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「ベルリン演劇祭」−若手演劇人のための国際フォーラム−での発表原稿 (2004.5)  高山明


 まず初めに国際フォーラムに参加できたことをうれしく思います。また、日本の演劇について、私の活動について、ここで発表する機会を頂けたことに感謝します。今日はせっかくの機会なので、日本の演劇事情について触れた後、ドイツの演劇人であり、現代演劇に大きな影響を及ぼしたブレヒトに関連して、私が行なった一つの試みを紹介します。


2.私の演劇活動
3.ブレヒト教育劇
4.今後の活動について


1.日本の演劇事情

   (略)簡単な日本演劇史と現状について


2.私の演劇活動
このような状況の中、私は東京で演劇を作っている。私達の劇団は、全く売れているわけではないし、日本の演劇界とはほとんど関係のないところで活動している。また、私が演劇教育を受けたドイツ語圏の演劇をモデルにすることも出来ない。なぜなら制度やシステムが違いすぎるし、私自身の身体や言語は「日本」と深く結びついてしまっているからである。かといって日本の伝統演劇に直接的に結びつくことは難しいし、私自身興味もない。(伝統演劇は父子相伝を基本とする極めて閉じられた世界である。あの恐ろしく豊かな演劇形式は何百年もかけて洗練されたものであり、そう簡単に触れられる対象ではない。そして、私の感覚では、伝統演劇はすでにアクチュアリティーを失っている。)つまり、私達は日本の伝統演劇から切り離されてしまっており、また西洋演劇をモデルとすることも出来ない「根無し草」なのである。その意味で、一部の批評家が言う「ジャンク演劇」というキーワードは的確である。的確どころかそれは希望の言葉でもあって、自分たちは「根無し草」であり「ジャンク」であるという認識を徹底することから出発しなければならないと私は考えている。絶望的とも思える状況だが、出来ないところ、不可能な地点に留まり続けることで生まれる演劇もあるはずだし、伝統演劇や西洋演劇を創造的に受容するためには、まず、その他者性を自覚する必要があると思うからである。
以上が私の演劇活動の基本スタンスである。実際の演劇制作における私達の劇団の特徴としては、@長期にわたるプロジェクト方式(スピードが遅く、無駄の多い活動)。A音楽・美術・映像・ダンス・文学・哲学など演劇以外の異なるジャンルから集まったメンバー。B非職業俳優の“養成”(いわゆるプロ俳優も非職業的になることが求められる)。C既成の演劇に囚われない越境的志向。D劇場に留まらない活動。E詩や散文をテクストに使用したモノローグとコロスの探求。Fパフォーマンス性の重視。G「引用」や「翻訳」といった「受容」方法の検討などがあげられる。


3.ブレヒト教育劇
 制度的な不備が絶望的なせいで、その状況を逆手に取り、かえって面白いことが出来る可能性が東京にはあると思っている。そうしたスタンスを探っていくなかで、私はブレヒト演劇から多くの刺激を受けるようになった。中期以降の大作戯曲や理論的著作より、むしろ初期における「教育劇」の試みや詩のほうが私にとって重要である。私がどのようにブレヒトに取り組んだか、一つの具体例として、「ブレヒト教育劇」を上演した記録をここに紹介したい。
まず初めに、私の「教育劇」解釈を簡単に述べる。ちなみに以下の解釈は、今回紹介する試みの前に行なったプロジェクトを通じて得たものである。そのプロジェクトでは、ブレヒトの教育劇「イエスマン・ノーマン」を、カフェやライブハウスといった劇場以外の場所で上演した。


