東京国際芸術祭2004 10回記念ユーラシアフェスティバル
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Reviews Online -劇評通信-


フリンジ参加 Ort-d.d + こふく劇場『so bad year』

堤広志(演劇・舞踊ジャーナリスト)

「リージョナルシアター(地域劇団)のネクストステージ」


●戯曲の魅力を活かす演出家の手腕

  実を言うと、こふく劇場を主宰する永山智行(※1)の書いた『so bad year』が、2001年に第2回AAF戯曲賞(愛知県文化振興事業団主催)を受賞したと知った時、ある種の違和感を覚えた。というのも、受賞以前にこの作品が東京で初演された際(※2)の舞台の印象が、あまり芳しく思われなかったからである。戯曲の魅力と舞台上演の成果が必ずしも一致するものでないことはよく理解しているつもりだが、どう贔屓目に振り返ってみても、戯曲そのものの魅力が正直なところ、今一つピンとこなかったのだ。だから、今年のリージョナルシアターシリーズの中で、フリンジ参加とはいえ、同じ作品をOrt-d.d.の倉迫康史(※3)が独自の演出で上演すると知って、かなり興味をそそられた。

  「ささやきの演劇」(※4)を標榜する倉迫の活動は、演劇界でも知る人ぞ知ると言っていいかもしれない。一時は「東京では公演しない」と公言してみたり、あるいは「乞われればどこへでも出かけて行って公演できるレパートリーシステムが理想」と語ったこともあった。それゆえ、その活動は各地域の演劇フェスティバルでの招聘公演であったり、あるいは都心の自主企画公演でも、個人美術館やギャラリーを借りての小規模かつ短期間の公演である場合が多く、例えばエンターテインメント寄りの若手小劇団が、下北沢辺りの小劇場を借りて常打ち(特定の劇場で定期的に公演していくこと)するような在り方とは、まったく異なっている。また、オリジナル作品の上演ではなく、古典や近代古典、あるいは文学作品の舞台化を旨としていることもあってか、いわゆる「面白い若手劇団」としてメディアに取り上げられる機会も少なく、観客も限定され、ポピュラリティーを獲得するまでには至っていない。しかし、倉迫は若い世代の演出家にしては稀に見る論客であり、また、現在の日本の演劇界全体を見渡してみても、その確かな方法論と現場での実践を通して、着実に実績を積んできている期待の演出家の一人なのである。

  そして、今回の公演でもその期待が裏切られることはなかった。戯曲を尊重しながら、スタイリッシュかつ効果的な演出で作品を観客に提示してみせる倉迫の演出手腕が再確認できたことはもとより、私が当初抱いていた『so bad year』の戯曲としての評価に対する疑念を払拭し、逆に永山の劇作家としての才能と、本来この戯曲が持つ魅力や完成度を納得のいく形で知らしめてくれた。また、演出によって同じ戯曲がいかに違う見え方をするかという問題をも、あらためて実感させてくれる機会となったのである。


●結婚制度に疑問を投げかける戯曲

  舞台は、南の町から逃げてきた男(三村聡)と女(上元千春)が住む、北の町のとある一軒家の庭先。男は女の姉と結婚していたが、一年前に女と消息を絶ち、義兄妹で“夫婦のような”生活を静かに送っている。そこへ男の実の妹(あべゆう)が、兄を慕って訪問してくる。妹は“前のお姉さん”から住所を聞いて来たらしく、また一方では消印のない同窓会の案内ハガキが届いたりして、どうやら二人の所在は男の妻にバレているらしい。近所では長年連れ添った妻を老夫が殺害するという事件が起きており、町内を取材するテレビ局の報道カメラに女が映ってしまったことが原因なのか、家の電話が何度も鳴るようになる。不安になり、次第に狂気を帯び始める女。周囲の状況に振り回される男は、やがてある決意を女に伝えるのだったが…。

