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盲目の風景  大城達郎


予定には無かった忘年会に突然の参加、泥酔した揚句に無事帰宅。
・・・嘔吐した形跡があるベッドからはっと目を覚ましたのは、待ち合わせ時間の1時間後であった。

遅刻である。

二日酔いでいささか千鳥足気味の私は、資料を抱きかかえて上野駅に向かった。同行者への謝罪は移動費へと換わり、急いで特急列車に乗り込んだ我々は、私の酔いも醒めやらぬうち、無事に予定時刻に到着。資料に目を通す時間もゆとりもあまりなかった。
福島第一原子力発電所の最寄りであるJR大野駅は、こじんまりとした片田舎の駅舎といった風情。人もまばらで、唯一ある駅前の喫茶店にて、しばし昼食。二日酔いの胃には多少堪えたことを記憶している。自分が着てきたTシャツの色すら記憶に無いという始末に、我ながら呆れてしまった。

そもそも、福島第一原子力発電所に出向くことになった経緯については以下のとおり。
本棚の整理をしていたある日、扇田昭彦氏の『日本の現代演劇』という新書が我が家にあることに気付き、通勤時間を使って読んでみようと思いたった。演劇について私が知っていたことと言えば、大島渚『新宿泥棒日記』に出てくる唐十郎や、『書を捨てよ街へ出よう』の寺山修司といった具合。60年代の新宿カルチャーを調べると大体出てくる人達くらいのものであったわけで、この本を熟読したおかげである程度の演劇界の流れを頭に入れることが出来た。演劇についてはその程度にしておいて、さて次の本は・・と思っていた矢先のこと、小道具の話を偶然にも頂いたというわけである。まさにセレンディピティであった。
テーマは原子力発電所とその労働について(だと私は思っている)。膨大な資料を目の前に些か怯んでしまったが、一体どういうものを作ることになるのだろうかという悩みと、やはり原子力発電所を目の当たりにしないことにはという思いがあり、スタッフの方々のご好意も頂き、福島行きを決意したというわけであった。

これまで無縁だった2つの事象が一気に降りかかって来たことや現在の状況に驚いている間もなく、大野駅を出たタクシーは、福島第一原子力発電所のサービスホールに向かっていた。運転手の後部座席からデジカメのシャッターを切る。ひたすら切る。
サービスホールを「サービスセンター」と何度も言い間違えそうになりながらも、無事に到着。ロータリーを回ると、2人の女性が我々を待っていた。

見学の手続きを済ませ、いざ!という前に、このサービスホールの建物自体がとても明快な構成になっていることに気づく。建物ありきというよりは、展示の順番をそのまま建物として仕立てあげられたものという具合。案内役の女性の後をついて行くと、見学は始まった。2時間の予定。

予備知識は、あまりに断片化し過ぎて曖昧模糊としたままであった。結果、案内役の女性への質問がここから急に始まる。
「えー、あれは一体どういった役目を果たすもので、それが・・(以下省略)」「これは模型とのことですが、実際の大きさはどれくらいになるのでしょうか?」矢継ぎ早に出てくる我々の質問に、独特の訛り混じりの標準語で女性は丁寧に答えてくれた。模型という言わば偽物も、ここでは迫力や不気味さに変わり、真偽の判断がつかないような不思議な物体へと変化する。
ひとまず、粗方見終わったところで、最初から質問が多過ぎたせいか、すぐに原子力発電所の構内へと移動。写真撮影はここから禁止となる。

日曜日ということもあって、構内はガランとしていた。目に飛び込んでくる風景は建物の色が一様であったせいか、説明を受けながらも風景そのものに釘付けとなった。2、3度右左折をし、太平洋へと抜ける下り坂に差し掛かった時、「おお」と声を出した私。つきあたりには、原子炉建屋が無機質な表情で鎮座していた。
ロールシャッハテストのような、不思議な模様に覆われた白い建屋。「これは一体何に見えますか?」という問いかけに、「んー」と黙った私。仮に「落ち葉!」等と言ってしまったらどういう判断を下されるのか、なんて妙なことを考えてしまった。
原子炉全体を制御する管理室を模した部屋に通され、一通り説明を受ける。我々の質問は加速度を増していた。

再び車に乗り込み、原子炉建屋周辺をゆっくりと移動。ここまでで既に2時間が経過。早い。低レベル廃棄物の見学は日曜日とのことで不可だった為、時間オーバーは代替の配慮とのこと。非常に嬉しくなって相変わらずの質問攻め。時には幼稚な、逆に、難解な質問まで全て答えてもらった為、帰り際は恐縮してしまった程であった。

さて、見学コースの最後、様々な模型が展示してあるという施設内を見学。日曜日の弊害は、自動ドアを手動ドアにしていた。重いドアを開けると、様々な機器が鎮座していた。
小道具の資料にこの場は最適であった。相変わらずの不気味さを持つ模型も、スイッチオンでキッチュな建築に見えたり、オーパーツに見えたりとおもちゃ屋に居るかのよう。スケール感のないタービンの模型が、妙に気になった。


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クライマックスは、燃料集合体が入る原子炉のプール。勿論、本物は人間の目に触れるものではないため、こういった形で目の当たりにすることが出来たためか、嬉しさが込み上げてきた。燃料集合体の大きさに驚き、たけくらべをしたあたりでタイムリミットとなった。
夕刻の黄昏が薄暗闇へと変わる頃、サービスホールに無事帰還。色々と用意していただいた資料を確認し、お礼を言って帰路に就いた。


視覚の有無に関わらず、人間の目には見えているものと見えていないものがある。
何かを表現すれば、何かを表現しないことになる。
そして、不都合なことは真っ先に隠される。
こういったことは、日常においても稀なことではない。ただ普段は、無いものは無いものとして、有るものを目の前にしてやり過ごしているだけの話である。
しかし一方で、不都合なことが見えた場合、盲目に徹しなければならない人が多数いるのは確かなのだ。経済成長期の日本が嘗て抱えた問題も、未だに抱え続けている問題も、すべての始まりは善意の盲目の人々によるもの。「知らなかった」という大きなミスが、日本を汚染していったのである。
今に生きる我々の課題は知ることであり、盲目であり続けないこと。これが全てである。


暗くなってしまった帰りのタクシーの車窓からは、行く時とは違う景色が見えた。
そこには、盲目から解放された風景と現実が横たわっていた。

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もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
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