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 ブレヒトの「教育劇」においては、舞台上で生起する事柄が作品なのではなく、舞台と観客との関係が作品の質を決める。ブレヒトは、舞台によって“生産”された作品を集合体としての観客が“消費”するという「受容」の在り方を問題にしていた。生産者・消費者という二項対立があり、観客が常に消費者に留まっている演劇に対し、二項対立を“止揚”したところで観客が作り手/批評家を同時に兼ねるような演劇への転換が目指されている。この転換によって、「受容」の内実は通常受け身のイメージで捉えられているようなものから、「“わたし”が世界との関係をどう結ぶか」=「世界を、“わたし”を、どう創っていくか」という極めて批評的/創造的なものになる。こうした転換を誘発するものとして「演劇」が機能するならば、確かにそれは“教育的”であると同時に“政治的”な『教育劇』と呼ばれるに相応しいものとなるだろう。現代における『教育劇』の可能性を探る為には、消費されるものとしての大文字の「教育」や「政治」を扱うよりも、それらの概念を上のような意味で「異化」することがまず必要になるのではないか。今「教育劇」に取り組むならば、その結果はブレヒトの教育劇とはまるで異なるものになるはずである。そこで問われるのはブレヒトではなく、「ブレヒト教育劇」の何をどのように「受容」し、今、ここに、現代の観客相手に新しい「受容」の形を創造できるか、という私たち一人一人の態度なのだと思う。私達の目標は新しい「教育劇」を作るというよりは、むしろ「ブレヒト教育劇」をどのように受容したかという一つのモデルを提示することにあったと言える。


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 まず舞台構造を説明したい。この写真を見てもらって分かるように、客席だけでなく、舞台上にも観客が座っている。彼らは舞台中央にいることに加え、お互い見合うように座ることで自他を意識せざるを得ない。人の多い広場などを歩くとき、見られていることを意識するあまり、うまく歩けなくなることがある。それと同じ原理で、見る・見られるという関係の中に身を置いてもらうことで、自分が劇を見ているのだということ、また、向かいに座っている人達から、更に通常の客席にいる観客からも見られているのだということを彼らに意識してもらう。言い方を変えるなら、普段無意識に観劇している状態を宙吊りにすること、つまり「観劇」という行為を動名詞化する試みであったと言える。また、彼らの目の前に吊られた巨大なプラスチック板が、窓や鏡や額縁の役割を果たし、「観劇」の動名詞化をいっそう強めた。俳優の演技は主に舞台上の客席背後でなされ、各俳優にそれぞれ居場所が与えられた。しかし、同じ俳優がずっとその場所に留まり続けるわけではないし、他の俳優がいる場所と入れ替わることもあった。客席の前にある狭いスペースは基本的に俳優が移動する通路のように使われる。この舞台構造では、舞台上の観客が俳優の全ての演技を見ることはない。異なる位置に座る全ての観客に同じように見える舞台を作るというのが一般的であるが、私達はその逆を行った。つまり、座る場所によって見えるものが違うわけである。更に、音響的にも座る位置によって違いが出るよう工夫した。こうした差異を強調するために、舞台上には十数個の額縁が吊られており、「フレーミング」や「フォーカシング」といった観劇行為の恣意性を意識化する仕掛けを作った。こうした舞台構造にした理由は、第一に“個人”の観劇体験を重視したかったから、第二にそれが観客という集合体の解体につながると考えたからである。
 キャスト及びスタッフについて。キャストはいわゆる「俳優」ではなく、ほとんどが「素人」である。「素人」といっても、各分野におけるスペシャリストが多かった。歌手、ダンサー、学生、仏教の僧侶、大学教授、能楽家、俳優と言った面々である。技術スタッフのほとんどは学生であった。彼らの多くにとって劇場で仕事をするのは初めての経験だったため、学習のプロセスを皆で共有するよう努めた。音楽はコントラバス、トロンボーン、アコーディオン、薩摩びわという通常では考えられないアンサンブルで行なった。いろいろな問題が生じて大変だったが、それが狙いでもあり、トラブルにどう対応するかを重視した。


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 次に全体の構成について述べる。上演は三部構成をとった。第一部が「ブレヒト演劇祭を祝うセレモニー」、第二部がブレヒトの第一詩集「家庭用説教集」を素材としたパフォーマンス、第三部が「観客」による第一部・第二部受容の記録である。第一部と第二部がいわば「上演」であり、公演のタイトル「シアターΧ・ブレヒト演劇祭における10月xx日の約1時間20分」はこの部分をさす。xxには上演当日の日付を観客自らが入れる。実際、第一部・第二部の上演に要した時間は1時間20分ほどで、それから後の15分ほどが第三部にあたる。第三部はいわゆる「上演」からはみ出した部分である。「観客」が自分の体験した「上演」を個人的な受容として発表する、あるいは今終わったばかりの「上演」を自分なりに想起する、そのような非「上演」部分として第三部はあった。この意味で、第三部は観客一人一人がそれぞれに作るものであったと言える。(しかし、私達はそのモデルを示したに過ぎず、実際には「上演」の枠を出ていなかったと言わざるを得ない。)全体の構成を押さえてもらったところで、次に第一部、第二部、第三部の具体的内容を説明していきたい。