  戯曲は、愛に焦がれるあまり社会的規範から逸脱した男女の姿を描きながら、結婚という制度と愛の在り方について疑問を投げかける。男と女は、近所での老父による妻殺害事件や日本に嫁いできたフィリピン妻について取り沙汰しながら、自分たちも世間の目を気にして家の壁を補修している。だが、それでも足りずにその土地から逃れて「ロシアへ行こう」と度々口にする。また、男の妹が訪ねて来たのは“子供ができちゃった”ことを打ち明け、入籍を決めたことを報告しに来たのであるが、必ずしも結婚したいわけではなく「愛のトキメキ感を持っていたい」と話す。それらさまざまな話題が、現行の日本の結婚制度を相対化して考えるファクターとして持ち出されているのである。

  倉迫が、公演で配布したリーフレットで書いている「私たちの恋愛は国家によって決められている」といったテーゼも、この戯曲が主題とする結婚制度という問題点に着目したものである。

「一夫一妻制も結婚適齢期という考え方もすべて日本が近代国家になるためにあたって一般化されたものだ。安定的な労働力の供給を求める政府によって。『家族』という社会の最小単位に直接的につながる『恋愛』は、『国家』にとっては重要な統制事項だったのである。その意味で近代国家の成り立ちと近代的な恋愛の始まりは時を同じくする。そして国家が揺らげば私たちの恋愛も揺らぐ。」(『so bad year』公演リーフレット内の「演出ノート」より)

  補足になるが、劇中で男と女がなぜロシアを話題にするかというと、ロシアでは結婚する場合、日本のように役所に婚姻届けを提出する制度がないためらしい。好きな時にくっつき、嫌いになったらすぐ別れるため、正確な人口統計や世帯数もよくわからないのが現状のようだ。子供が出来れば女性は生活費を賄うために働いて稼ぐが、男性は逆に女性よりも勤労意欲が低く、自分のことばかり考えていて、働いた金ですぐにウォッカを買って飲んでしまうという。そして、夫婦が別れる時も、旦那が妻子を置いて家を出ていくケースが多いという。ちなみに飲酒運転も多いが、罰則規定がないために事故が絶えないらしい。

  閑話休題。『so bad year』では終盤、男が妻との関係を清算して、女に「結婚しよう」と申し出る。だが、女は「そんなわかりやすい結末はいらない」と拒絶する。このセリフが、それ以前に二人の話していた「ロシアへ行こう」という言葉や、男の妹の「愛のトキメキ感」の話とリンクして、ラストでようやく戯曲の本来訴えようしていた主題として立ち上がってくる構造となっている。


●戯曲を効果的に伝える演出家の役割

  だが、私が以前に観たこふく劇場による初演版では、舞台を最後まで集中して観続けるのにかなりの努力を要した。永山自身、配布したリーフレットで「少々キツイ80分かもしれません」と断っていたくらいだ。

  永山はかつて、故郷・宮崎での演劇活動について、「『演劇』など“どーでもいい”『猛々しい生活人たちが生々しく存在しているだけ』の地方の町にあって、『自身の内面を掘り下げるなんて恥ずかしいことより』も、『町の生活』にまみれながら演劇に取り組んでいくことを、他人ごとのように楽しみたい」と書いたことがあり(※5)、また自身の作風についても、「10メートル四方の社会における人間関係を丁寧にスケッチし、『人間の恥』を笑いの中に描く」と紹介している(※6)。自身で演出をした『so bad year』の初演でも、男と女のいる“場所”を冷徹に達観し、現実社会の中にあるような風景として即物的に展開しようとした感があった。

  例えば、開幕での家の壁を補修するシーンでは、完全暗転の中、舞台の方向で何やら擦り付けるような音がする。客席横(花道)から入って来た懐中電灯のわずかな明かりに照らされたその先を見ると、2m高ぐらいの脚立に乗って、実際に生コン(セメント)を壁に塗り付ける人影があり、そこから男と女の会話が始まるのだった。寂れた田舎町にある一軒家の庭先の夜の風景を、実寸大の距離感や現実的な素材感でリアリスティックに設定したセットで、一瞬その臨場感に感心もするのだが、しかしその後も地明かりが入らないため空間全体を見渡すことができず、俳優の演技を注視するしかないのである。しかし、少ない照明機材で人影を捕捉する程度の光量しかないため、陰影の強く浮き出た俳優の顔からは表情を読み取ることさえ難しく、あまりに素っ気なく味気のない舞台空間の印象と相まって、演出の意図は理解できるけれども、いささか不親切で苛立たしいような思いを抱いた記憶がある。

