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2008年02月21日

もくじ

リージョナルシアター・シリーズ 新制度について
リージョナルシアター・シリーズ2007 リーディング公演部門について
リージョナルシアター・シリーズ2007 創作・育成プログラム部門

創作・育成プログラム部門 『浮力』 作・演出:北川徹 
北川徹インタビュー
■『浮力』稽古場日誌(制作助手:小室)
 1. ストレッチから/2. 職人/3. 変化
ポスト・パフォーマンス・トーク(ゲスト:宮城聰)

リーディング公演部門
■アドバイザーインタビュー
 佃典彦(芝居工場わらくアドバイザー)
 北村想(南船北馬一団アドバイザー)
 平田オリザ(F's Companyアドバイザー)

■劇作家インタビュー
 芝居工場わらく[成田] 岩脇忠弘・勝俣稔
 魚灯[京都] 山岡徳貴子
 南船北馬一団[大阪] 棚瀬美幸
 F's Company[長崎] 福田修志

■稽古場日誌(TIFスタッフ:松本修一)
 [2/26・27]東京稽古スタート&顔合わせ
 [2/28]稽古3日目
 [3/1]稽古4日目
 [3/2]稽古5日目
 [3/5・6]稽古8日目・9日目
 [3/7・8]ゲネプロ&本番初日
 [3/9・10・11]リージョナルシアター・シリーズ 閉幕[NEW!]

2007年03月08日

リージョナルシアター・シリーズ 新制度について


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06年 北九州芸術劇場×飛ぶ劇場『IRON』(c)谷古宇正彦


東京国際芸術祭において、財団法人地域創造との共催のもと開催されてきましたリージョナルシアター・シリーズは、東京以外の地域を拠点に活躍し、地域の芸術文化活動に貢献している若手・実力派劇団を紹介する企画として、1999年秋からの7回の開催でこれまでに38の劇団・公演を紹介してきました。また2005年からは地域で創造される舞台の東京公演の受け皿として、「公共ホール・劇場等企画公演部門」を新設し、05年に大阪市立芸術創造館プロデュース、06年には北九州芸術劇場が飛ぶ劇場と共同製作を行い、地域で力と才能を着実に伸ばしてきたアーティストと公共ホールの充実した製作体制による質の高い作品を上演することができました。

一方、地域の劇団やプロデュース公演の紹介・招聘を行う本シリーズにおいては、今後もより質の高い創造的な演劇と芸術文化環境づくりを地域で推進し、全国に発信していくために、シリーズ自体の抜本的な見直しが必要であり、どのように公共ホールと連携し、作品づくりをバックアップしていけるのかをここ数年検討してきました。その結果、第8回目となる今年度は、より充実した作品創造の場と地域に還元できる仕組みとして、「リーディング公演部門」と「創作・育成プログラム部門」の二部門制に一新し、更なる発展を目指します。


■「リーディング公演部門」〜良質戯曲の創作・ネットワークの生成・地域での本公演へ

「リーディング公演部門」では、地域で活躍する劇団が同時期に1週間東京に滞在して稽古を行い、リーディング公演を上演します。「リーディング公演部門」で上演された作品は、地域に戻り公共ホールの協力体制のもと、本公演として上演します。

リーディング公演を行うことで、作家は戯曲の執筆から本公演までの間、戯曲と向き合う時間が増えます。プロの劇作家にアドバイザーとして戯曲の創作過程でアドバイスを受け、質の高い戯曲に仕上げていきます。

また各劇団が東京滞在中は、お互いの稽古を見学し情報交換を図ることで、今後に繋がるネットワークが広がることが期待されるとともに、創作面においても相互でのよい刺激となるでしょう。

このような東京でのリーディング公演を経た各劇団が、地域に戻って本公演を行い、地域の観客に質の高い作品を観劇していただくとともに、その後も地域の中心的な劇団として、活躍することが期待されます。


■「創作・育成プログラム部門」〜リージョナルシアター・シリーズ プロデュース公演 
 
リーディング公演部門に参加した劇団・団体の中から1名の作家または演出家を翌年度の「創作・育成プログラム部門」に選出し、東京に6〜8週間滞在して、演劇公演を1作品創作・上演します。

また、読み聞かせのワークショップなどにも参加し、今後地域での活動の場を広げるための実践的な研修活動を行います。

初年度の今回は過去のリージョナルシアター・シリーズ参加団体から、2001年にTPS(札幌)の劇作家・演出家として参加し、現在も札幌で活躍する演出家・北川徹氏を選出しました。


■アドバイザー

今年度からの本シリーズでは、作家または演出家がアドバイザーとしてつき、戯曲の創作段階からアドバイスを行い、より質の高い戯曲創作、公演を目指します。
今年度の「リーディング公演部門」は、岩松了、北村想、佃典彦、平田オリザのいずれも岸田戯曲賞受賞作家である各氏がつき、「創作・育成プログラム部門」ではク・ナウカシアターカンパニーで世界を横断する宮城聰氏に依頼しました。

リージョナルシアター・シリーズ2007 リーディング公演部門


「リーディング公演部門」には4劇団が登場します。

成田から初登場となる芝居工場わらくは、結成からわずか2年目での参加ながら本公演では岸田國士や菊池寛の戯曲も上演し、老若男女問わず毎回多くの観客が来場し、人気を集める劇団です。

京都の魚灯は、劇団八時半(主宰・鈴江俊郎)の劇作家・俳優としても活躍した山岡徳貴子を中心に結成され、今春には精華演劇祭にも出場し、今後の飛躍に一層期待がもてます。

大阪の南船北馬一団は、主宰で作・演出を務める棚瀬美幸が06年8月までの1年間、平成17年度文化庁新進芸術家留学制度研修員としてドイツ・フォルクスビューネ劇場に留学し、今回の作品が帰国後第一作目となります。ドイツの奇才のもとで何を感じ、何を日本で表現するのか、その成果に注目が集まります。

昨今隆盛著しい九州からは長崎のF’s Companyが登場します。長崎の街をモチーフにした作品を作り続け、今作でも長崎が抱える過去と矛盾を描き出します。

気鋭の4劇団にアドバイザーを加え、磨きぬかれた4作品のリーディング公演にご期待ください。

リージョナルシアター・シリーズ2007 創作・育成プログラム部門


創作・育成プログラム部門での公演は、北川徹の新作『浮力』をリージョナルシアター・シリーズのプロデュースで上演いたします。

2001年にリージョナルシアター・シリーズに初登場した北川徹は、その後も2003年に若手演出家コンクール審査員特別賞(日本演出者協会主催)を受賞するなど着実に力をつけ、札幌にあるTPS北海道演劇財団を中心に作品を発表してきた今後の飛躍に期待がもてる劇作家・演出家のひとりです。

