ort

« 『素晴らしい事が終わるとき』Sherry Kramer来日 | メイン | [2/8掲載] 作品解説 »

演出ノート  倉迫康史


opelia_1.jpg
(c)萩原靖


*『肖像 オフィーリア』は、自由学園明日館の講堂が僕を導いた作品といえる。始めてこの講堂に一歩入ったときに、そこかしこに佇む少女たちの姿が見えた、、、ような気がした。彼女たちの姿がミレーのオフィーリア像を重なった。日本のオフィーリアたちの物語こそ、この場所にふさわしいと直感した。

*もともとシェイクスピアの「ハムレット」が日本の近代文学にどのくらい影響を与えたかには興味があった。西洋への憧れやコンプレックスとともに、シェイクスピアは日本文化に受容されていった。作家だけではない、近代の画家も大きな影響を受けた。オフィーリアはそのプロセスの中で、原作を離れ、ファム・ファタル(運命の女)敵なポジションを獲得していった。それはなぜなのか、その疑問を出発点に創作を進めていった。

*父や兄から強く保護されるオフィーリアの姿は、壁に守られているミッションスクールの女生徒の姿と重なる。しかし、保護されているというのは拘束されていることでもあり、少女たちの秘密の花園は男性社会の都合によって、壁はたやすく取り払われ、可憐な花々は蹂躙される。歴史はそのことを証言している。

*しかし、少女たちの物語を作ったとはいっても、それはしょせん男性目線のものでしかない。どうやらそうらしい、としか言えない。少女たちの謎は謎のままでよいとした。

*Ort-d.dの主要メンバーで固めた重厚なハムレット・ストーリーと、若々しい女優陣が躍動するミッション・スクールの女生徒たちの物語、その味わいの違いを楽しんでいただきながら、最後に皆様の心に一つの大きな感情を残すことができたら、幸いと思う。

TIFポケットブック
もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
mark_regional リージョナルシアターシリーズ
footer