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2008年02月06日

もくじ

アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング公演詳細はこちら


■『素晴らしい事が終わるとき―歴史とわたしとバービー人形―』
When Something Wonderful Ends a history / one woman, one Barbie play

「可愛くて…やがて恐ろしきバービー人形」目黒条(翻訳)
「芝居とわたしと9・11」工藤千夏(演出)

◎稽古場日誌(TIFスタッフ:舟川絢子)
1. 稽古初日
2. 稽古2日目 「工事開始」
3. 稽古3日目「受難」
4. 稽古4日目 「リーサルウェポン」
5. Sherry Kramer来日
6. アメリカ戯曲シリーズ開幕

ポスト・パフォーマンス・トーク(2月3日)


■『DOE 雌鹿』
DOE

「生―性―死の燃えあがる三角関係」小澤英実(翻訳)
「めすのしかとめすのひつじ 〜目を閉じて書く女、トリスタ・ボールドウィン〜」羊屋白玉(演出)

ポスト・パフォーマンス・トーク(2月3日)


■『アダムの後に』
After Adam

「幽霊はだれか」川島健(翻訳)
「ああ、こいつぁ複雑だとも」中野成樹(演出)

ポスト・パフォーマンス・トーク(2月4日)

2007年04月09日

『アダムの後に』ポストパフォーマンストーク(2月4日)


トーク出演者:
大久保聖子(TIF)
クリスティーナ・ハム(劇作家)
中野成樹(演出家)
吉田恭子(アーツ・ミッドウェスト)


大久保:お待たせいたしました。ただいまからポストパフォーマンストークを始めたいと思います。私東京国際芸術祭の大久保と申します。よろしくお願いいたします。(拍手)ではご紹介したいと思います。この『アダムの後に』の作家でいらっしゃいますクリスティーナ・ハムさんです。(拍手)演出を担当されました中野茂樹さんです。(拍手)通訳はアーツ・ミッドウェストの吉田恭子さんにお願いいたします。(拍手)
まずは中野さん、おつかれさまでした。なかなか大変な戯曲で、私もプレイライツセンターからこの戯曲が送られてきたときに読み切れなくて・・・この企画のアドバイザーでもある演劇評論家の内野儀さんにSOSコールをして「読めないので助けてください」とお願いしたんですけれども。最初この戯曲に目を通してみた時はいかがでしたか?

中野:はじめにこのお話をいただいたときに、アフリカ系の方が書いた台本で、原文の英語もちょっと言葉遣いがなまっていたり、文法がむちゃくちゃだと聞いていました。最初大久保さんは、多分アフリカ系のすっごいノリのいい、Yo! Yo!みたいな話だろうって言ってたんですよ(笑)それで、楽しそうだなーっと思っていたら・・・おい、ちょっと待てよ!という感じでした(笑)結果的には楽しかったですけど。

大久保:翻訳された日本語を読んだときに「あっ、違う・・・」と思いましたよね(笑)テキストの一番最初に登場人物のアフリカ系アメリカ人家族4人の名前が出てきて、どういう文体、どういうテイストで書かれているのかが最初なかなかわからない状態から読み進めていたんですが、これは別にアフリカ系アメリカ人だからっていう話じゃない、ということが分かって、そこからようやく台本の読み込みが始まったという感じですね。

中野:言葉遣いの問題や翻訳のすりあわせには正直今回は手が回らなかったというか。今回のリーディングで『アダムの後に』という作品が紹介しきれたとは全然思っていなくて『アダムの後に』という作品の紹介が今日から始まった、と考えています。その構造はこうだ、とか、こういう仕掛けがあるんだ、と分かって、じゃあこれを日本人がやるとしたらどういった日本語の口調に直してどういった物語として提示すればいいかというのは・・・来年誰かやって下さい(笑)。本当にやって下さい。


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大久保:クリスティーナ・ハムさんに伺いたいのですが、この作品を書こうと思ったきっかけを教えていただけますか?

クリスティーナ:きっかけは、実際に私の父が癌によって家で死を迎え、私もその場に立ち会ったことです。とはいっても勿論、ここに描かれた家族の苦しみが私の自伝的なものであるということではありません。ただ私は死に向かう悲しさと、そして今まで生きてきた人生でやり残したことや心残りなこととどのように向き合うかということをこの作品を通して探りたいと思いました。

大久保:クリスティーナさんはいつもこのような文体というか、作劇法で戯曲を書かれているのでしょうか?

クリスティーナ:いいえ。作品の描きたい内容によっても文体は変わりますし、特徴的な黒人英語を使って書いたのはこの戯曲だけです。

大久保:お父様の死の悲しみを乗り越えながら書かれたことと思うんですけれども。この作品はもう11回ぐらい書き直されているそうですが、書き直すプロセスでどのようなことが起こったんでしょうか?

クリスティーナ:5年前に父が亡くなった時から書き始めたのですが、最初に書いた後に悲しみがおさまるのを待つことも必要でしたし、はじめは感情的なテキストだったのでそれにどのような構造を与えるかということに終始しました。そして、実は書き終わったのは叔父が亡くなった時でした。この作品は父と叔父という私の人生に大きな影響を与えた2人の男性の死に挟まれて書かれた作品です。

大久保:最初にもらったドラフトを一度翻訳し終えた後、本番2週間位前だったでしょうか、新しく書き直した最新版が送られてきたんですが、前のドラフトから比べてまるで新しい台本のように書きかわっていましたよね。エピソードは残っていたんですけれど元々の台詞はほとんど残っていない状態でものすごい書き換えがあったんです。客席にドラマトゥルクの長島さん・・・「解説の長島さん」がいらっしゃいます。新旧の台本でどういう移り変わりがあったかということと、まだ翻訳の途中というか、この2週間ものすごい時間と労力をかけて翻訳の川島さんと長島さんでやってくださっていたんですけども、その過程でどのようなことがあったのかということと、クリスティーナさんとどのようなお話をされたのかということを伺えますか?

長島:実は新しいバージョンがある、ということが一月中旬になってから分かりまして、翻訳の川島さんも制作の大久保さんも私も仰天して、その後すいぶん嫌な汗をかきました。ただ、この作品が面白いのが、中野さんも解説で言っていましたが、色々な謎めいた重なりや繋がりが、図式的に簡単に分かる形ではなく、ある時に重なったりある時に戻ったり、それがいつなのかが分からないような形で書かれているということです。けれど同時に読み解くのが大変で、そのことをさぐっていくのにこの2週間終始した感じでした。
その構造に関しては中野さんからもぜひお話いただきたいと思います。中野さん、この劇の構造、準備していくなかでも少し一緒にお話しましたけれど、こことここがこう符合して、こう落ちるというような、いわゆる分かりやすい西洋の作劇法とは微妙にはずれたところで成り立っているような気がするんですけれど、どう思いますか?

中野:そうですね。例えばタンクという役の人が2幕になると親父になる、と戯曲上に書いてあります。そこだけ指定してあって、他は指定していない。分析していくと、統一感があるようで統一感がなくて、統一感がないようで統一感がある脚本なんですね。全部こういう法則で来てるのかと思えば全然変則で反対側から来たりして、3拍子かと思っていたら、変拍子、プログレ、という感じでした(笑)。

大久保:どうですか?クリスティーナさん。

クリスティーナ:当然、混乱させようという意図を持って書いたものではないんです。ですがこの芝居の中で描こうとした狂気を表現するにあたって、そういう通常ではない構成にした、ということはあると思います。

大久保:父親が精神分裂だったから自分にもそれがあるかもしれない、けれども母親の血も入っているからそうはならないかもしれない、みたいな「血は争えない」的な恐怖があってそれがすごく痛いというか分かる部分でもあって、全体の話を聞いたときには私には理解できる、共感できると思いました。この作品自体はアフリカ系アメリカ人の文化的背景のなかになければならない理由みたいなものはあるのでしょうか?