今公演では、普段から北川徹と作品を創作している札幌の俳優・スタッフではなく、メンバー全員を東京で活躍する俳優・スタッフ陣で固めました。

北川曰く「自分が一緒にやってみたかった俳優・スタッフが全て揃った」という出演者には、燐光群の俳優として20年以上第一線で活躍し、多くの名作舞台に出演してきた猪熊恒和、『無頼漢』(流山児祥・演出/日本劇団協議会)、『鵺/NUE』(宮沢章夫・演出/世田谷パブリックシアター)など話題作への出演が続き、独特の存在感で観客を魅了する下総源太朗、今、最も勢いのある劇団のひとつTHE SHAMPOO HATの旗揚げからのメンバー多門勝、映像を中心に活躍し舞台にもその領域を広げる期待の若手俳優足立信彦、そして指輪ホテルやニブロールなどに出演し多種多彩な表現に華麗に適応する身体をもつ稲毛礼子が紅一点で入り、充実のキャストが顔を揃えました。

スタッフには、齋藤茂男(照明)、加藤ちか(美術)、相川晶(音響)、大川裕(舞台監督)などが参加。強力なスタッフ陣で北川徹の新作が製作され、にしすがも創造舎特設劇場にどのような演劇空間が立ち上がるのか期待が膨らみます。

さまざまな地域の人々が集い創作活動を展開している東京で、札幌在住・北川徹がつくる、「旅をする人たち」「死んだ人たち」「働く人たち」の物語、『浮力』にご期待ください。

2007年03月02日

北川徹(『浮力』作・演出) インタビュー


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――まずは北川さんのご紹介にもなればと思い、北川さんのこれまでの活動についてお話いただきたいと思うのですが。

もともと東京で会社に勤めていたんですが、そこを辞めて演劇を始めたんですね。脱サラして札幌に行きました。脱サラって最近あまり言わないですね。その前にも、パントマイムを勉強したりとか、舞台に興味はあったんですけれど、それで生活していこうと考えたのが10年前でした。それから、ずっと札幌で活動しています。

――前回のリージョナルシアター・シリーズに参加されたのが2001年ですが、その他にも東京で公演をされる機会はあったのでしょうか?

同じ2001年に、「大世紀末演劇祭」に参加しました。アゴラ劇場が主催していた、地域の劇団が参加する企画でした。そこにHAPPという自分の劇団で参加しました。それから、下北沢の「劇」小劇場でやった若手演出家コンクールにもHAPPで参加しました。だから東京での公演は3回やっていますね。
あとは、僕が書いた台本をMODEの松本さんが演出して、東京と札幌の役者で公演するというのがあったり、流山児事務所でも、僕が書いた台本を去年の夏に公演していただきました。

その演出家コンクールの時に、審査員に(今回の『浮力』における)美術の加藤ちかさんがいたんです。そして流山児事務所での公演の時に照明をやられていたのが、齋藤茂男さん。だから、ぜひ一緒にやりたいなと思い描いていた人と今回やっていますね。

あと、僕はワークショップにいっぱい出ているんですが、日本演出者協会というところが「演劇大学」というのを企画していて、もう3、4回ほど札幌でやっているんですが、いろんな演出家の方がいらっしゃるんですね。そこでいろいろな方々とお話できたことは大きいです。この間こちら(東京国際芸術祭)で演出されていた羊屋さん、ポツドールの三浦さん、チェルフィッチュの岡田さん、それから宮沢章夫さんも来られたし、去年は坂手さんも来られました。それで坂手さんに今回のリージョナルの話をして、こんなタイプの俳優を探していると言ったところ、いま「THE SHAMPOO HAT」がおもしろいよですとか、燐光群の中にもそういうことが出来る俳優がいるかもしれないよとか言っていただいたりして、それでゆるやかに決まっていったんですね。

――ちょっと意外だったんですが、東京の演劇人の方々とずいぶん交流があるんですね。

それが札幌という場にいたことの意義のひとつです。東京にいたら会うことさえ難しかったかもしれません。僕は札幌で生まれ育ったわけではないんですね。脱サラして、26で演劇を始めたんですけれど、「これで生きていこう」と思った時に「どこが早いだろう」と考えたんですね。つまり、演劇にいっぱい触れられて、創ることもできて、もちろん生活もできて、今回一緒にやるような人たちに出会うためにはどこがいいのか。

僕は東京でネットワークを持っていなかったし、俳優を誰か知っていたわけでもなかったんですね。東京で一から劇団を立ち上げて、ぴあか何かで呼びかけて俳優を集めて、稽古場を探して公民館をまわったりして、ちょっとずついろんなリスクを負いながら創るよりも、環境のいい、やりやすいところで創っていたら、いつかこういう企画に出会えるんじゃないかと思っていたんですよ。


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――すばらしい慧眼ですね。

確かに目のつけどころが良かったかなという気はしてるんです。それと実際にちょうどその頃、ちょっとした地域演劇ブームだったんです。弘前劇場 や京都の劇団八時半のように、地域にも面白い演劇があるぞということが話題にもなっていましたし、地域の文化を育てようという動きもあったんですね。具体的には、札幌に道立の劇場ができるという噂があったりですとか。つかさんが札幌の隣の北広島市で長期のワークショップを行ったりして、北海道でも、地域で少しずつそういうことに興味を持ち出していた時期だったんです。

だから、そっちに行ったら仕事があるんじゃないかと思ったんです。生活していけなきゃしょうがないので。「転職」というのがテーマでしたから。だから向うに行って、仕事として演劇をやっている人たちに出会おうという工夫はしていました。例えば北海道演劇財団といって、まさに北海道で演劇を創ろうとしている団体があるんですけど、そこが養成所を持っていたんですね。そこのワークショップに参加して、参加者なのに二日目には「ストレッチをさせてください」と言って、ストレッチワークショップのようなことをして、「こういうノウハウを持っている」と営業をかけたりしました。それで講師ができるようになったりして、生活しつつ自分の劇団をやるというかたちで10年やってきました。

――その10年の間に札幌の演劇状況は変化しましたか?

ある時雑誌で特集していたんですが、札幌には劇団が50から100はあるらしいというのを読んだことがあります。活発度はいろいろあるんでしょうけど、昔からずっと演劇は盛んな地域だったかもしれません。劇場も小さいのから中くらいのまであって、それが減ったり増えたりして推移していて。それが特に大きく変化したどうかは実感できませんが、以前からあるものが形を変えて今もあるという感じだと思います。

ただもしかしたら、交流がしやすくなっている土壌みたいなものは出てきているのかもしれないですね。アートネットワーク・ジャパンとか、地域創造とかによって。だから札幌が変わったというより、全国的な状況ですとか東京の状況とも連動してると思うんですよね。

先ほどもいいましたが、東京の演出家や俳優がワークショップで全国をまわったりして、直接交流できる機会が増えたことは言えると思います。それで情報が早くなったとも思います。シアターガイドが普通に札幌の書店で売られるようになったとか、北海道ウォーカーという雑誌ができたりとか、メディアが変わったことも大きいです。今は、CSでシアターチャンネルが見られるし、WOWWOWで演劇中継が見られる。これは10年前にはなかったことです。

情報という意味では、もうほとんど隣り合わせなんです。だから、札幌といいながらも、僕にはそれほど遠い意識があるわけではないんですね。特に僕の舞台は、北海道弁を使うわけでもなく、北海道民謡を歌うわけでもなく、住所が北海道というだけの普通の人が出てくる舞台なので。
だから、「東京」とか「札幌」とかの言葉は、実は何も語っていないと思います。だからこういう時に注意しなきゃいけないのは、自分の変化を語らなければいけないということです。

ただ気づいたことがありまして、行かなきゃ会えないものがあるということですね。会わなきゃ話にならないといいますか。

――では、東京というか、他の地域に出て公演をされたりして活動されることの意義をどうお考えになっていますか?