  また、その苛立ちは戯曲自体のスタイルと演技演出にも起因していたと言えるかもしれない。戯曲は、基本的には口語・散文による日常的な会話劇であるが、人物が気持ちをストレートに吐露するようなセリフのやりとりではなく、言葉の端々やト書きの動作のニュアンスに真情が見え隠れし、それらの断片を繋ぎあわせて内面の心理や思いを推し量っていった末に、ラストに至ってトータルにその作品の主張が見えてくるようなドラマの描かれ方である。上演に際しても、個々のセリフの意味合いや場面ごとの心理をかなり注意深く取り扱い、またキーワードとなる言葉や、微妙ではあるが感情を訴えかけている決定的な瞬間を、確実に観客へ届かせる入念な演出的作業が必要だろう。

  作者である永山自身は、そうした「戯曲を解釈」したり、「有効な演出プランを練る」作業を踏まずともよいかもしれないが、舞台作品として具体化する上では、特に実際に演ずる俳優にとっては必要不可欠な作業である。初演の舞台ではそのあたりの演出と演技のディテールの詰めが(照明の暗さもあって)うかがい知ることができず、俳優も役柄や筋行動を大雑把に捉えて、等身大かつ直情径行に場面をこなしているように見えた。要するに、演技についての演出がほとんど付けられていないような印象で、ちなみにこれは、こふく劇場が2002年東京で公演した『やがて父となる』でも同感であった。

  『so bad year』初演版では、愚かな男女の痴話喧嘩と進展のない状況を延々と見せられているような気分になり、反対に一人宮崎弁のセリフで伸び伸びと軽快にしゃべりまくる妹(あべゆう=倉迫演出版でも同役)が突出していて好印象を抱いたのだが、しかしこれとて俳優本人のキャラクター的資質から“そう見えているだけ”なのかもしれず、舞台全体として見るとあまり演技に対する統制がとれていないように思われたのだった。


●斬新な象徴的空間

  これに対し、今回の倉迫演出版はリアリズムではなく、あくまで虚構として戯曲そのものを客体化していた。個々の事象(セリフや動作等)にも象徴的な演出を施してシーンを形作ることによって、戯曲の構造や人物の心理を明確かつ効果的に観客に差し出すことをに成功している。

  まず、何より特筆すべきは斬新な美術(原案:伊藤雅子)と照明(工藤真一)である。東京公演の会場となった東京芸術劇場小ホール1は、ユニット式の可変床で、舞台・客席を自由に設定できる縦長の四角い空間である。たいていはエントランスロビーに近い側を雛壇式の客席とし、奥の楽屋の近い側の床面を1〜2尺上げて舞台とするエンドステージ型で使用する場合が多い。今回の『so bad year』も同様で、このオーソドックスな空間設定なのだが、特徴的なのはその空間の見せ方である。

  ユニット床を上げて舞台にしているため、本来のフラットな床面と舞台との間には、高低差により側面に隙間ができる。そのままでは床下の空間や床そのものを支える構造体が丸見えになってしまうため、通常は客席側に面した表の側面(蹴込みの部分)を化粧板や幕などで覆って隠すようにする。だが、この公演ではその隙間を隠すことなくムキ出しにし、なおかつライティングを施して、本舞台を支えるアルミ製の銀色の支柱をくっきりと浮き立たせているのである。一方、上方の天井部分に目をやれば、照明の吊り込みバトンやキャットウォークにもブルーやパープルの照明を当てている。つまり、劇場内部の基礎構造をライティングして、エッジの立った無機質な立体感を演出し、空間性をシャープに強調しているのである。

