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「空間を作る」(『詩学』2002.8月号掲載)  高山明


パリの安ホテルに滞在していた時のこと、ひどい妄想のせいでしばらく外出できずにいた。妄想という渦の中に街全体が雪崩れ込み、あらゆることが結びつき、勝手に負の物語が出来上がってしまう。物語にどっぷりと漬かり、神経をすり減らす状態が続いた。終いにはベッドの上で体を動かすのも怖ろしくなった。へたに動いたら窓から飛び降りることになる(五階にある部屋だったが)と確信されたからだ。ベッドで強張っている間に夜を迎え、そして再び明るくなり始めた頃、窓のところに行ったら自分は何をするのか、という好奇心が湧いてきた。ベッドから起きあがり窓の方へ行く。カーテンを開き、鍵を外し、窓を開けた。そこには明け方の街があった。空気は吹き出したくなるほど新鮮で、立ち並ぶアパートの壁は影を作り、八角形の形をした寺院の屋根は朝の光を映していた。壁は壁、屋根は屋根、それぞれが本来の居場所に戻ってゆき、表面に帰り着いたところでさりげなくキメを作っている。妄想やそれが生む物語などよりはるかに強いモノたち。私は今ここに自分の身があることを感じながら、ただただ壁や屋根の存在に目を見張っていた。即物的なのに神秘的で、集中しているのに醒めているような感覚。この感覚は初めてではなかった。以前にも一度経験したことがある。確かにあの時も、この空気と同じものを感じた。あの時とは、私をパリに導いた一本の舞台である。
 
 ドイツに来てから二月が過ぎた頃、シュトゥットゥガルトの劇場でピーター・ブルック演出「妻を帽子と間違えた男」を見た。オリヴァー・サックスによる同名の小説に材を取ってはいたが、そこには名のある役も一貫したストーリーもなく、様々な神経症患者がゲームのような治療を受ける様子を、四人の俳優が切れ切れに並べていくだけの舞台である。一つ一つの断片が堪らなく面白かった。それは私の身体感覚を変えるほどのもので、強いて言えば、目の前で繰り広げられる断片以上に、自分の身体に生じた感覚の変化を、また、身体感覚に変容をもたらした空間を楽しんでいたように思う。俳優がそこにいる、自分がそれを見ている、舞台に集中していながら、それを見ている自分がここにいる。あんな観劇体験は初めてで、「これが演劇か!」と目覚めてしまった私は、そのまま夜行列車に乗り込み、彼らが活動の拠点とするパリへと向かうことになる。「妻を帽子と間違えた男」を振り返ると、あの時肌で感じた空気を想い出す。それはパリで迎えた朝についても言えた。想い出すたびに同質の空気が蘇り、身体感覚が変わるように感じられるのだ。異なる二つの出来事はかけがえのない経験となり、私の記憶に残る事となった。

 衝動的にパリに行って以来演劇に携わり続けて今に至るわけだが、演出家という作る側に身を移せば、今度は観客の経験になるような演劇を作るにはどうすればよいかと考えることになる。観劇体験が一つの経験になりえたのは、その内容でもなければ舞台の出来でもなく、観客の身体感覚が変わってしまうような空間が出現したからであった。しかしここで言う「空間」とは、装置やオブジェを置いたり、演出家の解釈やイメージを書き込んだりする為の空間ではなく、更には、俳優の身体によって作られる空間でもない。それらは舞台作りに欠かせないものではあるが、舞台の空間造形という域に留まるならば、舞台の上にある鑑賞物に過ぎない。私が問題にするのは、舞台と観客の間にある空間、観客によって知覚される空間のことであり、むしろ空気と呼ばれるべきものなのだろう。しかしそのような空間なら常に身の回りにあるわけで、「空気のような存在」という表現もあるように、あまりに当たり前すぎて普段はその存在が忘れられているだけだ。すると問題は、日常では忘れられている空間をいかにして気づいてもらうかということになる。