僕はそんなに積極的に東京に出て行こうとは思っていなかったんですね。というのは、僕は札幌で演劇の知り合いが全くいないところから始めているので、札幌で出会う人たちというのも「他者」なんです。札幌でやっていることが既に異文化交流だったりするんですね。

自分が考えてもらえなかったことを言ってもらったりですとか、会えると思っていなかった人に会えるということがあると、すごく楽しいですよね。外に出て行くとそういう機会が増えるから、自分が住んでいるところから飛び出そうという気持ちがあるのは、当たり前じゃないかと思います。だって知らない人に会いたくてやっているわけだから。僕は常にそうありたいと思っています。

そういう意味では、札幌で始めたらそうせざるを得ないということがありますね。移動しないことにはたくさんの人と出会えないから、そういうことで札幌を選んだのかもしれないです。

だからおおいに意義があると思うし、そのことで影響を受けることはすごくあります。僕は2年間だけ東京でサラリーマンをしていたことがありますから、東京に来ても全く異次元に来ているという感覚はないんですけれども、東京のスピード感ですとか、いまここに集まっている人たちの興味ですとか、そういうのは札幌では味わえないものですね。もうこちらに来て1ヶ月経ちますけれど、1ヶ月前は考えてもいなかったようなことをやっていますからね。そういう刺激を与えてくれる現場ですね。

でも東京に行かないまでも、違う街で公演をするだけでもいいと思うんですよね。あるいは次の公演は友達を呼ばないですとか、これだけでもずいぶん違うと思います。観てくれる人というのは優しいから、だんだん観るうちに「理解しよう」と思ってくれるんですね。そこはやばいです。それへの危機感は持って当然なので、出て行くことは大事なことだと思っています。


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――今回は創作・育成プログラム部門のアドバイザーとして宮城聰さんがついていますが、具体的にどのようなアドバイスをしていただいたのでしょうか?

台本を書いて「これはどうですか」というような、直接的な話はしなかったですね。先程僕が札幌で何を考えていたのかをお話しましたけれど、今までそういうことを話せる相手がいなかったんですね。だから、作品以前に、自分がやってきたことはどうだったんだろうという疑問がありました。宮城さんがク・ナウカを立ち上げられたのは、演劇をやり始めて少し後からだと思うんですけど、宮城さんがこれまで演劇の世界で生きてきて、30代くらいの頃にどういうことを考えて過ごしていたのか、そこを知りたかったのでそういう話をよく聞きました。

宮城さんは東京で早く出てくると消費される感覚はある、と仰ったんですよね。具体的に誰とは仰らなかったんですけど、そういう人たちを何人も見てきたんでしょうね。小劇場ブームの時には本当に大勢の人がいたけれど、いまどれだけの人が活動しているかといったら、やはり消費というか淘汰というか、疲弊してしまった人たちもたくさんいるんではないでしょうか。だから、ある程度考えを持ってから東京に来るのがいいと思う、と仰られて、それは大きかったですね。

僕も1ヶ月経って少し慣れましたけど、東京に来る前は「一体そこに何が待っているのか」という感じでしたからね。スタッフの方も俳優の方も、自分がすごいと思う方しか呼んでいないんですね。今回の芝居の中にちょっと剣道が出てくるんですが、僕が三級としたら、相手はみんな段を持っている人たちみたいな感じなので、それはびびりますよね。ちょっと怖いなという感じがありました。

だから宮城さんとお会いして、自分はこの方向でいいのかもしれないと思えたことはすごく大きかったですね。僕の中では宮城さんはアドバイザーというのを超えていますね。

――どちらかというとメンターのような感じだったのでしょうか?

そうですね。それで、ク・ナウカの稽古場を見に行ったんです。宮城さんが立ち上げてから17年経った、その歴史を飛び越えて、いまの成長した劇団というものを見れました。宮城さんから「僕は昔もこう考えていた」とお話いただいて、その結果を「こうだよ」と見せていただいたんですね。そしたらやっぱりすごかったですね。チームとしての結束力とか、意識の高さ、技術の高さ、役割分担の明確さですとか。レベルと技術が本当に高い。

そして宮城さんはそこを演出家として運営するわけですね。それは僕が一番興味ある仕事なので、この時間に対してどう話すのかですとか、この俳優が考えることに対して何を言うのかですとか、こっちがシミュレーションしながら見ていると、こちらが考えているのと同じようなことを言ったり違うことを言ったりするんです。それで、終わったあとに「あの一言はどういう意味だったんでしょうか」と聞いたりしました。
演劇をレストランにたとえると、僕は小さな商店をやっているんです。宮城さんはすごいスタッフを持っていて、テナントを持って切り盛りをしている。そこに僕がお邪魔して、こうやってメモ持って勉強させていただいた、という感じで…。

それは今回の台本に対して一言アドバイスをもらうよりも、何倍も情報量がありましたね。それで何度か見させていただいて、ク・ナウカの公演は体育館だったので、体育館はどう空間を切り取るのがいいのかということもお話いただいたりしました。いいアドバイザーというかメンターだったと思います。

だからいい前例ができたんじゃないかと思いますね。というのは、この創作・育成プログラム部門は、リーディング公演部門を経て、翌年一人を選ぶという企画ですけど、初年度ということで僕が今回お話をいただいて、そこで宮城さんと「戯曲や演出のアドバイスだけではないアドバイザー」という関係を築けたと思うんです。それは当初このアドバイザー制度が想定していたこととは違うかもしれないですけれど、こういう関係もあり得るという前例になったんじゃないかと思いますね。

これから本番が近づいてくるので、宮城さんにも何度か来ていただいて、公演の中身の話をさせていただくことになりますが、僕としては今回一番欲しいアドバイスはいただけました。


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――今回は本公演を創るだけではなく、アウトリーチ活動の研修もお受けになったとお伺いしましたが。

はい。こちらのにしすがも創造舎で阿部初美さんがやっている、読み聞かせ講座の練習と発表を拝見しました。それと、『親指こぞう』の演出家のキアラ・グイディさんのワークショップに三日間参加しました。

僕は、演出をする時に一番大切なのはコミュニケーションだと思っているんですね。力強く足を踏み出してもらいたい時に、「いいよ」と言うと来る人と、言わなくても待っていれば来る人と、背中を押してあげなきゃ来ない人と、何パターンもいるわけですね。その時に何を語るか、あるいは何を語らないのか、何を見て待つのか。演出家というのは皆そのノウハウを持っていると思うんです。そういうのを見るのはとても刺激的でした。

読み聞かせ講座は一般の方が対象で、阿部さんがとても優しく丁寧に教えていました。グイディさんの方は、どうやらその三日間のワークショップのために半年前から準備していたらしいんですね。東京で演劇やっている人たちが集まるということで、三日間で何を自分が伝えられるかということを考えて、資料をいっぱい集められて、本当に準備万端でいらしていたんです。会場に入ったら、手作り楽器みたいなものがいっぱいあって、名画のポスターとか写真とかがどさっとあって、もう資料は全部用意してあるんです。僕はここまでやったことがない。時間がないものだから、自己紹介もせずに「じゃあいくよ」と始めるんです。俳優とどう出会うか、台本とどう出会うか、空間とどう出会うか、音とどう出会うか、お客さんとどう出会うか、私はこう考えているという、ありとあらゆる対象物に対してのコミュニケーション論みたいなものを持っているんです。これはちょっとやられましたね。もっと勉強しないといけないなと思いました。感覚的にやっていては、本当に遠くの人とは出会えないかもしれないなと思いましたね。

――今後は札幌でどのようなアウトリーチ活動を進められるのでしょうか?

