ort

メイン | 『素晴らしい事が終わるとき』稽古初日 »

Ort-d.d 『肖像 オフィーリア』 日比美和子(東京芸術大学大学院 音楽研究科 音楽文化学専攻)


ophelia_3.jpg
(c)萩原靖


 日本近代文学を牽引してきた作家たちの手によって、さまざまに翻案された『ハムレット』。それぞれの文豪は、作品中でおのおののオフィーリア像を創造した。たとえばオフィーリアが生きてハムレットの子供を育てていくという新解釈がユーモラスな太宰治の『新ハムレット』。しかし、新しいオフィーリア像は『ハムレット』と名のつく作品にとどまらない。太宰治の『女生徒』や夏目漱石の『草枕』、島崎藤村の『桜の実の熟する時』に登場する女性も、それぞれの主人公の名を借りて生きるオフィーリアの物語である。演出家・倉迫康史は、文豪たちが自らの青春を映して作り上げた作品に注目し、「そうした日本の“ハムレット”たちはオフィーリアをどう見ていたのか。」をテーマとしている。
 太宰治や坪内逍遥、志賀直哉などの日本近代文学のテクストと平行して読まれるのは、ミッションスクールの女生徒たちの生活を描いた如月小春の『DOLL』。こちらは近代教育の中での女生徒たちの夢見がちな日常を描いた、テンポ良い語り口のテクストである。古典的名著から現代作家の作品まで、さまざまなテクストがコラージュされた『肖像 オフィーリア』は、言い回しはそれぞれの参考テクストをほぼそのまま用いているために、「少女」の多面性を語り口であらわしているかのようにも聞こえる。坪内逍遥のオフィーリアの言う「すまいとばし思うて」なんて古風な言い回しに、『草枕』の「私は近々投げるかもしれません(身投げの意)」という大胆きわまりない冗談、『DOLL』の少女たちの無邪気で甲高いはしゃぎ声が重なると、”オフィーリア”という存在が万華鏡のように百様に受け取られることにとまどいすら感じる。コラージュによって、時空も慣習も価値観も超えて多種多様なオフィーリア像が現れるために、基盤となるオリジナルな”オフィーリア”がどんな存在であったのかを見失ってしまうように感じたからである。
 しかし、コラージュの技法そのものも、キュビズム時代のG・ブラックが述べたように、何らかのイメージあるいは対象を基底となる平面状に複数の断片を配置する、というものではない。つまり、複数の状況を一義的に定義しうる基底面を指示することはできない。ブラックは、何らかの選択がまったく別の状況への変容を可能にし、さらに、その変容は再び別の選択のための、まったく新たな状況をもたらすものだと解説している。ブラックの発言をこの公演に都合よく解釈すれば、そもそも基盤となるオフィーリアは存在しない。そして、テクストの選択によってまったく別の状況への変容を許すというやり方は、オフィーリアがそれだけ可変性に富んだ存在だということを裏付けているようだ。
 作家たちのテクストからは、そもそも少女というのが底なし沼のようなもので、発言に論理的な根拠がなく、(もちろんこれは男性の視点からの定義であるが)千の顔を持つ謎の存在であると読み取れるが、矛盾に満ちた謎の存在である少女は、男性には、時代を超えても、一生かかっても理解しえない存在だろう。なにしろ少女はある日突然、身体だけが「女」になってしまうのだから。少女の精神と身体のバランスのとれない状態は今日では、「萌え」の感情を抱く主要な要素であるし、父や兄から保護(愛)を受けるオフィーリアは「妹萌え」の対象である。そして、オフィーリアのガートルードに対する倒錯した複雑な感情。本公演が時代や空間を多層的に扱っていることで、『ハムレット』がすべての現代の現象の原型になりうるのではと感じた。
 『肖像 オフィーリア』に登場するオフィーリア像はすべての少女の代弁者である。同時に男性がこうあってほしいという女性像がすべて投影される存在。だから、オフィーリアを”つくる”男性がオフィーリアを非難するのは、自らを非難するようなものだ。女性を不思議な矛盾した動物だと非難する男性こそが矛盾した女性像を抱いているのだ。それは少女を理解できないがゆえの嫉妬や不安、あこがれなどの入り混じった感情だろう。そういった感情の裏返しに男性は女性を支配・管理したいと思うのではないか。そう考えると、状況は異なっていても、昨今話題の「女性は産む機械」発言の根っこに何があるのかもわかる気がするのだ。

TIFポケットブック
もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
mark_regional リージョナルシアターシリーズ
footer