 それが課題ではあるが、実際私たちに出来るのは舞台上の舞台を作ることだけである(上演する場所の選択も大切な要素になってくるが、今は取りあえず置いておく)。しかし、空間がそれ自体で認識されることはなく、従って作ることも出来ず、身体感覚を媒介にした外界との関係性においてはじめて知覚されるものであるとすれば、舞台を閉じたものとして作ることは出来なくなる。つまり舞台は、観客に共有されるものとして意識されねばならず、また観客との関係において、既知であるが故に未知であった空間を気づかせる機能を持たねばならない。その為には観客が持っている空間との関係性を変化させればよい。その方法を検討する前に、まずは劇場の“主役”たる観客に目を向けておく必要がある。

 日常生活において、人は自分のいる空間を意識することはない。家も学校も職場も、慣れた場所ならば自分の身体の一部のようになっている。どんな時に意識するかと言えば、人の家を訪ねたり、職場が変わったり、旅先で宿に泊まった時などである。あるいは、停電になって何も見えず、真っ暗闇のなか移動するような時は、身近だった場所がよそよそしく感じられる。いずれにせよ束の間のことで、よほどのことがない限り、しばらくすれば何とも思わなくなるであろう。空間との然るべき関係性が見出され、主体のなかに取り込まれてゆくからだ。別の言い方をすれば、すべては「内面化」されるのだ。現代社会を生きてゆくには、とりわけその種の能力が必要に違いない。脇を通りすぎる車を怖れたり、ホームに入船して来た電車に震えたり、ネオンライトのチカチカに瞬いたり、いちいち空間に反応していたらとても生きてゆけない。想像される空間についても同じ事が言えそうだ。テレビからは様々なニュース映像が流れるが、映像は文字通り平面として消化されねばならず、その一つ一つに空間を想定し関係性を作っていたら人事では済まなくなる。これは「内面化」の運動と矛盾するように見えて、実は同じことなのだ。教会が魔除けとして異形の怪物を飾るように、人もまた他人の惨事を護符として身につける。すでに関係性は見出されたり作られたりするものでなく、ただ「これしかない」という形で与えられ、突きつけられ、距離を奪われたところで「内面化」されるべき制度になってしまったようだ。「内面化」の道を地でいったように見えるオウム真理教は、向こう側の最高神をバッジという表面に固定した。それを身に付けた彼らが何をしたかについては言及する必要もないであろう。また、神戸で殺人を犯した少年は、自ら神を捏造し、その命令とは、彼と世界を取り巻いているアメーバを切り裂けというものだった。一方は「内面化」を極限まで押し進めたところで外を否定する方向に向かい、他方は「内面化」された世界を切り裂こうと人を殺した。二つの事件は異なるものだが、両者ともに「内面化」の背理というものを象徴しているように思えてならない。想像される空間も含めて、空間が「内面化」されればされるほど、外界は遠ざかり、隠蔽されることになる。だからと言って、内面が豊かになるわけではない。ここで言う「内面化」とは、経験として沈殿するような運動ではなく、与えられた関係性を受容する制度に過ぎないわけだし、そもそも外界との関係の中でしか内面などというものは存在しないからだ。この時人は、いわゆる「心に空虚を抱えたまま現実世界からも孤立している」ような状態になるのではないか。オウムや神戸の事件に関する報道で、さんざん言われたことである。しかし、訳知り顔でコメントしていた人たちは、そして私自身を含めた現代人の多くもまた、彼らからそう遠く離れたところにいるわけではないように思う。そうした観客が身に付けている空間との関係性を変えるにはどうすればよいか。その方法を模索している時に出会った話を紹介したい。