具体的には、札幌市に教育文化会館というホールがあるんですが、そこで8月に劇場主催の演劇月間みたいなものがありまして、そこで8日間くらいワークショップをやります。対象は演劇に携わっていない一般の方で、目的は今回いろんなワークショップで感じた、「コミュニケーション」というところを取り出してみようと思っています。そのことに興味を持っている方は大勢いるのではないかと思うんです。「あの人とあまり上手くいかないのよね」というようなことってよくありますよね。「仕事ではいいけど、プライベートでは絶対付き合いたいくない」とか、そういう会話って多いですよね。それをカウンセリングとかレクチャーではなく、演劇の中にある手法を紹介することで「これを使ってみたら?」という感じで提示したいですね。
たとえばそれは人の話をどう聞くかとか、どう話すかとか、相手の目の前に立っている自分の体をどうするかとか、そんな小さなことを小さなテーマでやりたいと思っています。上手くいけば、それを続けていきたいですね。

――たとえば「演劇を活性化する」といった時、裾野を広げるということと、底上げをするということ、この二つの方向性があるように思います。北川さんはどちらかというと、裾野を広げるための活動を進められるということでしょうか?

本当は、ヒーローやヒロインが出てこないと活性化しないと思うんですよ。「野球は楽しいよ」と言って人を球場に連れてきても、やっている選手が下手だったら駄目ですよね。だからやっている人間が上手くならなきゃしょうがないと思うんですが、人に向かって「お前、上手くなれよ」といったところで上手くなるわけではないですよね。

僕はコンクールに出たのも、ここに来たのも自分のためではあるんですけれども、これをニュースで見聞きして、燃えてくれりゃいいなというのがありますね。実際、こっちに来る前に札幌の演劇人と話をしたら、「そうか、俺も行こうかな」といった話も聞きましたし。だからそういうところは意識しています。後押しするのではなく、前に出ることで何か伝わればと。そうすると「あ、なんかおもしろそうだな」「あいつにばっかり行かせてられないな」と思ってくれれば、それが活性化につながるんじゃないかと思っています

誰かが「がんばれ!」と言っても限界はあると思うんです。人は勝手に伸びる必要があるんだろうと思います。「演劇の活性化」といって皆が先生になっても、うまくいかないんじゃないでしょうか。だから「裾野を広げる」とかじゃないんですよね。僕はできること、伝えたいことを伝えるだけだと思っています。

演劇人はよく「演劇の裾野を広げる」と言うんですが、音楽の人はあまりそういうことを言わないと思うんです。ロックンローラーが「俺は音楽の裾野を広げるぜ」とか言ったら、かなり胡散臭い人ですよね。楽しそうだったら参加するかもしれないけれど、上からものを言っても言うことをきくわけがない。そこは履き違えないようにしようと思うんです。僕は一選手だから、いい結果を出すことに専念しますが、こういう機会があったらいくらでも話しますし、「楽しいよ」というか、「あまり他のことと変わらないよ」ということを伝えていきたいですね。

(2007年2月28日 東京芸術劇場)


●北川徹 作・演出『浮力』公演詳細はこちら

『浮力』ポスト・パフォーマンス・トーク 3月10日(土) 19:30


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(c)谷古宇正彦


トーク出演者:
北川徹(劇作家・演出家)
宮城聰(ク・ナウカシアターカンパニー代表、『浮力』アドバイザー)
蓮池奈緒子(東京国際芸術祭)


蓮池:それでは終演後のわずかな時間ではありますが、ポスト・パフォーマンス・トークを始めさせていただきます。私は東京国際芸術祭を主催しておりますアートネットワーク・ジャパンの蓮池と申します。

まず、札幌在住の劇作家・演出家であり、今回の舞台の作・演出をされた北川徹さんをご紹介させていただきます。リージョナルシアター・シリーズは財団法人地域創造とアートネットワーク・ジャパンが主催する事業ですが、北川さんは以前にこのシリーズに参加されたことがありまして、私どもの方で今年の創作・育成プログラム部門に選出させていただいて、一緒に作品を創りました。

この企画ではアドバイザー制度というものを取り入れておりまして、今回は北川さんのご希望もありク・ナウカの宮城さんにお願いして、約1年間にわたり一緒に作品を創っていただきました。この後はお二人にお渡しして、創作にまつわる様々なお話をしていただきたいと思います。宮城さんは今日の昼公演・夜公演とご覧になっていただいたのですが、先程「北川さんに聞きたいことがいくつもある」と仰っていましたので、Q&A形式でやっていただければと思います。

宮城:皆さんの側からご覧になると、僕が質問したことに対して、北川さんは観客の皆さんに向かって答えるように感じられるかもしれませんが、ここで話すことは実は出演者も聞いているかもしれないんですね。だからどう答えるかは難しいですよね(笑)。たとえば「今晩の出来はどうでしたか?」と聞かれても、そう簡単には答えられない(笑)。

まずお伺いしたいんですが、本番に入ってから、俳優に対して話すことなども含めて、北川さんが気をつけられていることというのは何ですか? 

北川:そもそもこの企画自体が、私が一緒に仕事をしたい、一緒に舞台を創ってみたいと思っていた俳優さんやスタッフの方に声をかけて実現したものなんですね。今回限りのチームで、こちらの場所も初めてなので、まずは皆さんのコンディションがいい状態でいられるように気をつけました。今日も12時に劇場に集まって、この舞台で皆で寝転がってストレッチをしたりしていましたね。

宮城:北川さんはご自身でもストレッチをやって、指導されるんですよね。

北川:そうなんです。私はもともとパントマイムの勉強をするところから入って、舞台に興味を持って関わるようになったんですね。だから私にとっての舞台というのは、俳優の体というか、人間の肉体が伝えるものを舞台に届けたいというところがあります。そういう意味でも、劇場に入ってから大事にするのは、やはり体のことのような気がします。

宮城:僕も今回の舞台を観ていて、わりと体で見せている芝居だなと思いました。あと、僕が一番最初に観たときに思ったことで、皆さんも知りたいとお思いになっていると思うんですが、この台本はどれくらい出演者の方ご自身の話なんでしょうか?