クリスティーナ:私はアフリカ系アメリカ人の劇作家なのでアメリカでもアフリカ系アメリカ人のコミュニティに特徴的な、あるいはその中で完結される作品を書くのではないかと思う人がいますが、私はそういうつもりはありませんし、私の作品もそうではないと思います。どの民族に対して書いているわけでもどの民族について書いているわけでもなく人類という民族のことを、彼らに向けて書いているつもりです。

大久保:死の儀式に関するエピソードが要所要所に盛り込まれていて、それが大変印象的でした。

クリスティーナ:色々な文化に死の儀式がありますが、そういうものを盛り込むことによって共通性を探りたかったのです。

大久保:客席の皆さんにもマイクを向けてみたいと思います。どなたか質問のある方はいらっしゃいますか?

観客1:作者のクリスティーナさんに伺いたいのですが、劇中で二グロ英語による表現をされていますが、これはクリスティーナさん自身が元々の母国語として持っていたものですか?もうひとつは、誰に聞いていいのか分からないんですが、お話の中にありました書き換えについて、書き換えられる以前の第一稿は、既に完成した作品だったのですか?それとも、書き換えられたものをもって完成したのですか?

クリスティーナ:まず最初の質問に対してのお答えですが、この作品で使われている英語は私がいつも話しているものではありません。私はいつも標準英語を話しています。この戯曲では否定形を二度重ねたり、文法的に文章が完結していなかったりといったニグロ英語の文法上の特徴や、たくさんのスラングを用いていますが、これらは私が普段話しているものではありません。二つめのご質問ですが、最初に書いた第一稿は、未完成のものだとはじめから思っていました。感情的な状態の中で書いたものでしたので。今回上演されたのは、感情的なものを整理して、完結版といえるものにしたものです。

観客1:お父さんも作中のようなニグロ英語は使っていなかったのですか?

クリスティーナ:いいえ、私の家族もニグロ英語は使っていませんでした。私が使ったニグロ英語は、南部地方に特徴的といわれる英語です。動詞や人称代名詞を省略するのが特徴的です。

観客2:今回のリーディングを見て、日本で馴染みのあるアーサー・ミラーの作劇法、たとえば親子関係や女性の描き方などを引き継いでいらっしゃるという印象を受けました。また、一人の人間の中に複数の人格がある、という点では映画のサム・シェファードを思い起こさせるものでもありましたので、クリスティーナさんはとても正統なアメリカ演劇の継承者であるとお見受けしたのですが、一方でスーザン=ロリ・パークスさんのようなアフリカ系アメリカ人固有の経験を告発するというか書いていく女性作家やアフリカの伝統についてはどのようにお考えですか?

クリスティーナ:おっしゃった先駆者のことはとても意識しています。私がアフリカ系アメリカ人劇作家としての使命だと思うのは、アメリカの観客に対して、アフリカ系アメリカ人のいわゆるステレオタイプを少しでも減らすということです。たとえばアフリカ系アメリカ人はみんな精神的に破綻した部分があるだとか、みんなドラッグをやっているとかいうステレオタイプのイメージがあるので、そういう枠を少しでもはずせたらと思っています。

ポリー:クリスティーナの今の答えに少し補足します。アメリカで芝居を見る観客は、まだまだ特権的な階級、と言うと言い過ぎかもしれませんが、その多くが白人です。なので、アフリカ系劇作家はある種のものを期待されているのです。さきほどクリスティーナが大変美しい表現をしましたが、他の劇作家と同じように特定の民族ではなく人類全体について書きたい、と思っているアフリカ系の劇作家の意図と観客が期待するものの間にはせめぎあいがあります。嘆かわしいことですが、これがアメリカ演劇の現状であり、問題でもあります。

大久保:ありがとうございます。そろそろ時間になりますのでポストパフォーマンストークを終えたいと思います。ありがとうございました。


写真:篠田英美
文責:舟川絢子

2007年02月14日

[2/14掲載] 『素晴らしい事が終わるとき-歴史とわたしとバービー人形-』

『素晴らしい事が終わるとき-歴史とわたしとバービー人形-』ポスト・パフォーマンス・トーク
(2月3日)

トーク出演者:
大久保聖子(TIF)
シェリー・クレイマー(劇作家)
工藤千夏(演出家)
吉田恭子(アーツ・ミッドウェスト)


大久保:お待たせいたしました、ただいまから『素晴らしいことが終わるとき 歴史とわたしとバービー人形』のポストパフォーマンストークを始めたいと思います。わたくし東京国際芸術祭の大久保と申します。よろしくお願いします。では早速ご紹介したいと思います。作家のシェリー・クレイマーさんです。(拍手)演出の工藤千夏さんです。(拍手)通訳はアーツ・ミッドウェストの吉田恭子さんにお願いいたしします。(拍手)そして今日はもうお一方ゲストをお呼びしております。シェリーさんのバービーちゃんです。

シェリー:(人形を見せながら)バービーです。よろしく(笑)

大久保:私はこの作品を2年前にプレイライツセンターのプレイラボというリーディングのフェスティバルでシェリーさんご本人が読んでいらっしゃるものを見て、こんな興味深い力強い戯曲を書いている方が今のアメリカにいるということにとても喜びを感じました。そしてぜひ日本で紹介したいと強く思いました。昨年は無理だったのですが、今年念願の来日をしていただくことができて本当に嬉しく思っています。シェリーさん、この戯曲が書かれた背景についてお話いただけますか?

シェリー:書かずにはいられなかったのです。9.11の後、9.11について書かないということはあり得ないと私は感じました。ではどう書くのか、というジレンマはありましたが、私の表現としてはこういう形になった、ということです。


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大久保:この作品ではバービー人形とお母さまの思い出を一緒に語っていますが、この2つを組み合わせようと思ったのはどうしてですか?

シェリー:実際に母が亡くなった後に家の整理をするために実家に戻ったのですが、その時に実際にバービー人形も出てきました。その思い出が甦ってきてそこに私が浸っているちょうど同じ頃、中東の歴史についても知りつつあって・・・戯曲に書かれているのとほぼ同じ状況に、私も実際にあった、ということです。

大久保:この作品は2004年に書かれてから全米の劇場で何回かリーディング公演を重ねてきています。今回日本で上演した新しいバージョンには、最初に書かれたものから付け加えられたり削られたりした箇所が随分ありましたね。この3年間の間にどのような変化を遂げてきたのでしょうか?

シェリー:この戯曲は2004年に書き始め、2005年に書き終えました。改稿にあたっては、休憩なしで90分以内におさめたい、ということと、はじめは私が自分で演じていたのですが、他の女優にも演じられるようにしたい、ということを念頭においていました。

大久保:シェリーさんは女優でもあるのですか?

シェリー:いいえ、私が演じたことがあるのはこの作品だけです。

大久保:では次に演出の工藤さんにお聞きします。今回工藤さんに演出をお願いしたのは、昨年お呼びした演出家マック・ウェルマンさんがニューヨーク市立大学のブルックリン・カレッジで教えていらっしゃるのですが、そこに日本人の学生がいる、ということで昨年紹介していただいたのがきっかけでした。この戯曲を最初に読まれた時はいかがでしたか?

工藤:一番最初に読ませていただいた時は、目黒条さんの翻訳がとても素晴らしかったのですが、それでも長くて難しいな、というのが第一印象でした。英語を日本語に直すとどうしても長くなってしまって、シェリーさんは1時間半とおっしゃいましたが、日本語でそのまま読んだら2時間は超えてしまうだろう、と思いました。今日の舞台では3人で演じていますが、もともとの戯曲は一人芝居なんですね。この長い戯曲を一人でしゃべりまくったシェリーさんという方は、いったいどれだけパワフルでエネルギッシュな方なんだろう、と。そしてこの劇場を昨年拝見していましたので、2時間一人でやるということがここで成立するんだろうか、ということをまず考えました。


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大久保:考えつく限りの女優さんの名前を並べて考えましたね。私が最初にシェリーさんの舞台を見たときには渡辺えり子さんかな、と思ったりしました(笑)。3人に分けようと思ったのはどうしてですか?