  それとは対照的に、舞台上には男と女の棲家である屋台セットが載っているのだが、これが実寸ではなく、高さ・広さが奇妙に矮小化されている。2畳ぐらいの小ぶりな方形の屋台セットが3つ、それぞれ独立して浮き島状に並んでいて、中央が庭先、上手が一軒家の居間、下手が寝室の設定らしい。俳優の背丈と対比して見ると箱庭のようにちっぽけに見え、そこに住む男と女のメンタリティーをも象徴的にデザインとして汲み取ったような造りとなっている。あるいはライティングされて宙に浮いた感のある舞台が日本列島の地殻で、さらにその上に載っている屋台セットがミニチュアのジオラマであるようなイメージも喚起され、端的に世界を表象する不条理劇的なニュアンスさえ感じさせる。

  事実、倉迫は冒頭とラストに独自のシーンを継ぎ足しているのだが、それは黒のコートに丸帽とステッキ姿の三村聡が、本編の役柄とはまったく関係なく長椅子に腰掛けるというもので、あたかもベケットの『ゴドーを待ちながら』を彷佛とさせるシーンとなっている。開幕では、その誰とも知れない男が「暗闇から始めよう」という戯曲の最初にあるト書きの部分を読み上げてから、物語を始めるのである。

  これまでにも「語り」的要素の強い作品に数多く取り組んで来た倉迫らしい演出と言えるが、このト書きの言葉に接し、初めて私はかつてのこふく劇場初演版でなぜ永山が執拗に“闇”の中で舞台を展開したのかをようやく理解することができた。逆に倉迫演出版では、完全暗転にしたり極度に照明を暗くするかわりに、劇場空間を全体をフレーミングして見せた上で、黒い背景に舞台セットをぽっかり浮き上がらせ、明度ではなく印象としての“闇”を創り出したのである。


●話芸のような演技へのアプローチ

  一方、俳優の演技についてはどうかというと、こちらも等身大のリアリズムではなく、象徴的にシーンを活写していくようなスタイルである。

  男役の三村聡は、セリフにメリハリを利かせながら、周囲に翻弄される優しく不甲斐ない様を正確に演じている。山の手事情社に所属し、倉迫演出の舞台にも度々参加している俳優だが、日頃のさまざまな舞台経験が生かされ、この日常的な現代口語劇でも支柱となって活躍している。

  女を演じる上元千春も、迷いのない演技。気負わない姿勢ながら、不安と信頼の入り混じった心の襞を丁寧に辿って行く。こふく劇場の女優であるが、普段と違う方法論を持つ演出家との共同作業に、柔軟に対応できている。

  妹を演じるあべゆう(こふく劇場)が、やはり良い。こふく劇場での初演版でも同じ役を演じ、宮崎弁の響きと伸び伸びとした演技が地域の生活感と漂わせて印象的だった。だが、今回はよりセリフに含みがあり、特に上元演じる女に語りかけるシーンでは、優しい言葉の言外に苛むようなニュアンスを忍び込ませ、女の置かれた立場をより追い詰めていくような効果を上げている。

  セリフは一部に方言はあるものの、現代口語による会話劇で、極めて日常的なやりとりである。だが、それをそのまま血肉化して演じるのではなく、戯曲を丹念に精読した上でそのエッセンスを抽出し、ニュアンスを重んじた端正な語り口によって場面を効果的に立ち上げていく。語句やセンテンス、あるいは段落、場面ごとに、ドラマの構造や成り立ちを意識しながら、要所要所でさまざまななニュアンスによる声や言い回し、間合い、テンポ、トーンでセリフを繰り出していくのだ。

  それは従来一般の演技の在り方−−俳優個人と役柄との自己同一化を通して、その生理や感覚に委ね、テンションを上げたり、全般に渡って感情を表出していく方法−−ではなく、どちらかと言えばもう少し体温の低い話芸−−落語や一人語り、ラジオドラマなど−−に通じるような演技へのアプローチである。声や言葉のニュアンスを大切にしながら、情景がより効果的に際立つようにするにはどうすれば良いかという視点から、演技(セリフの言い方や動作、間合い、流れ)をデザインし、フォルムとして定着させ提示している、とでも言ったらいいだろうか。