北川:ほぼ私が書いた誰のでもない話なんですが、それに少し俳優の方々の個人的な体験を踏まえて話してもらっているという感じですね。
たとえば芝居の中で、俳優の下総さんがズタ袋の中に二股のキングギドラが入っていて、そこに手を突っ込んだら二つの噛み跡ができたけど、薬をつけたら治ったという話をしていましたが、あのエピソードは僕が書いたものなんです。でも下総さんは本当に千葉の柏市のご出身で、そこでは実際にお諏訪さんというお祭りがあるそうなんです。そこでそういう出店のようなものを見ていたとお話されていて、そこが混ざっているという感じです。

宮城:大体、年恰好もそれらしく見えるし、ぜんぶ出演者に取材して書いた台本のようにも思えるんですね。でも結構フィクションも入っているみたいだし、どっちなのかなと思って観ていました。

北川:肉体にもある程度その人のボキャブラリーというものがある気がしているんです。20代なら20代、30代なら30代、40代なら40代の人が語って伝わる言葉がきっとあると思っています。今回は、いろんな40代の働くサラリーマンの声というのを、新聞で拾ったりテレビで見たり、それこそ電車で話している声を聞いたり、あるいは想像したりして、そうやって集めたものを猪熊さんに喋ってもらいました。肉体が醸し出す背景みたいなものに託して、いろんな言葉を書いたという感じです。

たとえば、私が舞台に出てきて「自分は7年後に定年になる」と一生懸命喋ってその人物を演じたとしても、それは嘘だよねという話になると思うんですが、一番年長の猪熊さんが、スーツを着て「自分は7年後に定年だ」と言うと、「ああそうかもしれない」と思わされるところがある。その人だから伝わる言葉があると思っていて、俳優の体を借りて、私が思うドキュメントみたいなことをできたらいいなと思っていました。

宮城:確かにそう仰っていただくと、それはまったくその通りで、その年代の俳優が喋るからこそ成立するボキャブラリーがあるんですよね。

北川:たとえば、下総さんが船の上で散骨をして、それが風で戻ってきてしまったというのはフィクションですが、僕も客席でそれを観ていながら「本当にそうかもしれない」と思うんです。でもそれはあの体があるから安心して聞ける、任せられるんだと思うんです。

宮城:北川さんは作・演出をやられますよね。今回、僕はアドバイザーということで頼まれたんですが、僕は戯曲を書かないから、戯曲について何かアドバイスすることがあるんだろうかと思っていたんです。だけど今回観ていて思ったんですが、僕は演出するときは、どんな歴史上名高い名作でも、演出するときは出来損ないだと思って演出しているんですよ。いいところはあるんだけど出来損ないだから、これを何とか演出で光るものにしてやろう、そう思って演出するんです。内心読んだときは圧倒されていたりするんですが、でもそれを忘れてやる。だって圧倒されたまま芝居をやるんだったら、入場料なんて払ってもらわないで、本を買ってもらったほうがいいんですから。大体、本は入場料よりも安く買えますから(笑)。

でもね、北川さんはそれに似たところがあるんです。普通、自分で書いた台本というのは、出来損ないとしては扱えないんですよ。だから僕はいつも作・演出をやる人の演出というのは、どうも留保がついてしまうところがあるんです。だけど北川さんの演出はそうじゃない。僕は最初に台本だけいただきましたが、その後の手つきが「出来損ないだけど、光るところがある」という感じで扱っていらっしゃるんです(笑)。そこがとってもおもしろかった。

北川:台本の書き方はいま自分も探しているんですが、小説のように、あるドラマがあってそれが解決してという、ストーリーテラーの部分があまり得意じゃないという気がしているんです。物語を書くよりも、人の台詞を書くのが好きなんですね。だから父親と娘の会話も書きたいし、だけどバブルを語る男たちの会話も書きたい。普通はひとつの物語の中に出てこないことを、両方舞台に乗せたいなと思っていて、だから今回は物語を書かなかったんです。証言集のようなものを書きたかったんですね。

だから「男1、こう喋る。男2、こう喋る」みたいな台本を書いて、皆さんに配ったんです。そうしたら、最初の顔合わせで読んでもらった時に、皆さんがぽかんとされたんです。直接は言わないんですが、「わからない。困る」というのをすごく感じたんです(笑)。「でも育成プログラムということだから、育成はしてやろう。でも発表できるのか。大丈夫か」という声を聞いたような気がしたんです。

宮城:(笑)

北川:僕はそれに対して「わかりません。でもきっと、皆さんの肉体があれば大丈夫です」と答えたんですね。それが1月末くらいでした。でも、その肉体で皆さんが台詞を読んでくれると、聞いているほうがわかるんですよ。たとえば冒頭、下総さんがひたすら崖から落ちた話をえんえんと喋るシーンがあるんですが、あれは自分でも書いていて長いなあと思ったところなんです。でもそれを喋りきってくれる。「いけるかもしれない」と思いましたね。

そんな感じで、この台詞は残そう、この台詞は削ろう、でもこの台詞とこの台詞を並べたら、対比したときに何かおもしろい風景が見えるかもしれないという風につなげていって、最後に物語ができた。そんな創り方でした。


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(c)谷古宇正彦


宮城:ひとつ、僕が自分の演出の仕方と違うなと思ったのが、空間の使い方なんです。「こういう方法もあるのか」と思ったんですが、冒頭、誰も座っていない席があって、「あの方はお亡くなりになりました」と言われますよね。もし僕だったら、あそこは最後まで空席にすると思うんですよ。「空間にヒエラルキーをつくる」と僕は言っているんですが、フラットな場所に、サンクチュアリやタブーを作っていくんです。お客さんは誰もそのルールがわからないんだけど、でも役者だけはそれを守っている、というのをよくやるんです。

でも、今回この席をどう使うのかなと思って観ていたら、そこに俳優がすっと座っちゃうんですよね。「あれ?」と思っているうちに二人目が座る。さらに椅子を動かしてしまったりする。こういう風に場をずらしていくやり方があるんだなと思いました。

北川:そこに僕の大きな特徴があると思うんです…というのは嘘でして、実は最初は宮城さんと同じことを考えていたんです。あそこは特別な場所だ、さてどう置いておこうかと思っていたら、ある日ある俳優さんが座ってしまったんです。でもきちんと次の言葉を喋った。ああ、そういうものかもしれないなと思ったんです。自分にとって特別な、大事にしている場所に、簡単に人が座っちゃったりすることってありますよね。

宮城:しかも、よりによって日本での営業の仕方を話すときに座っちゃうんですよね(笑)。

北川:そこは流れに逆らわないようにしたんです。逆に、観ている方はそこはそういう場所だったということを記憶してくれるんじゃないかと思いました。それだったらそこを任せてみよう、信じてみようと思ったんですね。

宮城:とりとめもない感じになるリスクがありながら、そうはならない。たとえばその後、営業の話をした下総さんがカメラをパンしますよね。そうするとそこの映像がずれる。わずかなことなんですけれど、こういうのがあるおかげで呼応していくんですよね。つまり、ただとりとめもない空間の使い方だった、という風にならないんですが、液状化とか水浸しというイメージに若干つながっていくことで、ずるずると空間が動くような感じで成り立ってしまう。そこがおもしろいと思いました。

北川:半分は、観ている方が作ってくれると思うんです。それはやっぱり自分が、パントマイムという体のことから入ったことが大きいと思うんです。こちらがひとつ決めても、伝わるかもしれないし、伝わらないかもしれない。

宮城:単純すぎるまとめ方かもしれないですが、かなりイマジネーションに委ねているということですよね。

北川:そうですね。何かおもしろさが伝わるとしたら、それは観ていただいた方の中にあるものだと思うんです。

宮城:つまり、限定することは不可能だという前提でやっていらっしゃるんですよね。そういう意味で、息苦しくない、風通しがいいところがありますよね。たとえば、意味を100%一義的に限定できるんだという思い込みで創る人もいて、それはある種迫力のある舞台を創ることもできるんですが、僕はそういう作品を観ていると、しばしば息苦しさを感じるんです。「おもしろいけど、早く終わってほしい」というような。北川さんの創り方はそういうのとは違いますよね。

ところで、芝居の中に博多弁みたいなのが出てきますが、あれはどうして使ったんですか?