工藤:まず、時間を少しでも短くするためです。一人が全て話すとなると、段落が変わるときにどうしても息継ぎをしたり気持ちを切り替えるために間をとらなければいけませんが、3人にしたらその間を重ねられるな、と。それから、この戯曲は一人語りではありますが、歴史的なことを語る部分と母親の話というパーソナルな部分、そしてバービーにまつわる思い出話、という3つの部分に分かれると思いました。その3つについて一人の人間の内部で話し合う、という形にしたらより伝わりやすくなるのではないかと感じました。
それから、今回の上演台本では元々の戯曲に書かれているト書きをかなり変えています。バービーのイメージや動きを提示するときに、実際にシェリーさんが演じられた時の台本では本物のバービー人形を手に持って見せる、という指示だったのですが、この広さの劇場で同じことをしても小さすぎてお客様も見ていてピンと来ないだろうな、と思いまして。だったらいっそ大きな、人間のサイズのバービー人形を出したい、バービーに洋服を着せるシーンを人間でやりたいな、と思ったのが多分一番大きな理由で、今回のリーディングはそこが一番ミソだ、と思いました。


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大久保:パンフレットにも書いてありますが、工藤さんは9.11のときちょうどニューヨークにいらしたそうですね。

工藤:そうなんです。ちょうど、先ほどお話にありましたマック・ウェルマンという劇作家のワークショップを受けていました。911の後に「今考えていることを10分のショート・プレイにする」という課題が出て、その時に、変な言い方ですが「あぁ、私ってアメリカにいると外人なんだな」ということを痛感したんですね。アメリカ人が9.11に対して感じたのは、簡単に言えば被害者意識だったんです。私は当然そうは感じなくて、何故それが起こったのかをどうして一緒に考えられないんだろう、という疑問の方が大きかった。なので、シェリーの戯曲に出会った時は「アメリカ人でもこういうことを一緒に考えてくれる人がいるんだ、こういう戯曲を書いてくれるすごい劇作家がいるんだ」ということにとても嬉しい驚きを感じました。「アメリカの政府は私たちを失望させてきたし、今も失望させているし、これからも失望させ続けるでしょう。でも・・・」という台詞は、なかなか書けるものではないと思います。これを書ける人には今まで私は出会えなかったので、この戯曲を演出させていただけて嬉しかったです。

さっきからアメリカ、アメリカと言っていますが、日本でも同じことだと思うんです。アメリカの人たち、日本の人たち、という境界があるのではなくて、一緒の話なんだな、と今回演出させていただいて改めて強く感じました。この戯曲は「アメリカ人はこう考えていますよ」ということを提示するだけではなくて、同じ地球で息を吸っている私たちが今何を考えなければいけないのか、というところまで一緒に考えさせてくれるものだったと思います。

大久保:この戯曲はまだフルプロダクションによる本公演はされていないのですが、アメリカで上演したときの、アメリカ人観客の反応というのはどういったものだったのですか?

シェリー:今のところ好評です。この夏カリフォルニアでも上演しましたが、そのときも観客はポジティブに受け入れてくれました。この3月にはHumana Festivalでフルプロダクションで上演されることが決まっていますし、フィラデルフィア、ニュージャージーでも上演されることになっています。


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大久保:シェリーさんはミズーリ州スプリングフィールドご出身ということですが、戯曲の舞台としても登場するスプリングフィールドでの上演は考えていらっしゃいますか?なかなか難しいことかもしれませんが。

シェリー:この作品も含め、私の作品がスプリングフィールド、そしてミズーリ州内で正式に上演されたことはまだありません。大学のプログラムの一環で上演したことはありますが。でも、近いうちに家を引き払ってミズーリ州を出ることになっているので、その前には一度しっかりと読んでおきたいと思っています。

工藤:戯曲の中に出てくる弟さんが、もしこのお芝居を観たことがあったらどんな感想をお持ちになったのか興味があるのですが(笑)。

シェリー:実は弟は早い段階でこの戯曲を読んでいまして、この戯曲に出てくる弟に関する記述については否定していました。でも彼の娘たちは「ここに書いてある通りよ」と言っていました。結局戯曲の中では彼の個人名は伏せることにしましたが。


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大久保:ではここからはお客様からの質問を募りたいと思います。質問のある方はいらっしゃいますか?

お客様:とても面白く拝見しました。この戯曲では、人形に関する個人的な思い出話と今の世界情勢という大きな話が同時に語られていて、私はその間に大きなギャップを感じるのですが、その間を埋めるものは何ですか?

シェリー:答えは2つあると思います。ひとつは1964年という時です。私が実際に生きながら、世界で何が起こっているかということに全く気付いていなかった、それと同じ時に、世界のどこかではとても大きなことが起こっていた。その状況を描いたこの戯曲自体が、そのギャップを埋めるものであるとも言えると思います。その媒介として、「私」という個人や女優がいる、と考えています。もうひとつは、「母」という存在です。誰にでもある共通の、普遍的な存在である母親が、ギャップを埋めるいわば交通機関の役割を果たしていると思います。

工藤:私は、そうした大きなことと小さなことの両方が均等に、ランダムに描かれていることがこの戯曲の魅力だと思います。その間に「死」というものが媒介にあることは確かですが、何千万人の死も母親の、自分にとって一番大切な人の死も、どちらが大変な死だとか、どちらの方が大きな悲しみだということはない、というメッセージがこの戯曲の中にもあります。小さいことに引き寄せた方が、大きな、たとえば戦争などの悲しみも、自分たちのものとして感じられる、ということを提示している戯曲だなと感じました。「テロで何千人が死にました」と聞くと、ニュースとして、新聞で読む記事として、自分とは関係ないことのように、毎日毎日そういうニュースを聞いているので、「あ、まただ」と通り過ぎてしまう。でもその何千人のうちのひとりひとりが家族がいたり、自分の弟だったり父親だったり恋人だったり、ということが想像できると全然違ったものに見えてくる、ということの手がかりになる戯曲だと感じています。


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お客様:この戯曲を書き終えたのが2005年ということですが、今後上演を重ねるにあたって2005年以降の情勢も含めて書き直されることはあるのでしょうか?それとも、それについては演出家に任せられるのでしょうか?

シェリー:大変興味深い質問ですね。今すぐに答えは出ませんが、戯曲というものは永遠に書き終わることはない、と私は考えています。この戯曲も、現状を取り入れてアップデートしていくこともありうると思います。

工藤:最後にシェリーさんに。素敵な戯曲をありがとうございました。今回のリーディングでは、話題の移り変わりをはっきりさせるために章ごとにタイトルを英語と日本語で入れたのですが、英語版にはシェリーさん自ら、素晴らしい女優として参加してくださいました。ありがとうございました。

シェリー:ありがとうございます。私にとっても素晴らしい、めったにない経験でした。皆さんにお礼申し上げます。

大久保:ありがとうございます。それではちょうど時間となりましたので、ポストパフォーマンストークをこのへんで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。


写真:篠田英美
文責:舟川絢子

[2/14掲載] 『DOE 雌鹿』ポスト・パフォーマンス・トーク

『DOE 雌鹿』ポスト・パフォーマンス・トーク (2月3日)

トーク出演者:
大久保聖子(TIF)
トリスタ・ボールドウィン(劇作家)
羊屋白玉(演出家)
吉田恭子(アーツ・ミッドウェスト)


大久保:お待たせいたしました。それではポストパフォーマンストークを始めさせていただきたいと思います。わたくし東京国際芸術祭の大久保と申します。よろしくお願いいたします。ご紹介いたします。この作品の作家であるトリスタ・ボールドウィンさんです。(拍手)演出をされました羊屋白玉さんです。(拍手)
あまりアフタートークで解説のようなことはしたくない作品なので、会話をしながら進めていきたいと思います。通訳はアーツ・ミッドウェストの吉田恭子さんにお願いいたします。
このドラマリーディングのプロジェクトは昨年から初めて今年で2年目なのですが、昨年はあまりできなかったことなのですが今年は劇作家の方たちに稽古場に入っていただいて一緒に上演台本を作るということを実験的にやってみました。トリスタさんは30日に来日されて翌日からびっちり稽古についてもらっていました。最初の稽古ではディスカッションをしたんでしたね。

羊屋:そうですね、トリスタさんがいらした時は稽古5日目ぐらいで、今はどんな感じで進んでるの?という話をして、すぐに稽古場に来てくれました。その日の夜けっこう遅くまで解釈の話をして、それからほとんど毎晩稽古の後はご飯を食べに行ったりしながら解釈の交換をしてきました。でも最後にはいつも「決めるのはあなただから」と。本当は冒頭のシーンは元の台本にはないんですが、私がやりたいと言っておそるおそる見せたら、トリスタが「私は好き」って言ってくれたので、つけました。


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大久保:この作品はすでにアメリカで本公演として上演されていると聞いています。おそらくトリスタさんは自分の作品のイメージがかなり強くお持ちだったのではないかと思うんですけれども、羊屋さんのプロダクションを最初に日本語でごらんになった時はどう思われましたか?

