演出ノート 倉迫康史
(c)萩原靖
*『肖像 オフィーリア』は、自由学園明日館の講堂が僕を導いた作品といえる。始めてこの講堂に一歩入ったときに、そこかしこに佇む少女たちの姿が見えた、、、ような気がした。彼女たちの姿がミレーのオフィーリア像を重なった。日本のオフィーリアたちの物語こそ、この場所にふさわしいと直感した。
*もともとシェイクスピアの「ハムレット」が日本の近代文学にどのくらい影響を与えたかには興味があった。西洋への憧れやコンプレックスとともに、シェイクスピアは日本文化に受容されていった。作家だけではない、近代の画家も大きな影響を受けた。オフィーリアはそのプロセスの中で、原作を離れ、ファム・ファタル(運命の女)敵なポジションを獲得していった。それはなぜなのか、その疑問を出発点に創作を進めていった。
*父や兄から強く保護されるオフィーリアの姿は、壁に守られているミッションスクールの女生徒の姿と重なる。しかし、保護されているというのは拘束されていることでもあり、少女たちの秘密の花園は男性社会の都合によって、壁はたやすく取り払われ、可憐な花々は蹂躙される。歴史はそのことを証言している。
*しかし、少女たちの物語を作ったとはいっても、それはしょせん男性目線のものでしかない。どうやらそうらしい、としか言えない。少女たちの謎は謎のままでよいとした。
*Ort-d.dの主要メンバーで固めた重厚なハムレット・ストーリーと、若々しい女優陣が躍動するミッション・スクールの女生徒たちの物語、その味わいの違いを楽しんでいただきながら、最後に皆様の心に一つの大きな感情を残すことができたら、幸いと思う。