北川:私は北海道から来たんですが、北海道から来た北海道の劇団が、北海道弁で喋ったら「なるほど」と思いますよね。だけど、皆がもっとばらばらに喋ったらおもしろいかなと思ったんです。会社でも、皆それぞれ訛りがあったりしますよね。でも舞台では言語が揃っている場合が多くて、それがちょっと違和感があったんです。彼(足立信彦)は本当に博多の出身で、おもしろかったので喋ってもらったんです。僕も博多の出身ですし。

宮城:北川さんはおもしろいですよね。名前が北川で、北海道出身だったらそりゃそうだろうと思うんですが、博多の出身なんですよね(笑)。

でも僕がちょっと感心したのは、さっきから北川さんが喋っていることを、俳優は聞いているかもしれないんですよね。本当は緊張するはずなのに、すごくうまく喋れている(笑)。これは珍しいですよね。何が珍しいかというと、まだ1ヵ月半くらいなのに、ずっと前からやっているカンパニーみたいになっている。

北川:それは今回集まってくれた俳優の皆さんが、最初に台本を読んで混乱したにもかかわらず「やってやろう」と思ってくれたからだと思うんです。俳優さんだけじゃなくていろんなスタッフが動いてくださって、だからやっぱりすごいのはプロの人たちだと本当に思います。「何でもやってやるぞ」と言ってくれたんですよね。それがすごく支えになりました。

蓮池:それでは、そろそろ時間ですのでこの辺りでポスト・パフォーマンス・トークを終了させていただきたいと思います。今日は最後までお付き合いくださりありがとうございました。

北川:どうもありがとうございました。お気をつけてお帰りください。

佃典彦(芝居工場わらくアドバイザー) インタビュー


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――今回、佃さんはアドバイザーとして、芝居工場わらくの岩脇さんに戯曲を書く段階からアドバイスをされましたが、一番最初に岩脇さんが以前に書かれた作品(『「てのひら」〜活版印刷工場のひとびと〜』第4回AAF戯曲賞最終候補作)を読まれて、どういう印象をお持ちになりましたか?

佃:第一印象は、やりとりが書ける人だなということですね。上手く書けるんだけど、悪く言えばそれだけ。AAF戯曲賞の最終候補作品を読ませていただいたんですけど、会話のやりとりについては、スエヒロくんのは「なんだこれ」って感じで全然分からない人もいるから、ひょっとしたらスエヒロくんよりも岩脇さんの方が分かりいいんですけれど。だけどやはりその作家の「何が書きたいのか、どういう世界を見たいのか」という欲求の強さが、岩脇さんの台本よりもスエヒロくんの台本の方があったということなんだよね。その辺がいちばん作家性に関わってくるところですね。今回も話をして最初にぶつかったのはそこだよね。

岩脇:はい。

――どういう風に意見がぶつかったのでしょうか?

佃:最初にいただいたプロットが、満州の話だったんです。岩脇さんは今まで歴史物の話を書いていたということなんですが、僕が歴史物の話を書かないので、なぜそういうものを書きたがるのかということが分からなくて、その辺を聞いたんだけど僕の中でピンとこなかったのね。それでどうしようかと話し合ったんですが、僕はやはり「なにが書きたいんだろう?」というところを見てみたかったんですね。

それで、最初にいただいたプロットの中で「満州で一緒の部屋に住むことになった男女が出てくる」というのがあったので、じゃあその部屋の話を書いてみたら、なぜ自分は満州を書きたくて、あの時代の何に問題意識があって、それが今の平成の時代に生きている自分とどうリンクしているのかが分かると思ったんですね。人がいっぱい出てくるお話を作るよりはね。だから2人芝居にしたらどうかと言いました。

そうしたら、岩脇さんが満州じゃなくて「現代劇で書く」と言ってきたんです。そのとき、既に子供が生まれない夫婦の話を書きたいとか言ってたんだっけ?

岩脇;はい。

――最初に岩脇さんの課題として佃さんが認識されたのは、世界観がはっきりしないということですか?

佃:世界観というよりは、作家の欲求かな。作品を通してこれを書くことで、「自分は何を見たいんだ?」ということをして欲しかったんですよね。だとすると、いろいろ登場人物が出てきてストーリーがあって、こんなお話を作りました、ということではそれが見えてこない気がしたんです。

だから、お話を作るのではなくて、登場人物のこいつとこいつの関係、というので話を書いた方が、その辺は見えてくるだろうなと思いました。満州でも現代の夫婦でもどっちでもいいんだけど、とにかくお話は作って欲しくない。それがまず最初に言ったことでした。

――プロットが決まった後の進み方というのはいかがでしたか?

佃:どういう風だったかな?

岩脇:まず、第一稿目が不妊治療のプロモーションみたいになってしまって…。

佃:そうだね。それを直しました。

――進み方としてはわりと難航したんですか?

岩脇:そうですね、仰っていただいたように、本当に話を作ろうとしちゃうんですよね。その場の時間とか空間を作ろうということではなくて、「こういう風になったら面白いのかな」ということになってしまうんです。その瞬間、瞬間を作ろうという気持ちはあるんですけれど、それが台詞にならなくて、物語みたいな感じになってしまうというか…。

佃:2人芝居なので2人が喋るわけですけれども、夫婦なんてそんなに喋らないですよね。よっぽどのことがないと、のべつまくなしに一時間も喋りっぱなしというのはないでしょう。でも、芝居なら10分間台詞のやりとりが無くても、どうとでも世界を作れるけれど、リーディングはそういうわけにはいかないので…。

作家は何とか2人に喋らせようとするわけだけれども、さっき読んだ感じだと、ものすごく仲の良い2人になってしまっていますね。喧嘩をしていても、わりと正面からバーン、バーンとぶつかっている。正面からぶつかるというのは仲が良いということだから、結構イチャイチャしている夫婦という印象でした。そういう夫婦ならそういう夫婦でもいいとは思うんだけど、大事なところはさっき(稽古場で)言ったところだよね。

岩脇:はい。

佃:まだこれから台本を直さなければいけないよね。

――アドバイザーと劇作家の関係というのは、今回のリーディング公演部門における4つのカンパニーそれぞれが、違うかたちで作っていっているという印象を受けるのですが、佃さんは岩脇さんに対して、どのようなスタンスでアドバイスされたのでしょうか?

