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〜六ヶ所村報告1〜 野辺地から六ヶ所村へ  阿部初美

2006年8月7日、仙台駅から朝9時過ぎの東北新幹線と東北本線を乗り継いで、わたしは下北半島と津軽半島の付け根にある野辺地駅に向かった。目的地は青森県上北郡、下北半島の付け根の太平洋側にある六ヶ所村という村だった。

六ヶ所村には、核燃料再処理施設というものがある。各地の原発で使用済みになった核燃料をリサイクルするための施設である。チェルノブイリ原発事故から20年を迎えたこの年は、東京でも多くの関連企画が催されており、その時に知った鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディー」というドキュメンタリー映画を観る機会を得、恥ずかしながらそこでわたしは初めて、この村で試運転が始まっている再処理工場の存在を知ったのだった。「六ヶ所村ラプソディー」は、この再処理施設をめぐる六ヶ所村の生活と人々の暮しを追ったもので、その内容はとても衝撃的なものだった。それ以来、青森県の六ヶ所村という村を、そして再処理施設というものを自分の目で見たいと思っていた。この8月に、たまたま仙台で、以前一緒に仕事をした米澤牛さんのリーディング公演『4時48分サイコシス』のアフタートークゲストによんでいただいたのをきっかけに、どうせ仙台まで行くなら六ヶ所まで、と思い立ったのだった。

JR野辺地駅から数少ないバスで六ヶ所村へはバスで約1時間ほど。バスを待つ間、駅の待ち合い所で観光案内などのチラシやポスターを見ていると、その中にまじって、放射能モニタリングの月間報告を見つけた。六ヶ所村だけではなく、青森県の各地でモニタリングしていることを知る。少し背筋が寒くなる思いがした。

ようやくバスが来ると、乗り込んだのはわたし一人だった。車内には甲子園のラジオ中継が大音量で流されていた。バスが出発すると、ラジオ中継のボリュームはしぼられ(たすかった…)、すぐに年輩の男性ひとりと女性ふたりの、あわせて3人が乗り込んできた。みな小柄である。この3人は知り合いらしく、時々話しているが、なまりが強く何を話しているのかほとんどわからなかった。 美しい海沿いの道を通って山へ入るとすぐ六ヶ所村に入ったようだった。
カーブの多い山道でわたしのキャリーケースがおばあさんの方に倒れてしまったのをきっかけに、「どこまでですか?」と話しかけてみると「泊」という答えがかえってくる。泊は六ヶ所村の北部にあり、漁港があるところだが、今では漁業もそれほど盛んではなくなってしまったという。「六ヶ所村ラプソディー」で、再処理工場反対運動のシーンで登場した漁港ではないかと思い、宿はこの近くにとっていた。
おじいさん、おばあさんたちは「病院に行く」と言っていたので、「野辺地からわざわざ六ヶ所まで病院に行くのか?」と思ったのだが、これは大きな勘違いであった。
しかもこの3人と話している間に六ヶ所村中部を通り抜けてしまい、ほとんど風景は見られなかった。話はしていても、なにしろなまりが強いのであまり複雑な話はできず、外国人と話してるようでもどかしい・・・。おばあさん二人は、あたまに手縫いの、花柄のスカーフを巻いていて、これがとてもすてきだった。「すてきですね」というと二人ともはにかんだように笑う。おばあさんは「女性ひとりで怖ぐないの?」と心配してくれた。
「どこに泊まるの?」ときかれたので、「Yホテルです」と答えると、おじいさんは「あすこの社長はよぐ知ってる」というので、「どのくらい前に建ったんですか?」ときくと、「10年ぐらい前かなあ、いい人だよ、神奈川の人だ。」ネットの情報にの同系列のホテルが神奈川にもあったのを見ていたのでそういうことだったのか、と思う。
14時半頃、私の方がさきに宿の前で降りた。お年寄りたちは、バスから手を振ってくれていた。

着いたところは「Yホテル」。ネットで見つけて部屋数が一番多いホテルだった。
しかし「ホテル」、というよりもむしろ「合宿所」みたいな雰囲気で、まわりには自然の他ほぼ何もない。フロントらしきところには愛想のいい感じの40代後半くらいに見える男性がいた。チェックインして、原燃PRセンター行きのバスの時間をきくと、なんだかもにょもにょして、「15時過ぎれば同僚が来るので、車でお送りします」と言う。それでは、とお願いする。原燃PRセンターとは、再処理施設を経営する日本原燃という企業がそのPRのために建てた施設で、わたしより先にここを訪ねた父からその存在を聞いていた。

ホテル一階の奥にはがらんとした「食堂」みたいなところがあり、お食事はこちらで、と言われる。それから2階の部屋に行くと、ユニットバスつきの六畳くらいの和室だった。古い押し入れが開けっ放しで、ふとんが敷いてある。むっとした空気。なんだか押し入れが古くて怖いので閉め、窓を開ける。六ヶ所村も猛暑である。 午後3時になって下に降り、フロントで周辺地図はありませんかと聞くと、「これなら・・・」と出てきたものは日本原燃のパンフレットの中にある、おおざっぱすぎる小さな地図だった。急に思い立った旅だったので地図を手に入れるヒマもなくやってきてしまったのだ。しかたないのでそれをもらうと、ちょうど入り口から「同僚」と思しき男性がやってくる。この人も40代後半から50前後といったところだろうか。 この「同僚」氏が原燃PRセンターまで送ってくれることになった。

(つづく)

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