  極言すれば、ある一つの音楽の旋律でも、転調すればその響きが明るくもなり暗くもなり、あるいはリズムや強弱によって躍動的にも感傷的にもなるように、同じ一つのセリフでも、解釈や言い回しによって多様に意味が分岐し、シチュエーションや人物の心理がいかようにも違って見えるはずである。通常の演劇創作の現場では、この作業を各々俳優任せにして、稽古で演出家がダメ出しをして修正していく方法を取ることが多い。

  しかし、永山の戯曲のように、言葉にならない水面下の心理を緻密に交錯させて構成していくドラマでは、役柄を類型的な解釈のみで演じたり、セリフのアクセントやイントネーションを表層的に誇張しただけでは、表現したことにはならない。個々のセリフを精緻に分析しながら、もっとも効果的なニュアンスを探り当てていかなければならないだろう。俳優にも、個人の役柄やセリフに取り組むだけでなく、他の俳優が演じる人物との関係性やアンサンブル、ドラマの構造や全体の流れに意識して取り組む姿勢がなければならない(至極当たり前のことを言っているようでバカバカしいのだが、実はこうした作業の出来ている俳優や、それを保障する創作現場は、そう多くあるものではない)。そうした作業を可能にするためには、演技を決して俳優任せにせず、戯曲全体やアンサンブルを見渡しながら、効果的な演技を静観してディレクションできる演出家の存在が、まず何よりも不可欠と言える。

  こうしたセンスは、倉迫のような若い世代の演出家−−青年団演出部の三浦基による青年団リンク・地点や、関美能留の三条会、岡田利規のチェルフィッチュなど−−にも共通して見受けられる。先行世代の演劇スタイルを知悉しながら、確立された演技作法を踏襲するのではなく、役柄設定や筋行動のみによる“役づくり”の因襲にも囚われず、ドラマの局面やセリフのフレーズに際してさまざまに演技の仕方をチョイスしていくような、精神的な軽やかさがそこにはある。そして、人物が感情を噴出させて立ち回ったり、起伏に富んだドラマチックなストーリーを追って行くような戯曲とは違い、一見難解であったり複雑であったりするような戯曲(テキスト)の上演にあたっては、これら若い世代のようなスタイルは極めて有効な演出法と言えるだろう。


●リージョナルシアター・シリーズの今後

  さて、地域で活動する期待の若手劇団や地道な実力派を紹介してきたリージョナルシアター・シリーズだが、このシリーズの目的は地域劇団に東京で公演してもらい、より信頼に足る批評の場に晒されると同時に、その成果や反省を持ち帰って、各地域での舞台芸術活動や市民文化交流の振興・発展に寄与することだと理解している。だが、現状としては地域で精力的に活動する劇団がそうそう多く存在するわけではなく、シリーズも回を重ねるに従って、その地域での固有性や希少性ゆえのラインナップとなってきている一面もないではない。“特産品”を並べたてた「地域の物産展」的企画でもそれはそれで面白い部分もあるだろうが、同じテイストのものを限られた人材と閉鎖的な環境の中で展開していくのは、かなり先行き的にも困難なのではないだろうか。演劇活動として継続していくには、より開示性を持ちつつ、絶えず劇団としての意識の向上と現場でのさまざまなスキルアップを計っていかなければならないだろう。自分たちの表現を検証したり、また他のさまざまな表現との交流を通して、より発展的に活動を展開していく必要がある。

  そういった意味でも、この公演はたいへん意義のあるプロダクションとなった。他に述べる(予定の)「リージョナルシアター・シリーズ5周年特別企画」同様、地域劇団の活動が新たな段階に入りつつあることを、強く印象づける公演となったのである。