佃:僕が気をつけたのは、なるべく自分で書いてもらおうということです。北九州で戯曲セミナーをやったときに失敗したなと思ったことがあったんですが、プロットを作りますよね。それでみんなが「うーん」と悩んでいる時に、「だったらこうした方が面白いよね」と、僕の方からその場で解決策を言っちゃうんですよ。そうすると、その場は「ああ、そうですね」ということになるんだけど、それは僕が頭を使って考えたことなので、生徒たちにはそこをさせなければいけなかったなという反省があります。

台本を読んでいて、「僕だったらこうするな」とか、「ここは、こうなっていくのがいいんじゃないか」とか、「この題材そっくりそのまま貰って、僕が一本書いちゃおうかな」ということは思ったりします。「不妊の夫婦の話を僕が書くとどうなるかな」とか。でも、それは今回言わないでいます。

タイプによると思うんですが、岩脇さんは僕がそう言うと「あ、そうですね」と言ってそのまま書いちゃいそうな感じもするので、そうじゃなくて、自分の中から出てくるもので書いていただきたいなと思っています。
これが不器用な人だったらまた違うんでしょうが、岩脇さんはわりと器用にやりとりを書けちゃうから、表面だけで成立しちゃうんですね。

――もう一歩先の世界を書いていただきたいということでしょうか?

佃:僕もね、最初の頃はそう言われていたんです。岩脇さんも、短編の芝居を、たとえば結婚式という題材で20分のものを書いてと言われたらすぐ書いちゃうと思う。きっと2日くらいで書いちゃうでしょ?

岩脇:ちょっとわからないですけど…。仰ることはわかります。

佃:僕も書き上げちゃうんですよ。僕もある人から同じようなことを言われたんですが、小器用にやりとりを書いちゃうというのは、良し悪しがあるんですね。だからあらゆる選択肢があるんですけれど、どの道通っても出口は一緒というか、出口はそれだけ大きいんですよ。だから違う道をあえて通っていく、そういう作業はした方がいいですよというアドバイスをしました。

――ありがとうございました。

佃:この人(勝俣さん)がまだ何も喋っていないんだけど…。

――では、最後に一言、お願いいたします。

勝俣:…頑張ります(笑)。


(2007年2月28日 東京芸術劇場)


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北村想(南船北馬一団アドバイザー) インタビュー


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――北村さんはアドバイザーとして、南船北馬一団の棚瀬さんに創作段階からアドバイスをされました。また本日も南船北馬一団の稽古に来られたということですが、棚瀬さんの作品を読まれて、どういう印象をお持ちになりましたか?

OMS戯曲賞の最終選考に残った作品を読みましたが、いわゆる古典的というか、タッチは古いものでした。よくあるというか、どこかにプロトタイプがあるという感じでしたね。しっかり書けてあるんですけれど。そういう意味では、あまり新鮮さがあるというものではなかったですね。

――今回、アドバイスをするにあたって、棚瀬さんにどのようなことを目指してほしいとお考えになられていたのでしょうか?

一番最初に、「こういう風なことがあってもいいんじゃないか」と言ったのは、台本をどう消すかということです。それは実現しなかったんですけれど、リーディングにおける台本というものをどう考えるかということについて話しました。

最初はちょっと、寺山さんごっこをしてみようかなと思ったんですね。「書を捨てて、町へ出よう」ですから、台本を捨てて、なおかつリーディングというものが成立するか、というようなことを考えたんですけれどね。それにっよって、リーディングされるもの、つまり台本というものに対する問題意識みたいなものは生んだと思います。

大体において、リーディングというものは、ものすごく広い範疇で考えられています。昔、故人となった如月小春さんが登場された頃、あちこちで「パフォーマンス」という言葉が言われて、何が「パフォーマンス」なのかわからないけれど、あれもこれもパフォーマンスだと取りざたされたことがあったんですね。今、リーディングというのはちょうどそれとよく似たような取りざたのされ方なんですね。ピンからキリまでありますから、リーディングというものを、単純にストレートプレイの前段階的として捉えるだけのものもあれば、リーディングという形態の演劇が成立するという考え方で捉えるということもできるわけですよね。

今回はリーディングでやるということだったので、僕は後者の、リーディングという形態の演劇はどういうものかということを考えてみようと思いました。それがひとつの目論見でしたね。ただ単純に、ストレートプレイの前段階的なものとしてのリーディング、いわゆるブロードウェイがスポンサーに対して資金調達のためにリーディングをするといったようなかたちでのリーディングではないですね。

「台本を消そう」というのはどういうことがといいますと、リーディングということになると、リーディングに適した脚本、リーディングに適した演出、リーディングに適した話法、あるいは演技、そういったものがあって然るべきだと思うんです。そこに立脚して進めているんですね。これをストレートプレイに直すというのは、それはそれでまた違う段階に入るんでしょうけれども。

――既に台本は出来上がっているのでしょうか?

もう台本はできていますね。いまはそれに対してカットしたり言葉を変えたりして、台本を直しているところです。

――稽古をご覧になってみて、いかがでしたか?

彼女が半分くらい戯曲を書いた時点において、リーディングとはどういうものかということについて、僕の考えを述べたんですが、その辺はよく理解していますね。

棚瀬さんというのは頭のいい方ですから、理屈でものを理解することができるんですね。だから僕は具体的に「ここをこうして」という添削方式ではなくて、理屈でリーディングはどういうものかということ説明しています。論理的に言えばきちんと理解するし、わからないことはわからないなりにちゃんとした質問が返ってきますから、それにはちゃんと答えています。

台本の段階はそうやっていたのですが、これからは稽古となると演技者という身体が入ってきますから、そういう場合にどうするかということは、これからまた次第につまっていくと思いますが、昨日の段階ではまだ僕は動きを見ていないですね。台詞を耳で聞いていて、台本を追って、戯曲の点検だけしていますね。今日はリーディングを演じるものを対象とした稽古になると思います。

(2007年3月2日 東京芸術劇場)


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2007年03月01日

平田オリザ(F's Companyアドバイザー) インタビュー


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――今回、平田さんはアドバイザーという立場で、長崎のF's Companyの福田修志さんに戯曲のアドバイスをされました。「比較的お節介なくらいに、最初から戯曲の描き方に関与した」とチラシにありますが、創作は福田さんとの間でいつ頃から始められたのでしょうか。

始まったのが去年の6月頃で、福田さんが以前に書いたものを読ませていただきました。第一稿を出してくださいと言ったのが10月頃ですね。秋頃に、福田さんに設定だとかいろいろアイデアを出してもらって、考えてきてもらったものについて「これはダメなんじゃないか」ということは結構厳しく言わせてもらいました。

――どういった手段でやりとりをされたのでしょうか。

基本的にはメールですね。あとは、福田さんが上京したり、僕が仕事で福岡に行った際にあったりで、一番最初の顔合わせのときから数えて5回会っています。

――アドバイスを受けた福田さんのレスポンスはいかがでしたか。

思っていたよりペースは速かったですね。基本的には、難しい注文に耐えてよくがんばってくれたと思います。

――今回の戯曲に関しては期待してもいい出来でしょうか?

ええ、僕はおもしろいと思っています。

――平田さんは今回アドバイザーとして参加されていますが、この企画は単に若手の劇作家にアドバイスをするというだけでなく、各劇作家がその成果をそれぞれ持ち帰ることで地域に還元するというねらいを持っています。地域における演劇の活性化を推進するにあたって、この企画の果たすべき役割をどのようにお考えでしょうか?

