東京国際芸術祭 english
2006年2月10日-3月27日
平成17年度文化庁国際芸術交流支援事業 主催:NPO法人アートネットワーク・ジャパン 東京国際芸術祭(TIF)について TIFアーカイブス
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ヤスミン・ゴデール振付『ストロベリークリームと火薬』 
相馬千秋(NPO法人アートネットワーク・ジャパン 国際プログラム担当)

ヤスミン・ゴデール
(2005年12月、テルアビブにて撮影)

世界のメディアによって表象され続けるイスラエルとパレスチナ。この地域を巡る問題はあまりに複雑で多層的であり、完全に中立的な立場からその歴史と現在を記述することは不可能である。だが、そこに暮らし、表現活動を続けるアーティストたちの視点からこの地域の現実を解体し、そこから派生するさまざまな問題を問い直すことくらいはできるかも知れない。そんな想いでこの地域のアーティストたちとの仕事を続けている。

2004年10月、在パレスチナ・ラマラの劇場、アルカサバ・シアターとの共同製作による新作準備のため、舞台美術を担当した美術家・椿昇とはじめてこの地を訪れた。当時はアラファト議長が亡くなる直前で、聖地エルサレム周辺は極度の緊張状態にあった。それから1年後、イスラエル政府からの招聘で再訪したイスラエルでは、ガザ撤退後テロ攻撃が沈静化してきたという楽観的な見方から国内の緊張はだいぶほぐれていたものの、自爆テロは依然なくならず、パレスチナに対する厳しい占領政策も続いていた。

この二度の滞在が私に残した強烈な残像は、イスラエル社会を支配する「セキュリティ」というスローガンだった。ホロコーストによって地球上から絶滅を迫られ、悲願の建国を果たしてもなお抵抗運動やテロの激しい標的になってきたイスラエル。拡張することで存在を主張し続けてきた強国イスラエルが、今「テロリストの侵入を食い止める」ために建設中の壁は、他者を排するために自らがその内側に閉じこもってしまうというある種の逆説を視覚化してしまっているようにさえ見える。ゲットーや監獄を想起させるこの巨大な壁の前で「セキュリティのため」に他者に銃を向けるイスラエルの若い兵士たちから私が嗅ぎ取った匂いは、威圧や憎悪ではなく、疲労と諦めが入り混じった絶望的な痛みと弱さだった。

『ストロベリークリームと火薬』が初演されたエルサレムのアートセンター、The LAB. (2005年12月撮影)

ヤスミン・ゴデール振付の『ストロベリークリームと火薬』をブダペストで初めて見たとき、このイスラエル訪問で強烈に残った残像と心象が鮮烈に蘇り、私を根底から圧倒した。それはまさに、私がイスラエルで体験した心理的、視覚的な断片が、誇張され、反復され、再編成されていく感覚だった。と同時に、それは現実としてのパレスチナ・イスラエルという個別の状況を越え、人類の歴史から我々の日常にいたる、あらゆる暴力と関係性の問題を正面から突きつけるものだった。ダンサーたちは、どこにでもいそうな若者たちのルックスだが、その身体と表情は突然硬直し、脱力し、フリーズし、無造作に重なりあい、打ち捨てられる。そこには無音の絶叫、フリーズした笑い、暴力的な無関心、侮蔑と愛撫・・・この演劇ともダンスともつかぬ果てしないローリングプレーの反復の中から、イスラエル社会の「声なき声」が静かに充満する。彼らは、笑いながら泣き、愛撫しながら暴力を振い合い、怯えながら歓喜の声をあげる。この舞台を前に、誰も無傷でいることはできない、そんな思いがよぎった。

この作品がメディアに氾濫するイメージの断片を素材として作り上げられていることは、恐らく作品を見た多くに人が直感的に理解しうる事実である。実際ゴデールは、典型的な悲劇の写真−テロ直後の現場、検問所の兵士などの写真をダンサーと共に選び出し、その写真から想起されるイメージや状況、心理を、実際に身体を通して表現するワークショップを重ねていった。テロ直後の現場で恐怖のあまり硬直する女性、その傍らに横たわる下半身むき出しの死体、検問所で銃を突きつけ相手を威嚇する兵士・・・それは私たちが既にメディアによって慣らされてしまった悲劇の瞬間であり、スーザン・ソンタグの言葉を借りればその氾濫ゆえに「同情を萎縮させる」映像とも受け取ることができる。既にメディア化された映像を過度に増幅し、微妙に変容させていくことでメディアの虚構を暴き、よりリアルなものを出現させるという手法は現代美術の分野では珍しい作業ではないだろう。しかし、ダンスという生のメディアを使ったこの作品は、パレスチナ・イスラエル紛争という「クリシェ」を出発点として、その表象を超え、我々の生活にも潜むあらゆる関係性の暴力を暴き出す。メディアによる表象について執拗に問い続けるゴデールのこの勇気ある作業は、イスラエルから遠く離れた東京の観客の目にどのように映るのだろうか。

パレスチナの劇団アルカサバ・シアターは「メディアの伝えない真実のパレスチナを伝える」という切実な思いを演劇に託し、『アライブ・フロム・パレスチナ−占領下の物語』、『壁−占領下の物語II』といった感動的な作品をつくりあげた。しかしヤスミンはなぜ、メディアによって既に表象されたイスラエル・パレスチナを敢えて舞台の上で再生産する作業から、この作品をつくり始めなければならなかったのか。『ストロベリークリームと火薬』という物騒で思わせぶりなタイトル、そして「Bloody Bench Players−いかした/血まみれの補欠たち」という意味深なユニット名の意味するものは何か。これらの疑問が、それぞれのアーティストのおかれた状況の決定的な相違を浮き彫りにし、また東京国際芸術祭の中東シリーズで我々が問い続けている「中東」という世界の断層面を理解するうえで、また新たな見解をもたらしてくれるのではないかと考えている。

「占領される側」のアートは、圧倒的な暴力や不条理に対する抗議を表明することで成立し得る。パレスチナの演劇はまさにそういったアートによる力強い抵抗であった。しかし「占領する側」イスラエルのアートは、いかにこの現実と向き合い、それを記述することが可能なのだろうか。私が出会ったイスラエルのアーティストや芸術関係者たちは、その可能性/不可能性を巡り、考えることを放棄しない勇気を持っていた。そして今回の東京国際芸術祭で来日するヤスミン・ゴデール振付の『ストロベリークリームと火薬』はこのような我々の疑問と期待に答えてくれるに違いない。


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