東京国際芸術祭 english
2006年2月10日-3月27日
平成17年度文化庁国際芸術交流支援事業 主催:NPO法人アートネットワーク・ジャパン 東京国際芸術祭(TIF)について TIFアーカイブス
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『カリラ・ワ・ディムナ』 ペンで剣に抗う者に掲げられた鏡
エグリントンみか(翻訳/英国演劇・批評)


スレイマン・アルバッサームが舞台化する、カリラとディムナという二匹の山犬の名を冠したアラブの動物寓話は、ギリシア起源のイソップ物語とは対照的に、日本ではあまり知られていない。ましてやインドで編まれ、ペルシアに伝わった『パンチャタントラ』を、アラビア語に翻訳/翻案した『カリラ・ワ・ディムナ』の作者アブダッラー・ブヌ・ル・ムカッファイ=「神の僕にして萎縮した者の息子」なる人物に及んでは、まるで知られていないに等しい。

だが君臣論として記されたこの寓話は、『今昔物語』のように今も中東文化圏の生活の中に生きる知恵として息づいている。そしてペルシアのマワーリー(改宗してムスリムになった非アラブ人)、あるいはジンディーク(表向きムスリムでありながら、ゾロアスター教やマニ教を信仰する人)とされる異民族、「異教徒」のムカッファイが、華々しい出世と表裏の禍々しい拷問によって三〇代半ばで散るまでのドラマティックな生き様は、ムハンマドの血を引く一族が互いの血を血で洗ったアッバース朝創世期の恐怖政治と絡めて、歴史として記憶されている。

ムカッファイの生涯については謎が多く、その著作と同様に各時代の政治的、宗教的、言語的要求によって加筆、修正、削除、簡略化さらには神格化と様々な変容を被ってきたために推定の域を出ないが、ウマイヤ朝治世下の七二〇年頃、旧ペルシア帝国ササーン朝貴族の家に生まれたと伝えられている。地租徴税官をしていた父は、公金横領の疑いで拷問にかけられて片手が萎えていた。父の異名と同時に片手を落とされる悲運をも選び取ったかのムカッファイは、幼少時から言語の才能を発揮し、ウマイヤ朝宮廷でも名文家として重用されている。七五〇年のアッバース革命後、為政者の在り様をより根底から変革すべく新体制に乗り込み、動物の仮面と言葉を巧みに操って書記官、顧問官とカリフに進言する地位を築きながら、無残にも処刑されている。

この歴史的人物と古典的寓話を共鏡として照らし合わせながら、歴史/物語のさらなる書き換えに挑むアルバッサームは、劇中劇として『カリラ・ワ・ディムナ』の白眉である「ライオンと牛」に纏わる寓話中寓話を引用し、ムカッファイの劇的人生をメタシアトリカルに描き出す。ある話に別の話が重層的に入り込むインド―ペルシアの枠物語の構造とコーランを誇るアラブ詩の伝統を融合させた説話集は、君主の鑑ではなくその獣性と作者自身の悲運を映し出す鏡となり、寓話/芝居/運命/政治/歴史は複雑かつ皮肉な入れ子構造を呈し始める。――ずる賢い山犬ディムナがライオンの寵愛を得た牛シャンザバに嫉妬し、牛はライオンに反逆しているという偽りの進言をして、牛を殺させるという寓話は、権力欲に憑かれたアルマンスールの取り巻きによって曲解され、ムカッファイの意図を超えたおぞましい結末を招いてしまうのだ。

古の都バグダッドの興隆という光に、その破壊と「再興」という影がつきまとう現代版『カリラ・ワ・ディムナ』は、単なる悲観主義には陥らない鋭い批評精神を備えた現在進行形の寓話となっている。血に塗れた政治と宗教の渦中に巻き込まれ、自己矛盾に苦しみながらなお正義と神の愛を求めた「異端者」は、ペンで己の喉元を裂いて血で言葉を記したが如く、「王子たちの鏡」もろとも砕け散る。しかしながらその鏡の破片は、ペンで剣に抗うすべての者に掲げられていると示唆するのだから。

 

参考文献
イブヌ・ル・ムカッファイ著、菊池淑子訳、『カリーラとディムナ アラビアの寓話』、平凡社東洋文庫331、1978年。 


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