第一部。この作品はシアターΧの「ブレヒト演劇祭」で上演された。「演劇祭」で「教育劇」上演というのはとても矛盾しているように思われたため、「演劇祭を祝うセレモニー」で上演の枠組みをパロディー化した。枠組みを茶化すだけではあまり意味がないが、第一部のポイントはむしろそれが「セレモニー」であることにあった。まず司会が挨拶をする。それからゲストの大学教授が演劇祭への祝辞を述べた後、ドイツ・リート(ブラームスの恋の歌)を歌う。続いて第二のゲストである本物の仏教僧侶が登場、日本における仏教の受容史を語り(仏教はインドから中国・朝鮮を経由して日本に入った宗教である)、私達の生はかりそめのものに過ぎず、死こそ生の内実云々といった説教をする。セレモニーの明るい雰囲気に不協和音が生じ、「家庭用説教集」にある詩“Grosser Dankchoral”(「大いなる感謝の讃美歌」)の朗読とともに、セレモニーは死者を想起する「儀式」へとその性質を変えていく。

第二部。これが「上演」の中心となった。「教育劇」というブレヒトの戯曲ではなく、「家庭用説教集」をテクストに選んだ理由をまず述べたい。「教育劇」のテクストは政治を直接問題にしており、東京の文脈ではアクチュアルさに欠けると感じた。私が注目したかったのは先ほど述べたような「教育劇」の理念である。「家庭用説教集」は親しみやすく、私にとって大変面白い。これが最大の理由である。詩を素材とした舞台に興味があったことも一因であった。加えて、「家庭用説教集」には「教育劇」の理念に通ずる革新性があると思う。「家庭用説教集」というタイトルはルターの同名の本のコピーであり、形式的に説教の文体をパロディー化している部分も多いようだ。ブレヒトは宗教儀式の力を利用して逆に宗教を批判したと言える。演劇祭という「セレモニー」でブレヒト教育劇を上演する矛盾を考えるならば、「セレモニー」の比重を宗教的儀式の方へ傾け、その力を利用して逆に「セレモニー」から演劇を解放する試みがあってよいと思う。また、「家庭用説教集」に登場する人物には、寄る辺がなかったり、神から見放されていたり、あるいは神に背を向けていたりといったように、安定した基盤というものがない。安定しているように見える状況や信仰や地位などが、実は安定したものでもなんでもなく、常に揺らいでいるのだという事実が露呈する“裂け目”が彼らなのである。(従って、彼らはあらゆる意味でアナーキーに見える。)これはブレヒト演劇の核に連動する事柄に思われる。更に、彼らの多くは虐げられている者であり、一般的には取るに足らない存在である。大道の歌のような野性味で語られる彼らは、私達「ジャンク」にとって手本とすべき人物であった。以上が「家庭用説教集」をテクストに選んだ主な理由である。