トリスタ:もちろん私は日本語は分からないので翻訳のことについては何も言えないんですが、舞台を見た感覚では、私が伝えたかったものはアメリカでの上演よりも今回のリーディング公演の方が明確に伝わっていたと思います。

羊屋:最初に話したときに、アメリカの演出家は、その演出家だけがそうだったのかもしれないですけど、白か黒かしかなくて、グレーゾーンの部分があまり伝わらなかったというふうに聞きました。グレーゾーンとはトリスタは言ってなかったんですが、中間の部分と言ったらいいんでしょうか。そういう「中間」を演出するのは得意だよ、とその時の勢いで言っちゃって(笑)中間が分かるってことはインテリジェンスなんだよ、と変な説得をした記憶があります。

大久保:初日の稽古の後、トリスタのメモ帳がメモでいっぱいになっていて。何か気に入らないことでもメモしているのかと思ったんですが(笑)、そんなことはなかったですよね?

羊屋:もちろん、あれは嫌い、これは好き、というコメントはしてくれました。でもこれは、私の好みであって最終的な決断はあなたに委ねる、と。そこで私も、自分がどういう解釈をしているかを伝えました。でも解釈と実際に舞台上で見えるものは違うものだから。もちろん解釈がトリスタと合っているところが多ければ多いほど幸せだとは思ったけど、違う部分が多かったら今回どうなっちゃってたんだろうと思います。幸い解釈の感じが似てたので良かったですけど。


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トリスタ:最初に稽古場に足を踏み入れた時には、とても興奮しました。白玉さんはとてもたくさん自分の解釈をこの作品に取り入れていました。実ははじめは、もっとストレートなリーディングになるのかと思っていたので、これは嬉しい驚きでした。たくさんの解釈を持ってきてもらったので、私の方としてもその返答としてコメントを返した、という感じです。ただ、稽古に立ち会うプロセスの中で白玉さんが何を見てご自分の解釈に至ったかということも私には分かってきましたので、それについてしっかりと話し合うことができました。例えば言葉や文化も違うわけですから、そういう部分の問題なのかとか、あるいは解釈の問題なのかといった、非常にハイレベルな、深い話し合いができたと思っています。

大久保:舞台の最後には、元々はもうワンシーンあったのですが、結局本番では上演されませんでした。どのような経緯で削られたのですか?

羊屋:はじめは元の台本の最初と最後に場面を付け足していました。元の台本はジャンが服を脱いで仁王立ちで終わる、というところで終わっているんですが、その後にもうワンステップつけたんです。でも、それはカットしたんですね。トリスタは主人公のジャンが、Eにも男性にも何にもすがらないで自立することを表現するために、ラストシーンはジャン一人を舞台に立たせて終わらせたい、と言いました。それに対して私は、稽古前からジャンとジョンとEの3人でひとり、というイメージを持っていたので、3人で始まって3人で終わるのはどうか、と言ったんですね。それは、私が今まで習慣のようにやってきた作り方が今回他人の作品を演出するにあたって噴き出てしまった部分もあるんです。私の「指輪ホテル」というカンパニーでは女性しか出演しません。女性だけが舞台にいて、色々な問題を女性だけで解決していく、という成長物語が多いんです。何故男も女も地球上にいるのに女性だけでやっているかというと、よくあるテレビドラマなどの、たとえば松たか子だとか松嶋菜々子だとかヒロインがいて、男の人がいることによって成長していく、というパターンが私にはどうしても気持ち悪かったからなんです。女性だけで物事を解決するということは実生活ではあまりあり得ないんでしょうけど、指輪ホテルの舞台ではそういうのがあってもいいんじゃないかなと思って作ってきたんですね。私はこの戯曲のジョンもEも、ジャンの中にある部分を映し出す存在として解釈していました。でも最終的にはシナリオ通りジャン一人で終わらせることにした。それは「ジャンの中にあるジョンという部分、Eという部分をしっかり決別させる」という解釈ならできる、と思ったからです。今まで自分ではそういう演出はしたことがなかったのですごく怖かったんですけど。最終的にはジャン一人を舞台に残して終わる、というトリスタの意見に賛成し、じゃあそのためにどう解釈し直したらいいだろう、と考えて話し合って、結局あのような形になりました。

大久保:そのプロセスに立ち会っていて、トリスタさんはどのように感じられましたか?

トリスタ:どうして3人で終わるシーンを付け加えようと思ったのか、ということを知りたかったのであって、決して自分が考えていたことと違うからと怒ったということはありません。むしろそういうシーンを見せてもらって、そのシーンを付け加えた方がいいのかを真剣に考えたことで、お互いにどのような解釈の違いがあるのかがよく分かったのでとても勉強になりました。あのシーンを経てこそ今の最後のシーンの演出が活きているのだと思います。


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大久保:観客の皆さんにもマイクを向けてみたいと思います。何か聞いてみたいことなどありましたら挙手をお願いできますか?

お客様:ちょっと話が見えなかったんですけれども、付け加えられたものと削られたものというのが明確に分からなかったので、どういうことなのかもう一度教えてください。もうひとつ、Eの言葉が男性風の言葉になっているのは、元の台本でそうなっていたのですか?それとも翻訳の段階で加えられた脚色ですか?

羊屋:まず付け加えた部分と削った部分という話について。最終的な上演台本は、元の台本にプロローグをつけた形になりました。元の台本から削られた部分はありません。最初は、プロローグとエピローグを付け加えることを考えていたのですが、協議の結果エピローグは付け加えないことになった、ということです。
ふたつめの質問は、Eの一人称が「俺」ということについてですよね。あれは、小澤英実さんの翻訳では全て標準語だったんですが、Eを演じた女優が東北の宮古出身で、彼女のお国言葉にしてもらったんです。あの地方では女性も一人称に「俺」を使うんですね。正確には「おれ」と「おら」の間なんですけど。私も男っぽく聞こえてしまうかなと思って、「おら」と「おれ」の中間ぐらいの発音にするように言ったんです。

大久保:どうして宮古の言葉にしようと思ったのですか?

羊屋:ジャンとEの会話を、姉妹に見えたり親子に見えたり友達に見えたりと、色々な女同士の関係に見せられるといいなと思いました。Eは、田舎から都会に出てきて結婚もしたジャンが本当は大切にしなければならなかったんだけれども生活していく上で捨ててきてしまった部分。Eの奔放さは、ジャンが捨ててしまった部分、置き忘れてきた部分だと解釈しました。あと、Eを演じた女優が普段も時々宮古弁で喋るんですが、その響きが私自身気に入っていたこともあったので、今回Eの台詞は宮古弁で、とお願いしました。


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大久保:他にどなたかいらっしゃいますか?