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※1):永山智行は1967年宮崎県都城市生まれ。90年宮崎県立都城泉ヶ丘高校演劇部OBを中心に「劇団クロスピア」として活動を開始。永山が作・演出を担当するほか、九州在住の劇作家へ戯曲の執筆を依頼し上演も行っている。96年3月一時劇団としての活動を停止するが、97年4月からより質の高い作品の創造を目指し、「劇団こふく劇場」として活動を再開。 宮崎県都城市を拠点に、地域文化とのつながりに重点を置く一方、東京、福岡などでも公演を行い、2002年には東京国際芸術祭リージョナルシアター・シリーズで『やがて父となる』を公演している。劇団名は、四字熟語「鼓腹撃壌」(「腹鼓を打ちながら太平の世を楽しむさま」の意)の語呂の良さから名づけられた。なお、永山はAAF戯曲賞以前に、95年に『空の月、胸の石』が、96年に『北へ帰る』が、それぞれ2年連続して日本劇作家協会新人戯曲賞の最終候補となっている。

※2):こふく劇場 『so bad year』は、2000年10月福岡県大野城まどかぴあ小ホール、12月宮崎県都城市霧の蔵ホール、2001年1月13・14日東京こまばアゴラ劇場で初演された 。

※3):Ort-d.d.を主宰する倉迫康史は、1969年宮崎県生まれ。早稲田大学卒業後、山の手事情社の演出助手、劇団吟遊市民の主宰を経て、99年よりフリーで演出・プロデュースを手掛けている。Ort-d.d(オルト・ディーディー)とは、「Ort das dritte(オルト・ダス・ドリッテ)」の略で「第三の場」の意。2000〜02年の期間限定プロジェクトであった「現代舞台芸術ユニットOrt」を、03年より新たにスタートさせたプロジェクト。「アーティストがコラボレーションする“場”の創造」「力のある上演空間という“場”へのこだわり」「全国・海外を視野に入れた活動による“場”の拡大」という前プロジェクトの活動コンセプトを引き継ぎながら、より弾力性と実験性に富んだ創作活動を展開する一方で、東京と宮崎を拠点に各地域の演劇人との交流も積極的に行っている。主な演出作品として、『舞姫』(森鴎外原作/00年)、『こゝろ』(夏目漱石原作/00年)、『ハムレット〜オフィーリアプログラム〜』(シェイクスピア原作/01年)、『班女』(三島由紀夫作/01年)、『水の中のプール』(山田裕幸作/02年Ort+ユニークポイント合同公演)、『砂の女』(安部公房原作/02年)、『春は馬車に乗って』(横光利一原作/02年L.P)、『ピノッキ王』(03年)、『わが友ヒットラー』(三島由紀夫作/03年ク・ナウカ野望祭)、『一人芝居☆ユビュ王』(A.ジャリ作/03年UBU7)など。 また、東京国際芸術祭リージョナルシアター・シリーズの関連としては、2002年にワンナイトスペシャル「ドラマリーディング『東京ナガレ者』(佃典彦作)」の演出もしている。

※4):「ささやきの演劇」について、倉迫本人は「今はまだ未完成な手法」とした上で、「震えるような緊張感が場を支配し、 時にささやくように、時に詠うように、時に圧倒的に語る」演劇と説明している(「Ort-d.d.」公式Webサイトより)。なお、倉迫が以前に主宰した「現代舞台芸術ユニット“Ort”」を紹介した拙稿から、参考までに引用すると以下の通り。「『山の手事情社』のメソッドや、『青年団』の“静かな演劇”、『ク・ナウカ』の“ムーバー&スピーカー(動く俳優と語る俳優による二人一役)”などに接してきて倉迫独自の発案で、俳優の声量をミニマムからマキシマムまで自在にコントロールしたダイナミズムによって、緊張感に溢れる語りの世界を創り出そうとする試みだ。(中略)緊密にして精緻な舞台を展開している」(雑誌『國文學』2002年2月号特集「演劇・ダンス・映画−−時代を疾走する」内での「いま元気のある劇団20〜“ポスト静かな演劇”を中心に〜」より)。

※5):戯曲誌『せりふの時代』2000年夏号VOL.16で筆者が企画・編集を担当した特集「次代を担う俊英劇作家たち」の中の「俊英劇作家60人の履歴書」において。

※6):前掲書同記事内のプロフィール部分。

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