続いて演技論に話を移す。この詩集で取り上げられている者の多くがかつて実在した人物であり、すでに死者である。死者とは私達にとって他者のなかの他者と言うべき存在である。その死者という他者を「演じる」ことが、更に言えば、死者との関係の中でいかにパフォーマンスを成り立たせるかが演技上の課題となった。これは日本の現代演劇界の課題でもあり、というのも、役と役者とがどれだけ同化しているか、役者が役を生きているか否かが、未だによい演技の基準とされているからである。その結果、妙に情熱的でベッタリとした演技ばかりが無自覚に反復されている。「家庭用説教集」では、「他者」は想起されるものであり、彼らの他者としての独立性が保たれている。それは例えば“Apfelboeck oder Die Lilie auf dem Felde”(「アプフェルベク、または野の百合」)や“Von der Kindesmoerderin Marie Farrar”(「あかんぼ殺しのマリー・ファラーについて」)や“Vom Mitmensch”(「人間仲間について」)やといったタイトルから明らかなように、一人称で人物に一体化するのではなく、「xxについて」という具合に三人称で語られる。一人称もあるが、それらは引用された言葉として括弧でくくられている。以上の語りの構造を演技に反映させること、これが私達の出発点になった。そうは言っても、単なる詩の朗読は、演技の課題としてつまらないし、舞台上に血肉を持った人間がいるという事実を軽視するようでやりたくなかった。私が特に注目したのは「声」である。すでに死者となっている人達が、やはり死者であるブレヒトによって語られる。その残余が文字として残っているわけだが、その文字は舞台上で声に変わる。テクストを飼い慣らした結果ではなく、かつ、今ここにあるモノとして声を出現させること。私はそれを「死者の声の残余」として響かせたかった。その為に、以下のような工夫をした。日本人特有の口から出るベッタリとした発声を極力排し、声が独立して目の先から出るような発声を模索した(全員が出来たとはとても言えないが)。テクストを断片化する。マイクを使用し、生の声の響きと8個のスピーカーからの響きとを交錯させる。文章を不自然に分節化し、意味と音にズレを生じさせる。独特のイントネーションと儀式的で単調なリズムを繰り返す。感情を排した棒読み・・・etc。(こうした試みをするにあたり、以前のプロジェクトで行なった詩や散文のパフォーマンス、文楽の劇作家・近松門左衛門の古い日本語を用いた語りの実験が役に立った。そしてストローブ・ユイレの映画を検討することも有益だった。)ここで語りのサンプルを見て頂きたい。俳優は複数の詩を担当し、更にそれぞれの人物(「役」)との距離を刻々と変えていった。


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それから言うまでもなく、俳優の身体性も問題だった。これに関する演出上の工夫を幾つか述べたい。話は前後するが、第一部の終わりで死者が呼び戻されて第二部が始まった。俳優が舞台に上がり、隅に設置された「定位置」につく。そこには額縁が吊るされているが、初めは白い布で覆われている。俳優が白い布を取ると、額縁の中には俳優自身の白黒写真が遺影のように貼られている。その背後でこれから演じる人物についての詩を語る(映像で見てもらった部分)。語り終わった俳優が写真をはがす。写真と同じ俳優が額縁の中に見える。この時点から俳優は死者を「演じる」ことになるが、「演じる」といっても彼らはむしろ死者を「想起する」人であり、従って役と完全に一体化することはない。はがされた写真が彼らの「定位置」の一角に吊るされるように、俳優の身体は自分と役との間で、また、別の役や他の労働との間で宙吊りになっている。(ちなみに十数個の詩を用いたが、主な役としてはMarie Farrar、Jakob Apfelboeck、Olgeなどがあった。)第二部の最後は“Legende vom toten Soldaten”(「死んだ兵隊の伝説」)を用いた。詩の文句にあるように、皆死んでいく。これまで唯一「生きている人」として舞台を司っていた司会者も、兵隊になり死者の仲間入りをする。他の死者は「死者の死」を迎え、皆で「死者たちの行進」をする。やがて行進の隊列は崩れ、個々の動きは緩慢になり、最後は白い布を頭から被った状態で、吊るされた額縁の前で静止する。白い布により各俳優の個性は消え、彼らは額縁の中で見られるだけの「死体」のような存在になった。そして第三部へ。