お客様:今日はとても面白い試みの舞台を見せていただいて、ありがとうございました。先ほど、グレーの部分をどう扱うか、というお話がありました。先ほどの話は、登場人物のパーソナリティやジェンダーについてのことだと思うのですが、今日見せていただいて、台本自体がグレーなものとして扱われているのかな、という印象を受けたんですね。先ほどトリスタさんが普通の朗読を想像されていたとおっしゃいましたが、今日観に来た人もそうだと思うし僕自身もそういうものを思い描いてきたんです。普通の朗読だったら本はそこにないものとして扱われると思うんですが、今日の舞台ではそうではなくて、演劇的にも使われていましたし、場合によってはないものとして使われていたように思います。そのあたりの演出の意図をお話いただければと思うんですが。

羊屋:台本はほとんど手から離さないでやろうとしていたんですね。戯曲を読んだときに、これはリーディングであると同時に会話劇であって会話をしないとどうしようもない、だから手の延長線上に台本があるぐらい密着した関係を体と台本の間に作らなければいけないと思いました。そうするとさらにその延長線上で小道具にもなりえるんじゃないか、と思って。稽古を進めていくうちに、役者たちが台本を離してしまうんじゃないかとすら思ったんですが、台本を持つということ、手に持った台本が客観的に自分を見つめてくれる、小道具を超えた役割まで果たせたらいいなと思うようになりました。どこまでできていたかわかりませんが、今回出演してくれた熊本さんはご一緒するのは初めてですが舞台は何度も拝見していましたし、あとの2人は何度も一緒に仕事をしてきたので、私が描いている世界観は分かってくれるだろうと思っていました。

大久保:では最後にどなたか。

お客様:プログラムに書いてある、「目を閉じて書く女 トリスタ・ボールドウィン」というのは本当ですか?

羊屋:トリスタと話していると、たまにジョークなのかシリアスなのか分からなくなるんですが、まぁ私もそれが楽しいんですけど、「私、目を閉じて書いてるから」ってトリスタ本人が言ったんです。で、それいいな、と思って書いてみました。トリスタ覚えてるかな?

トリスタ:(笑)もちろん本当に目を閉じてパソコンを打ってるわけではないんですけど、あまり考えすぎずに書こうとはしています。意識はある程度殺した状態で書きたいと思っているんですよ。いつもと同じ状態で書いたのではあまりにノーマルだし、戯曲を操作するという作風になってしまうのを避けたいと思っているので。


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大久保:そろそろポストトークを終えたいと思いますが、さっきから羊屋さんの手の中になにやら気になるものがチラチラと見えていて・・・これは何ですか?鹿?

羊屋:これはミネソタのおみやげにトリスタからもらったんです。ミネソタにはたくさん鹿がいるそうで。私も北海道出身なので鹿はよく見ていたので、お守りにしています。トリスタには今日花札をあげたんです。「猪鹿蝶」は一番得点が高いんだよ、と説明しました。

トリスタ:アメリカには”Deer in the head light”という言い回しがあります。鹿が車道に飛び出して車のヘッドライトに照らされた時に、目を見開くだけで逃げることもできずに立ちつくしている様子に由来する表現です。

大久保:台本を見たときにライトのキューがすごく多かったの印象的でした。

トリスタ:この戯曲を書いているときに、車でドライブするような、ある地点に向かっていくような感覚は意識していました。先ほども言ったように半ば無意識で書いていますので、特にマスタープランがあったというわけではないんですが。ただ鹿には、弱いながらその中に野性を秘めていて犠牲者になることもある、というイメージを持っていました。それが今回の作品ではあのように表れた、ということです。

大久保:ではこのへんでトークを終わりたいと思います。本日はありがとうございました。


写真:篠田英美
文責:舟川絢子

[2/14掲載] アメリカ戯曲シリーズ開幕

アメリカ戯曲シリーズ開幕


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2月2日、2007年東京国際芸術祭が初日を迎えました。

ご来場のお客様には受付で、アメリカ現代戯曲シリーズ3作品の翻訳家と演出家からのメッセージを掲載したパンフレットをお渡ししているのですが、ご覧いただけたでしょうか?一度さらっと舞台を見ただけではなかなか気付きにくい演出の意図や作品にまつわるエピソードなど、とても面白い読み物になっています。開演前に一度、見た後に一度、しばらく経って思い出しながらもう一度、読んでみるときっとその度に新しい発見があるはず。

このパンフレットと一緒にお渡ししている数十枚のチラシの束、実はインターンスタッフやYAMPと呼ばれる丁稚奉公たちが1枚1枚手で折り込んでいます。さて開場の2時間前。制作チームはちょっとしたアクシデントに見舞われていました。そのパンフレットに一部間違いがあり、印刷し直さなければならないことが分かったのです。あと少しでお客様がいらしてしまう―― 丁稚たちは走りました。大急ぎで全てのパンフレットを回収し、印刷し直し、200部近いチラシの束を組み直し、駆け込みで開場まで運び込み・・・受付で何気なくお渡ししていたチラシの束の裏には、こんな一騒動もあったのです。

19時5分。3人の女優たちが和やかにおしゃべりしながら舞台上に現れました。『素晴らしいことが終わるとき −歴史とわたしとバービー人形−』の開幕です。客席の期待の視線をしなやかに打ち返す、大崎さんの落ち着いた語りが始まりました。はじめは少し固かった客席も、申さん・工藤さんのバービーペアがコミカルに動き始めるとくすくすと笑いがもれ、肩の力がほぐれてくるのが分かります。そう、この舞台はリラックスして、椅子にもたれて見るのが一番。そうして油断した頃に、背筋に何か走るような、はっとさせられる展開が待っているのです。

この日一番ウケたのは「もしバービーが本物の人間だったら、スリーサイズは上から100cm、45cm、80cm」という台詞。可愛いバービーには色々な裏事情があるのです(この「事情」はご覧になったお客様ならご存じですね。)

女優たちの語りにどんどん引き込まれていく客席の気迫もあってでしょうか。終盤のシェリーの祈りには一段と熱がこもっていたように感じられました。最後の一言一言まで力強く繰り出す大崎さんの目に、一瞬光るものが見えたような・・・。

舞台上の「奇跡」の余韻に浸っていた客席からは、大きな拍手が。私もその中で拍手に祈りを込めました。スタッフとして以前に、一人に観客として。

いつか、シェリーの願いが叶って、私たちで叶えて、世界のどこかの悲しみに、ひとしずくの奇跡を降らせることができますように――

舟川絢子

2007年02月07日

『素晴らしい事が終わるとき』Sherry Kramer来日

Sherry Kramer来日

初日開幕を3日後にひかえ、アメリカから『素晴らしい事が終わるとき』の作家シェリー・クレイマーさんが来日され、稽古に参加されました。アメリカで初演された時には2時間以上におよぶ一人芝居を自ら演じられた伝説のオリジナルキャストに初披露とあって、役者の皆さんも緊張気味。しかしもっと緊張していたのは演出の工藤千夏さんと制作チームのスタッフでしょう。

今回の舞台は、今のアメリカ劇作家の生の声を日本の観客によりなじみやすく伝えるために、かなりの脚色や、時にはリーディングの域を超えた演出が加えられています。シェリーさんは自分の作品やリーディングという形式には強いこだわりを持っているでしょうから、今日の稽古如何では「これは私の作品じゃないわ」と怒ってアメリカに帰ってしまうかもしれないのです。制作チームもついチラッチラッとシェリーさんの顔色をうかがってしまうというもの。

かくしてシェリーさん、プレイライツセンターのポリー・カール博士、そしてアーツ・ミッドウェストの吉田恭子さん立ち会いのもと、通し稽古が始まりました。先日の舞台稽古で何かを掴んだのか、はたまたシェリーパワーか、役者さんたちの演技(もはや語りの範疇ではありません)は見違えるような迫力と叙情性を帯びています。大崎由利子さんの理性的で、それでいて親しみやすい口調にはますます臨場感が増し、まさに「女性作家シェリー」が乗り移ったかのよう。申瑞季さんは様々な声色を使い分け、時にはコミカルな「顔芸」で客席を和ませます。工藤倫子さんは、演出家が「あの子台詞全部覚えてるんじゃないかしら」と呟くほど、あの膨大な台詞を髄から自分のものにしているのが分かります。件の人名もなんなくクリア。