 シュヴァルツヴァルト(黒い森)の奥地へカヌーを借りて遊びに行った時のこと、人気のない川岸に古めかしい建物が見えた。一緒に行った友人の話によれば、自給自足をしている修道院だそうで、修行僧の幾人かは無言行を行っているらしい。人に会うことは禁じられ、独房に籠もったまま生涯言葉を発してはならないという。対話するのは神のみというわけだ。ただし、彼らに唯一許された他者との出会いがあって、それは定期的に催されるゲームだそうだ。無言行を行っている修行僧が集められ、二チームに分かれる。言葉を発することの出来る僧が片方のチームに問題を出す。例えば、Bを頭文字に持つ都市の名前。修行僧たちは制限時間内に書けるだけのものを書き出す。審判役の僧の手元には答えが一定数書かれたリストがあって、リストの中の答えと幾つ重なったかで得点が出る。それを各チーム交互に行い得点を競う。この話を語ってくれた友人によれば、神との関係のみで人は生きられないということになり、ゲームは独房での生活に対する潤滑油と捉えられる。だが果たしてそうなのだろうか。私には、このゲームが彼らの信仰にとって欠くことの出来ないものであるように思われた。

 独房のなかで神を思い、神と対話する「独白」のなかで、彼らは神を中心とした述語群を無限に増殖させていったはずである。それがゲームの場になると、与えられた問題に対する答えを要求されることになる。答えは名詞なのだから、紙の上には具体的な名前が並べられることになるだろう。人間を見る・人間に見られるという非日常的な空間のなかで、独房における「日常生活」で築かれた内面の塊が、現実世界にあるモノの名前という断片に向かって拡散し、その表面に落ち着いてゆく。この転回のさなかに、修道僧たちは何を感じたのだろう。見ている方も見られている方も、その場の空気に「神」を感じたのではないだろうか。

 この話には、私が追い求めてきた「空間を作る」方法が、シンプルかつ強烈な形で出ているように思う。もちろん、「神」を見出そうなどという気持ちは毛頭ないし、この方法がそのまま使えるわけもない。しかし修道僧たちのそれは言葉遊びというゲームであり、私から見ればプレイ、すなわち演劇なのだ。彼らの場合は、場所と状況を変えることで日常生活に中断を入れ、言葉の向かう先を転回させただけで空間を出現させたのではなかったか。私にとって一番のヒントは、「空間との関係性」にせよ、「内面化の運動」にせよ、それを担っているのは「言葉」に他ならないという視点であった。神との対話も、言葉遊びにおける名前も、勝手に出来上がる妄想も、舞台を見ている時に思うことも、すべて言葉、言葉、言葉なのである。舞台の上で語られる言葉だけが演劇の言葉ではない。実際に演劇を作っているのは、声にならない観客の言葉かも知れないのだ。彼らの日常生活が築いた言葉の群れを、そして客席の今ここで紡ぎ出されている言葉同士の関係を、あらゆる手段を用いてずらし、ゆがめ、切断し、向きを変え、ひっくり返し、宙吊りにし、中断を入れ、あるいは言葉を失わせることができるならば、それだけで「空間との関係性」は変化し、「内面化の運動」には亀裂が入るのではないか。その時空間は気づかれ、肌で感じられるものに化けるのではないか。

 そう考えてこれまで演劇に携わってきた。しかし決まった方法やシステムがあるわけではなく、その場その場で考えたり、工夫したり、耳をすましたり、作っては壊したりの連続である。その過程にゲイジュツ的雰囲気が入り込む余地はなく、常に具体的な厳密さが要求される。では演出家の仕事とは何なのだろうか。正直これが今一つ分からない。やることは無限にあっても、掴み所の無さが消えることはない。落ち着かない感じは虚しさに変わり、するとついつい作っているという実感が欲しくなる。それでモノのように舞台を扱うと、充実感は得られてもよい演劇にはならない。最近よく思うのだが、この落ち着かない感じと虚しさの感覚こそが、「空間を作る」唯一の道標なのかも知れない。私は演出家として、そこに身を晒しつづけたいと思う。


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『Re:Re:Re:place 〜隅田川と古隅田川の行方(不明)〜』(c)Yuichiro Tanaka

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