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第三部は『「観客」による舞台受容の記録』だった。第一部・第二部を体験した観客一人一人が、それぞれのやり方で作るものであったと言える。その意味で非「上演」だったが、しかし、私達はその一モデルを「上演」したに過ぎない。私はかねがね、上演が人の記憶にどう残るか、また、上演はどのように想起されるのか、ということに関心を抱いてきた。同じ上演に接しても、一人一人の体験の質は違うはずだし、記憶のされ方も想起されるところも異なるだろう。通常「作品」と呼ばれる舞台上で繰り広げられる出来事よりも、観客の体験のほうが、更に彼らの記憶や想起のほうが、むしろ演劇の内実を作っているのではないか。極端な事態を想像してみる。目の見えない人、耳の聞こえない人、身体の一部が麻痺している人、精神が錯乱している人、そのような人が同じ上演に居合わせた。彼らの演劇体験がそれぞれ全く異なることは明らかだ。この観点を発展させ、演劇的な体験を聴覚的なもの、視覚的なもの、触覚的なもの、言語的なもの、という極端な形に分化してみた。私が予め選んだ人に「記録者」という「役」を担当してもらった。彼らは観客の代表であると同時に、「観劇」という行為をデフォルメしてみせる「パフォーマー」でもあった。舞台に立つ者や制作者はある意味「素人」であったが、この「記録者」には各分野の「プロ」を選んだ。ここには、舞台上に「素人」、観客に「プロ」という通常とは逆転した構造がある。視覚的な受容は映像作家が、聴覚的な受容は音楽家が、触覚的な受容はダンサーが、言語的な受容は小説家や劇作家がそれぞれ担当した。記録する媒体の種類、編集および発表の方法は極力各人にまかせるよう努めた。「記録者」の「役」に共通するのは、身体や言語を含めた“メディア”の使用と、リアルタイム編集という方法である。それは「観客」による「上演」受容の記録であると同時に、第一部・第二部の「上演」を素材とした、異なるアーティストによる「即興作品」であった。これら各人の「記録」はそれぞれ異なるメディアと方法で、第三部で一気に発表された。もともと散漫に構成された「上演」が更にバラバラになった。そこに統一的なイメージは認められず、ただ各々に異なる複数の「記録」/「想起」が交錯するだけである。しかし、考えてみれば「集団の単一的な記録/歴史」など幻想に過ぎぬわけで、「ブレヒト教育劇」はそうした歴史の在り方を批判する機能をもっていたはずだから、アナーキーでカオスな時空間の出現は喜ぶべきことだろう。理論的にはともかく、“複数”の記録のほうが私にはずっと面白く感じられるし、演劇における新しい感覚の活性を意図するならば、それがはじめは多くの人に違和感や退屈しかもたらさなかったとしても、勇気を持って継続すべき試みではないかと考えている。

ここで、第三部における俳優の身体性について一言述べておきたい。第二部において、彼らは観客に受容される存在であった。しかし第三部においては、彼らは白い布を頭から被り、身動きせず突っ立ているだけの“オブジェ”にすぎない。白い布には「記録者」による映像が映り、音や言葉が浴びせられた。つまり、ここでの彼らは「観客」による記録を受容する「面」あるいは「器」として機能している。オブジェと化した彼らが額縁の中にいるのはある種のイロニーである。メディアのなかで“ジャンク”のようになっていく舞台上の生身の身体は、額縁の中で展示されることで、逆説的にその身体性を際立たせる。
最後に第三部で使われた映像をお見せしたい。音と言葉がこれに重なっていたのだが、用意できなかったので単独で流す。映像作家・三行英登による「上演」の「記録」であり、彼個人の「即興作品」である。(映像)
以上、「ブレヒト教育劇」受容の一つの試みを紹介した。


4.今後の活動について
記憶と想起のテーマを発展させるべく、アルゼンチンの作家ホルへ・ルイス・ボルヘスのテクストと「忘却された東京」とが出会うパフォーマンス作品を準備している。今回は新しい試みとしてフィールドワークを「稽古」に取り入れた。稽古の在り方を問い直し、そのプロセスをどう舞台に反映させるかが課題の一つである。その後はハイナー・ミュラーの「ホラティ人」を演出する。このテクストは想起と言葉と身体の問題を、更に割り切れないものや都市の無意識を扱っている。いずれのテクストもジャンルへの懐疑、基盤となるタブローそのものの安定性を突き崩すような姿勢において、「ブレヒト教育劇」に通じるものがある。私もそれらと関わることによって、演劇そのものの基盤を問い直すような活動をしていきたい。東京で演劇を作ることの意味はここにあると思うし、ジャンクとしての私の興味もここにしかない。

今日は最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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