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(c)Hidemi Shinoda


リーディングという形式で、しかも一見難しい話題を扱った戯曲が、こんなにもエキサイティングな舞台になるなんて。実は私は稽古場付の丁稚奉公としてストーブの燃料を足したりアメリカからのゲストのケアをしたり細々と仕事があったのですが、思わず稽古に見入ってしまい、みなさんをストーブの燃料が切れた極寒の稽古場にさらしたうえに、あまりの寒さに稽古を中断させる、という失態までおかしてしまいました。でも、それだけ引き込まれてしまったのです。3人の役者の息もぴったりと合って、まさにそこには「3人による一人語り」が実現していました。

あっという間に最後の一行まで通し終わり、余韻に浸っていた私は我にかえりました。そう、問題はシェリーさんの反応です。一同は固唾を呑んでシェリーさんの様子をうかがいます。

果たして、シェリーさんの表情は晴れやかでした。ポリーさんと吉田恭子さんからも盛大な拍手が。「本当に素晴らしかったわ。演出は明瞭で工夫に富んでいるし、女優たちの語りも素晴らしい。私は日本語が分からないのに、役者たちの台詞は全て理解できたわ」と大絶賛してくださいました。原作者のお墨付きをいただいて演出家も制作チームもひと安心。

演出家や役者さんの技量もさることながら、一人のアメリカ人女性の生きた声を偽りなく伝えようという、誠意と心意気が通じたようです。実は役者さんたちは毎回、稽古開始の1時間以上前から集まって、自主稽古やディスカッションを重ねていたのです。その努力が実を結んだ会心の舞台に、演出家も「今日の出来で十分、お客様にお見せできるわ」と太鼓判。

しかし。
役者というのは、本番になると稽古場では見せたこともないような底力を発揮する生き物。「素晴らしいこと」は、終わる時まで進化し続けます!

舟川絢子

2007年02月06日

『アダムの後に』演出家のことば

ああ、こいつぁ複雑だとも  中野成樹

 その複雑さの軸をになっているのが、一人の登場人物が複数の人物・役割をいったりきたりするということです。たとえば男女が話しているシーンがあったとして、その二人は夫婦で、だから夫婦が普通に話しているシーンがあったとして。でも、そのシーンはときに夫とその母の会話になり、ときに妻とかつて幼くして死んでしまった息子の会話にもなる。

 うん、おもしろそう。が、実は相当にやっかいで。それというのも、その人物・役割の移り変わりの境目が戯曲上にまったく提示されてないことなんです。なんとなく変わってる。まったく普通のリアリズムを装っている。男が女にむけて「あんたは俺の母さんだ」という妄想をうったえたとして、当然相手は「え? 何いってるの?」となる、けど次の行ではその女はもう母さんになってる。しかも、母さんの台詞としてでも、ただの女の台詞としてでも通じそうな台詞でもって母さんになってる。おかげで、【いま、あいつは誰なんだ?】【いま、俺は誰なんだ?】とひどく混乱するはめに。何の波風もたてずに、何の痕跡ものこさず人物・役割がかわっていく。

 みなさまがご覧になって、妙に会話が成り立ってないなあとか、話題がまったくわけわからんとこにいってるなあとお感じなったら、きっとそういったことがおこなわれてます。でも、あくまでも見た目は難しい言葉づかいの台詞劇程度。お話的には、家族および血のつながりのお話。まあ、血のつながりをたどっていくと、アダムとイブにいきつくらしいので、俺らみんな楽園追放されてる不幸な存在なのでしょう。でも、その中でもさらに「ついてねえ」存在もいて。そんな「ついてねえ」家族の話。二世代、三世代……にわたる「ついてねえ」家族。その複数の時間を、複数の時間になされたまったく同じ物語を、全部同時進行で戯曲に書きとめたのがこの作品。あってるかな? 出演者、スタッフのみなさま、ご来場のみなさまに感謝。もちろんクリスティーナにも「ありがとう!」を。ではまた。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより
中野成樹(演出家)
中野成樹+フランケンズ

『アダムの後に』翻訳家のことば

幽霊はだれか  川島健 

 ロサンジェルス南部のサンペドロ、労働者階級のアフリカ系アメリカ人の一家を巡る物語が『アダムの後に』である。登場人物は、ボイド、ルース(ボイドの妻)、タンク(ボイドの弟)、父親の四人。単純なリアリズムはこの作品には通用しない。なぜならタンクはボイドの弟でありながら、ルースの息子でもあるのだから。。。四人の会話は、物語の背後にある一連の忌まわしき事件の存在の周囲を旋回している。父親の「事件」、そしてボイドとルースの子供アダムをめぐる「事件」の真相が次第に明らかになると同時に、家族同士の複雑な関係が作り出す緊張感も露になる。

 この複雑な構造を持った戯曲作品を前に、我々は観客として様々な疑問にぶつかることになる。タンクはボイドの弟なのか、あるいはルースの息子なのか?ボイドは死んでいるのか、生きているのか?何が本当に起こったことなのか?誰が本当に生きているのか?誰が死んでいるのか?『アダムの後に』はこのような疑問にたいして明確な答えを用意していない。ボイドを中心とした家族の複雑な関係と血の濃密さがもたらす愛憎劇は、出口のない迷宮を形成し、登場人物と共に我々をも終わりのない探求の道連れにする。
 生と死の境界を容易に越える『アダムの後に』はある種の幽霊譚でもある。しかし、この作品において幽霊は単なる個人の怨念と復讐のモメントというよりは、人間の普遍的なあり方の指し示すイメージである。過去の過ちを繰り返すしかないのであれば、我々自身もまた過去の「亡霊」に過ぎない。「アダム」という名はもちろんキリスト教の原罪の観念を喚起する。父親の事件やボイドとルーシーの過ちは、今だの「アダム」の呪縛から解放されない人間の行為の空疎さの証左となる。『アダムの後に』が問うているのは、楽園から追放された人間に贖罪はありえるのかという問題である。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより

『DOE 雌鹿』演出家のことば

めすのしかとめすのひつじ 〜目を閉じて書く女、トリスタ・ボールドウィン〜
羊屋白玉


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(c)Hidemi Shinoda


 指輪ホテルでのわたしの作業は、厄介な羊屋白玉という劇作家と演出家と俳優を飼育することに終始している。

 今回、初めてひとさまの戯曲を演出する機会を得て、演出家羊屋白玉をまじまじと見つめることができた。
 子供が浜辺で砂のお城をつくるように、こつこつと順番にオープニングからラストまでを積み上げてゆき、崩れたらまた最初からやりなおし。作者の意図や行間を読んだりせずに、何が起こっているのかだけを慎重に立体化する。こういうあたりまえの作業も、戯曲と演出を兼ねていると、近道を探したり得意技ばかりを駆使するという誘惑にかられやすいのだ。近道などない暗いけもの道を肉眼のみですすんでゆく。実際それが楽しかった。書かれてある通りすすめてゆけばよい、そんなシンプルな作業を尊く感じさせる『DOE』は、おそらく、相当優れた戯曲なのだろう。

 そんなわけで、公演4日前のきょう、作者のトリスタさんにあっていろいろ話をした。「東京のへんなとこに行きたい、みたい、したい」とトリスタさん。「ヘアサロンで髪を切ってみたら?」とわたし。「切りたくな〜い。伸ばしてるんだもん。でも剃ってみようかな」と、ふざけたかとおもうと「戯曲を書くということは、戯曲の人物の人生を生きるということではないのよ」といきなりシリアスなことを言ったりするから笑っちゃう。そして、実物も写真通りの美人だからよわっちゃう。現在執筆中の戯曲があるらしいよ。いつか拝読願わなきゃ。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより
羊屋白玉(演出家)
指輪ホテル

