかり握ったりという動作を、ただ淡々と繰り返すのである。すると、右腕と左腕がまるでぞれぞれ独立した生き物のように見えてくるから不思議なのだ。滝本が「ラボ20」で上演した時は、無音の静謐な空気の中で、どこか異国の神聖な儀式か、あるいはジャングルの奥で営まれる昆虫たちの生の営みを鳥瞰するような詩情を湛えていた。それが、彼女のダンスに当てた山下の言葉を通すと、今度は全く違った壮大なイメージが広がったのだ。

「手のひらはひとつだった。それが右と左にわかれた。左は形を変えて離れていった。(中略)左はわずかに腰のあたりから右を眺めるだけだった。右の時代がやってきた。胴と肩を並べた。しかし左の逆襲が始まった。右にすがりついた。しかし右は左を振り切り全てを動かした。右が世界を支配した。再び右と左が戦争を始めた。右は左を振り切った。右は直接肌に触れる戦略をとった。しかし左は同じ失敗を繰り返さなかった。左も同じく肌に触れた。焦った右は腰まで行き左を同じようにおびきよせる戦略をとった。しかし左はそれには乗らず背後から待ち伏せして右が逃げようとするのを捕まえた。右は何度も振り切ったがついに力尽きた。手のひらはゆっくりと歩み寄りひとつになった。そして体から一番離れた所でふたつになった。」(公演で配布されたパンフレットより)

  滝本のソロに山下のテキストが合わさった時、六本木のど真ん中でたった2日間しか行われないダンス公演の舞台の上が、国家間の世界戦争の場と化したのだった。終演後、あるダンス批評家は「右翼と左翼の攻防史だと思った」と語っていた。


●ダンスの生まれる瞬間を提示する

  このように、実際には山下が独自に考えたテキストをもとにダンスを振り付けたシーンもあれば、滝本のソロパートのようにダンサーの動きに言葉を当てていくシーンもある。どちらにしても、本番では言葉とダンスの相乗効果によって、そこに新たな“ダンス”が生まれ、その瞬間を観客に提示することに成功した。そして、「言葉から動きを振り付けていく」「ダンスの動きを言葉に翻訳する」この作品は、間違いなくダンスの既成概念を問い直す意欲作となったのである。

  確かに既存のダンスでも、テキストとダンスが対応関係にある表現がなくはない。例えば、謡の文句に振りを当てる日本舞踊や、詩句を形象に置換するオイリュトミーなどがそれにあたる。ただ、それらは形式として確立されており、すでにつくられた振りを再現し、舞手の技量や芸の高進を鑑賞するものとなっている。そうした状況の下では、ダンスの善し悪しが特定の価値観に縛られるようになり、意に反してダンス自体が形骸化し、やがては既成概念のもと、そのダンスのどこが面白かったのかが不明になってしまう。『なぜ、それがアートなの?』展も、「なぜ、これがダンスなの?」と言われる現在のコンテンポラリーダンスも、その要点をしっかり見据えようとするものであり、またそうした姿勢そのものを作品として提示しえたものも、また“アート”であり、“ダンス”なのだという点で一致する。

  山下のダンスも、ダンサーのテクニックの向上や、作品の洗練を目指す他のダンスとは異なり、常に実験的でオルタナティブな表現を繰り返すことで、“ダンス”が生まれる瞬間に立ち会おうとする。言葉を用い、観客が“ダンス”と認識し共感できる時間を、そのまま提示しようとする。しかも、観客が親しみ楽しめる形で、である。そうして彼の繰り広げる表現が、“何でもアリ”だとして曖昧なまま、ただ漠然と受け流されてしまいかねないコンテンポラリーダンスの地平を照らし出し、その可能性と領域を指し示すものであることは、まず間違いないだろう。



註)
※1:展覧会『なぜ、これがアートなの?』は、水戸芸術館、川村記念美術館、 豊田市美術館と共同企画として開催され、1998年7月21日〜9月23日豊田市美術館、10月8日〜12月6日川村記念美術館、12月19日〜1999年3月22日水戸芸術館を巡回した。

※2:アメリア・アレナス著『なぜ、これがアートなの?』 (福のり子訳/川村記念美術館監修)は、淡交社より翻訳版が発行されている。また、ビデオ『なぜ、これがアートなの?』(アメリア・アレナス出演/川村記念美術館・豊田市美術館監修/株式会社ジャパンイメージコミュニケーションズ企画・製作著作/淡交社発売元)もある。

※3:山下が94年の『詩の朗読』以降に発表した主な作品は、以下のとおり。友達を集めた『ファミリー』(95年)、美術家かなもりゆうことの共作『マラカスをふりまわしたら歌ができた』(97年)、おもちゃ楽器のバンド演奏で踊る『空の音』(99年)、祖父が戦時中に旧満州国の図書館に勤務しながら子供向けに書いていた小説を読み踊る『想い出』(00年)、音楽家の野村誠との共演『足を喰う犬』(01年)、そして、観客全員に100ページの本を配り、カウントダウンに合わせてページをめくると舞台上のダンサーの動きが本の中の絵や物語や単語で表されている『そこに書いてある』(02年)など。

※4:『透明人間』は、2003年5月兵庫県の伊丹アイホールで初演された。初演では、読み上げられるテキストの中に、「透明人間」の物語として展開する部分があったため、それをタイトルとした。今回TIFユーラシア・フェスティバルでの再演版でこの部分はカットされたが、山下は、実際の舞台では朗読をする自分ではなくダンサーを見てほしいことや、テキストには主語が無いものの、文脈や状況から誰の動作か推量できる日本語の性質など、いろいろな含みもあると述べている。ちなみに初演版の約7割のテキストが、そのまま採用されたという。

※5:山下残がキューターを務めた横浜STスポット「ラボ20#14」は、2003年1月18日(土)と19日(日)に行われた。18日はオトギノマキコ、滝本あきと、竹部育美、塩澤典子の4組の女性応募者を、19日はIMY(岡啓輔・小川哲生)、初期型(カワムラアツノリ他)、金魚×10(鈴木ユキオ主宰)、武田信吾、山賀ざくろの男性を中心とする5組の応募者をピックアップし、「不思議少女大集合」「変なお兄ちゃんオンパレード」といった様相を呈していた。それほど両日とも、観る者にダンスの既成概念の再認識を迫るような、自由奔放で意表を突くアーティストがラインナップされていた。なお、この時の出場者の中から5組を選抜した関西公演「ラボ20 GO WEST! Vol.2」(出演:山下残/金魚×10/塩澤典子/初期型/滝本あきと/武田信吾)も、同年12/2(火)・3(水) 大阪アートシアターdbで行われている。

※6:滝本あきと『からだのからだ』は、2002年8月「アートマラソン」(@森下スタジオ)で初演され、翌年STスポットで再演された。シンプルで柔らかい動きの積み重ねで、腕そのものを擬人化させたような作品。観客の中には、アメリカのポストモダンダンスや、戦前のドイツ表現舞踊を思わせるという感想も多かった。滝本は1976年東京に生まれ、00年ニューヨーク市立ハンターカレッジのダンス学部を卒業。在学中から創作を始め、帰国後もソロやコラボレーションで作品制作を行っている。

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