『DOE 雌鹿』翻訳家のことば

生―性―死の燃えあがる三角関係  小澤英実


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(c)Hidemi Shinoda


 「雌鹿(ドウ)」と名づけられたこの作品には、ジェーン、ジョンと呼ばれるほか、素性がなにも明らかにされない一組のカップルが登場します。そして「ジェーン・ドウ」、「ジョン・ドウ」と言えば、それは法廷などで訴訟上の人物の名前を明かさないときに用いられる仮の名前、転じて一般的に匿名を指す(日本でいう「山田花子」や「山田太郎」のような)名前です。そしてジェーンの前に現れる第三の女性。彼女の名前は、劇中最後まで呼ばれることはありません。戯曲のなかでは「E.」と記される彼女からは、雌鹿(DOE)のEのこと、あるいはジェーン(JANE)の愛称ジャン(JAN)から抜け落ちたEのことも想起されます。いずれにせよ、こうした作家の仕掛けからは、これが誰でもない/誰でもありうる人々の物語、ひいては抽象的・概念的な「女という性(セックス・ジェンダー・セクシュアリティ)」についての物語であることが、それとなく暗示されているようにも思えます。

 といっても、ここでの作家の手つきは、「鹿爪らしい」フェミニズムを前面に押し出すものではありません。ひとりの女性が大人になる過程でいつしか喪ってしまったもの、殺してしまった何かが、いままさによみがえろうと、息絶えようとしている――その一瞬の緊張感が、ピンで留められた蝶のような脆い美しさで捉えられています。

 英語の言葉遊びによる意味の掛け合いと、押韻や省略による音楽的なリズムとを大きな特徴とするこの戯曲は、違う言語への翻訳がとりわけ難しい作品です。劇中、ふたりの女性が「アルファベットの歌」を歌いながら、いまの状況からの逃亡計画を練るシーンがあります。この作品のなかで、女性が「言語の牢獄」からどう抜け出し、自分自身を救い出すかが模索されているとすれば、言語から生まれ、言語によって規定されている文化と、その文化の枠組みのなかで暮らす人々の思考とを、どのように日本語に移し変え、日本で上演するかという「文化的な脱獄」が、今回のわたしたちの上演が模索しているもののひとつともなっています。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより

『素晴らしい事が終わるとき』演出家のことば

芝居とわたしと9・11  工藤千夏


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(c)Hidemi Shinoda


 いわゆる9・11が起こったとき、私は偶然にもニューヨークに留学中で、劇作家マック・ウェルマンのワークショップを受講していた。事件後、マックは急きょ課題を変更した。今感じていることをモチーフに、20分弱の芝居を書くようにと。

 「あれ」以来、色彩を知覚できなくなってしまった女がドレスを選ぶ話、ブルックリンブリッジとニューヨーク市庁舎が「あれ」について語り合う話、電話の混乱の音だけで直後を描く話など、私以外の11人のアメリカ人学生はみな、罪のない人々が何千人も殺されたことに対するショック、悲しみ、憤りを描いた。私はといえば、どうにもスタンスを決めかね、一人だけコメディを書いた。確かに、亡くなられた方は本当にお気の毒。だけど、アメリカ人だけが被害者なの? そもそもの原因からなぜ目をそらすの? ニューヨーク在住の怪しい日本人イタコが、霊界との通訳で傷ついた人々を癒すというその芝居は、12本中、セプテンバー・イレブンという単語が登場しない唯一の芝居であった。マックは、テーマとの距離、視点の多様性についてコメントしたが、クラスメートたちはどこまでそれを受け取ったのだろうか。

 さて、帰国後の2006年、世界情勢はさらに複雑化し、アメリカも日本ものっぴきならない状況に瀕しているにも関わらず、平和に暮らしているふりがますますうまくなった今日この頃、この戯曲に出会う。祖国への冷静な視線と熱い思い、世界に対する憂いと個人的悲しみのバランスに感服した。そして、お会いしたシェリー・クレイマーさんは、戯曲から想像していた以上にエネルギッシュで、スマートで、そして、なによりキュートな方だった。米国にたったひとりでけんかを売る米国人劇作家の心意気を、三人の日本人バービーたちは、なによりキュートに伝えなければならない。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズ vol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより
工藤千夏(演出家)
青年団

『素晴らしい事が終わるとき』翻訳家のことば

可愛くて…やがて恐ろしきバービー人形  目黒条


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(c)Hidemi Shinoda

 欲しくてたまらなかったバービーのドレスを買ってもらった1964年――少女シェリーが、きらびやかな物質的豊かさを享受していたこの年は、実はイランでSOFA(駐屯軍地位協定)が締結された年だった。アメリカのこの暴挙に怒ったホメイニ師がここで立ち上がり、のちに9・11につながるアメリカ憎悪の出発点となった…
 そして奇しくも、シェリーの母親が病死したのは9・11の直前だった。実家は売りに出されることとなり、シェリーはそこに保管してあった、思い出のバービー・コレクションを処分することに決める。アメリカ消費文化の象徴、バービーとの決別。

 シェリー・クレイマーは、個人的な経験と、歴史の大きな流れとの不思議なシンクロニシティに導かれて、パワフルかつ文学的、時にユーモラスでもある魅力的な芝居を書いた。なぜ石油獲得をめぐって搾取や戦争を繰り返さなければならなかったのか? この問いをつきつめると、大量消費社会の害があぶり出され、「バービーも石油化学製品だった」という事にまで思いが及ぶ。ついには、消費社会のマテリアリズムの真っ只中にあった、シェリーの半生そのものが罪悪感の中に回収されてしまいかねない!
思えば、バービーは象徴的だ。「大人の女性」を人形にして「大人のお洋服」の着替えで遊ばせるという商品が出たのは、子供たちをファッション中毒予備軍に仕立て上げて消費社会に組み込むためだった?! 人々を知らず知らずのうちに洗脳してしまうのは、宗教だけではない…
 その時代ごとに都合のいい「主義主張」を信じこまされて人は生きているものだけれど、本当の意味での信仰とか、祈りとか、気持ちの核になる部分だけは普遍的なのではないか――シェリーはそんなことを私達に考えさせる。
 シェリー本人による一人芝居としてアメリカで上演されてきた戯曲が、今回は工藤千夏さんの演出によって、三つの分身に分かれて語るヴァージョンで上演されます。


アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 当日配布パンフレットより

ごあいさつ 大久保聖子(TIF)

2000年以降のアメリカ現代戯曲をドラマリーディングで紹介する本シリーズでは、日米の現代演劇に関わる人々が、直接的な交流を深め、信頼関係を築いた上で、お互いの言語や文化に向き合うプロセスを大切にしながら、翻訳や上演台本の作成に取り組んでいます。

昨年からは、日本の劇作家をアメリカに派遣する「日米現代劇作家・戯曲交流プロジェクト」(協同:(財)セゾン文化財団)として双方向の交流が始まりました。「国際敵なコミュニケーションとコラボレーション」という美辞の裏で渦巻くのは、企画者、翻訳者、演出家、俳優、ドラマトゥルク、そして劇作家本人たちの葛藤と対立と妥協―そのスリリングでエキサイティングな過程を経て生まれる翻訳戯曲を、その同時代性にふさわしいスタイルで紹介できないものか…

わたしたちは日本とアメリカを行き来しながら、お互いの劇場で小さな実験を繰り返しています。そのプロセスを、観客のみなさまにも共有していただければ幸いです。

アメリカ現代戯曲&劇作家シリーズvol.2 ドラマリーディング 
プログラムディレクター 大久保聖子

2007年02月03日

『素晴らしい事が終わるとき』 稽古4日目 「リーサルウェポン」

稽古4日目 「リーサルウェポン」

稽古も中盤。今日は本番の会場で稽古です。
セットや衣装も徐々に具体的に見えてきました。今回はリーディング公演ということで舞台装置も大掛かりには作りこみませんが、客席から見るとシンプルなセットがかえってこちらの想像力を刺激し、語りの力を引き立てます。しかしもちろんシンプルとはいっても芸術家の仕事、一筋縄ではいかない舞台になりそう。
実際の舞台でお稽古した役者さんたちはというと、客席との距離をしきりに気にしているご様子。演出家からは「自分の世界に閉じちゃわないで!最前列のお客さんとおしゃべりするくらいの感覚で」と指示が飛びます。前の方の席は狙い目かもしれませんね!
しかし一度空間を掴んでしまえばやはりプロの役者、休憩を挟んだ後半には演出家も大絶賛の出来ばえとなりました。「大崎さんの台詞をとにかく『聞いて』いたら、自分の台詞もすごく自然に、自分の言葉として出てきたんです。楽しい、すごく楽しい!」と申さん。すると演出家の工藤さんがすかさず「そう、リーディングというのは聞くことなのよ
役者さんたちもはっと目つきを変えた名言でした。

客席から見ていて驚いたことをひとつ。今回は青年団から申瑞季さん、工藤倫子さんという若い女優さんが出演してくださるのですが、このおふたり、客席から見ると信じられないくらいスタイルがいいのです!(もちろん近くから見てもいいです)そういえば稽古初日に演出の工藤さんが「青年団の中でも特にスタイル抜群な2人を起用した」とおっしゃっていたような。実はこれは理由があってのことで、このおふたりでなければ活きないような演出があるのです。手足がスラリと長く、顔はキュッと小さく、まるでバービーにんg…おっとネタバレ。
この舞台、種も仕掛けもありまくりなので、ここで種明かしをするわけにはいかないのです。

舟川絢子

2007年01月29日

『素晴らしい事が終わるとき』稽古3日目「受難」

『素晴らしい事が終わるとき』 稽古3日目 「受難」

引き続き演出家による工事がどんどん進んでいきます。演出家が一言注文をつけると即座に対応して雰囲気ががらっと変わる大崎さん、さすがです。

さて、今日は出演者の工藤倫子さんの受難の日でした。倫子さんの台詞に「アヤトラ・ルーホッラー・ホメイニ」という名前が出てくるのですが、倫子さんはこの嫌がらせのように長い名前に見事に足をとられてしまい、「アヤトラ・ルーホ…ん…アヤっ…アトヤラ・ルホッ…」となかなか抜け出せません。

実際に言ってみると分かるのですが、特に「ルーホッラー」の部分がすごく言いにくいのです。「言えないよ〜(泣)」と頭を抱える倫子さんに、稽古場にいた全員が「ルーホッラールーホッラー…確かに言いにくい…」とぶつぶつ呟き始め、稽古場は一時異様な雰囲気に。

 それに引きずられたのかその後も倫子さんは

○ サウジアラビア
× サウビアラジア

○ ぼつらく
× ぼくらつ

○ バプティスト
× バpテsbtm%$#g…

とカミカミ。その度に自分の頬をぺしっと叩くので演出の工藤さんも「顔は女優の命なのよ〜?」と心配そう。

倫子さんの名誉のためというわけではないのですが、この戯曲には舌を噛みそうな言いづらい言葉がたくさん出てくるのです。個人的には「駐屯軍地位協定」の時点ですでにアウトです。言葉のプロである役者さんたちでさえ文字通り舌を巻くこの戯曲ですが、本番では皆さんそんなことは微塵も感じさせない見事な語りを披露して下さる…はず?!

舟川絢子

『素晴らしい事が終わるとき』稽古2日目 「工事開始」

『素晴らしい事が終わるとき』 稽古2日目 「工事開始」

稽古は昨日始まったばかりなのに、役者さんたちの声にはもう色がついているのが読み合わせだけでも伝わってきます。時には身振り手振りを交えたり、他の人の台詞の間も刻一刻と表情が変化したり…当たり前といえば当たり前ですが、リーディングであってもそこにあるのは芝居なのです。

この戯曲はアメリカの石油問題や中東の現代史を扱っているため、私たち日本人にはなじみのうすい宗教的な概念や歴史に関する台詞が多いのですが、大崎由利子さんのしっとりとした語りだと何の抵抗もなく届いてくるから不思議です。同じく出演者の工藤さんと申さんも頭に「?」が浮かぶと演出家に「これってどういうことですか?」と気軽に質問し、咀嚼して自分のものにできるまでざっくばらんにディスカッションする、という良い雰囲気ができあがりつつあります。

ひととおりの読み合わせの後、いよいよ演出がついていきます。「ここでSE(効果音)が入ります」「この台詞は皮肉っぽく言ってみて」などと演出がつきはじめると、それまで全くイメージできなかった舞台のビジョンが鮮やかに浮かんできます。それまで何とも思わなかった台詞が、言い方ひとつ変えるだけでとてもコミカルに聞こえたりするのです。無限の可能性の中で、演出家にはどのような「絵」が浮かんでいるのか。昨日まではただただ未知数だったこの戯曲が、着実に細胞分裂し、生命を吹き込まれつつあります。

実はこの戯曲、シェリー・クレイマーによる原作は一人芝居用に書かれているのです。しかしこの舞台の出演者は女性3人。3人が演じる「ひとりの女性」が舞台上でどのように語るのか――それは幕が開いてのお楽しみ。

舟川絢子

2007年01月25日

『素晴らしい事が終わるとき』稽古初日

『素晴らしい事が終わるとき』稽古初日

2007年東京国際芸術祭、最初に幕を上げるアメリカ現代戯曲リーディング『素晴らしい事が終わるとき−歴史とわたしとバービー人形』。
その稽古が1月22日(月)にしすがも創造舎にて本格スタートしました。初回の稽古は演出家の工藤千夏さん、ドラマトゥルクの長島確さん、翻訳家の目黒条さん、そして大崎由利子さんはじめスタッフ・出演者の方々が一堂に会し、既に何度も推敲を重ねてきた台本を読み合わせながら翻訳のニュアンスを微調整し、作品のイメージを共有する、という作業から始まりました。

10歳の「わたし」がバービーのイブニングドレスを買ってもらった日、アメリカとイランの間でSOFA(駐屯軍地位協定)が締結される。バービーのドレスを着せ替えながら「わたし」が語り始める、アメリカが中東に抱いた石油獲得の野望と9・11への道のり――

くしくもニューヨーク留学中に2001年のニューヨーク同時多発テロを現地で体験なさった演出家の工藤さんは、テロ後のアメリカ人の反応にショックを受けたといいます。

「あの時彼らが抱いたのは、『どうして自分たちのようなピュアな人間が攻撃されたのだ』という強烈な被害者意識だった。あの事件が、遡ればどういう経緯や原因があって起こったものかなんて考えようとする人は誰もいなかったんです。あの時、ああ、やはり自分は外国人なのだと痛感しました。」

日本に帰国後、工藤さんはシェリー・クレイマーのWhen Something Wonderful Ends(『素晴らしい事が終わるとき』原題)に出会います。

「今のアメリカの姿を憂いているアメリカ人アーティストもいるのだということを、この戯曲で初めて知ったんです。知って良かった、と思いました。だから、それを発信しようとしているアーティストがいることを、日本の観客にも伝えたい――」

「心の中に少女がいる人には、この作品すごく伝わると思うの」と夢見るような瞳で語る工藤さんに、バービー人形を持った無垢な少女とストイックなまでに語りの手をゆるめない女性作家シェリー・クレイマーの姿が重なります。

アメリカでこの戯曲が初演された時、皮肉とユーモアに富んだ軽妙な語りに客席は爆笑の渦だったのだそうです。たとえるなら、渡辺えり子さんが機関銃のように喋りまくるトークショーのような。アメリカの石油問題や9・11を語って笑いが起きる光景はちょっと想像しにくいのですが……。ましてや出演するのはシックなマダムという形容がぴったりの女優、大崎由利子さん。
その傍らには「日本人の観客にもクスリと笑っていただける翻訳に」とクールな微笑を崩さない翻訳家の目黒条さん。

稽古初日終了。この舞台、全く「予測不可能」です――

舟川絢子

TIFポケットブック
もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
mark_regional リージョナルシアターシリーズ
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