今回、枠組みが変わりましたが、それは一通り第一期で紹介すべきところは紹介し終わったというのがありますし、また創作という次のステップに関わる必要があるということがあります。後者の方が重要で、これからは各公共ホールがきちんとした作品を創っていくことが必要です。それは市民参加レベルのものとは一線を隔した、高いレベルのものを創っていかないといけない。

たとえば僕の作品でいうと、フランスの地方の国立演劇センターに依頼されて書いた作品があります。これは一昨日あたりまで一ヶ月半くらい公演をやっていて、4月にシアタートラムでやるんですが、これはティヨンヴィルという、ルクセンブルクとの国境近くの人口10万人くらいしかない小さな街の国立演劇センターでやりました。ここは予算が5〜6千万くらいしかなくて、年間に創ることができる作品は1本くらいなんですね。それも1千万くらいしか予算が出ない。あとの4〜5千万は日本の普通の劇場と同じように、買い取り予算です。

でも1千万を種銭にしていい作品を創ると、それを他の劇場が買ってくれるから、それが4〜5千万くらいの予算になるんです。僕がティヨンヴィルで創った作品もすごく評判が良かったので、来シーズンの再演も決まって、他の国立演劇センターからの買い取りも入りました。そうすると収入が増えて翌年から事業予算が増えるので、さらにまたいい作品が創れるんですよ。

演劇のおもしろいところは、小さな都市で小さな予算でも、世界レベルの作品を創れるというところなんですよ。Jリーグのチームを持つのでさえも何億という結構なお金がかかるんですけど、演劇の場合は元手が1千万くらいあれば、いいプロデューサーがいればそれが出来るんですね。

お客さんにとっては、長崎で創られた芝居だろうが成田市で創られた芝居だろうが、いい芝居はいいというだけであって、関係ないんです。『別れの唄』はパリ在住の演出家と日本人の僕が創った芝居ですが、全部クレジットにティヨンヴィル=ロレーヌ国立演劇センターというのが入るから、ティヨンヴィルの人はそれをすごく誇りに思うんですよ。
Jリーグだってそうでしょう。先発メンバーは全員長崎出身じゃなきゃ嫌だって言う長崎市民はいないわけですよね。監督だって外人でもいいわけだし、要は勝てばいい。

そういうことをこのリージョナルシアター・シリーズを通じて、地元の劇団、そして特に公共ホールの制作に関わる職員が学んで、プロデューサー的な能力を磨いていくというのが最終的には一番大切だと思います。

――今回はどちらかというと、劇作家にアドバイザーがついて劇作の才能を育てるという面に目が向きがちですが、そればかりではなくて公共ホールの職員も対象にしてプロデューサー的な能力を育てなければいけないんですね。

今回はたまたまわかりやすいところから始めたわけですが、プロとアマチュアの違いというのは、簡単に言ってしまえば気合が違うんです。地方の劇団にとって、そういうところが大事なんですね。そういう意味で、長い目で見ると意識改革につながっていくと思います。

東京の劇団や劇作家だって、適当にやっている人間もたくさんいます。ただプロとして生き残っていく人たちは、作品を創るときの集中力が違う。一回一回生活がかかっていたり、自分の名誉がかかっていたりする。それはやっぱり、知っている人しか観に来ない地方の劇団とは全然違います。才能に差があるわけではない。これは少しずつ浸透して意識改革していくものなので、これからはいかに地方の公共ホールが、作品を創っていく過程でそういう厳しさを学んでいくかということが大事なんじゃないかなと思います。

ただ、プロデューサー的なことが公共ホールの財団職員でできるかどうかというのは怪しいですね。足りないものは取ってくればいいということで、プロデュース能力がなければプロデューサーを雇うというかたちになりますから。

海外で仕事をしていても、日本の演劇人は個別の能力では全然遜色ないと思うんですよ。しかし、劇場の制作能力が一番欠けています。
予算についても、皆「予算がない」って言うんだけど、僕が芸術監督をやっているキラリ☆ふじみなんかも全然予算はない。だけど、毎年1本は必ず新しい作品を創っています。300万円くらいで。
それをやることによって職員が鍛えられるんです。ものを創っていなかったら劇場というのは死んでしまうので。それは市民参加のレベルで創るんじゃなくて、最低限全国レベルの批評に耐えるようなものを創るというのが大事なんです。

――地域の演劇を活性化していくにあたって、どのようなことが課題と考えられるのでしょうか。

これからこの企画を継続していくにあたって、ここからステップを踏んでいったところにはきちんとフォローしていって、公演が広がったときにはちゃんとバックアップすることが必要ですね。あともうひとつはネットワークですね。

公共ホールが作品を創って、それを他の劇場が買い取ってくれれば、そのことによって予算規模が大きくできるんだけども、日本の場合、地方の公共ホール対東京しかないんです。地方同士のネットワークがとても弱い。東京でしかロングランが出来ないし、そこはもうちょっと変わっていかなければいけないですね。
たとえば長崎で作品を創ったら、九州の県立劇場を3日間くらいまわって、せめて北九州では一週間くらいやれるといいですね。

――そうやって地域外のカンパニーが公演をすることによって、お客さんも育っていきますよね。

お互いに批評性を持つということが大事ですね。やっている方にとっても、知り合いじゃない人が観るというのは、私たち東京の演劇人が思っている以上に大変なことなんですよ。

京都があれだけ劇作家が育って、演劇が盛んになっているのは、京都というのは特殊な演劇事情があって、結構簡単に大阪公演が出来るんですね。近いから。でも大阪では知り合いは観に来ない。だから予算規模があまり変わらないで、ちょっとした旅公演ができるというのが京都の強いところなんです。今回、長崎の企画も佐世保でもやるんですが、そういったことが大事ですね。

――東京近郊の千葉や神奈川でも同じようなことが可能ですよね。

富士見市でやっているようなことを、東京近郊の劇場がやれば、東京の小劇場シーンもずいぶん変わるんですが、さっきも言ったように、本当にそんな簡単なことさえもできない。
公共ホールの普通の財団職員にとって、演劇をひとつ創るということは、勉強すればいいことだと思うんですけど、でも出来ない。もしかしたら、財団という制度自体が文化を応援するうえでは限界に来ているのかもしれないですね。
そもそも専門性が高くて市役所ではできないから財団を作ったんだけど、でも財団職員を受ける人は、公務員になるつもりで受けるんですよ。指定管理者ができて揺れていますけれど。

作品が失敗してもその人の首は飛ばないし、家を抵当に入れることもない。でもプロデューサーとかクリエイティブな仕事というのは、そうではなくてリスクを負うということなんですよ。だからフランスの場合は公共ホールの職員は安定しているんですが、芸術監督やプロデューサーは1年契約で、3年ごとに見直しをして変わっていくわけです。今後はそういうシステムが必要になってくるかもしれないですね。

ただ、アートマネジメントというのは常に現実的な対応をするしかないもので、理想は理想なんですが、今できることは何かというと、それは公共ホールに勤めている財団職員の質を向上させることだと思っています。

(2007年2月26日 東京芸術劇場)


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芝居工場わらく[成田] 岩脇忠弘・勝俣稔インタビュー


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左:岩脇忠弘(劇作家) 右:勝俣稔(演出家)


――今回はリーディング公演部門でのご参加ということで、アドバイザーの佃典彦さんが創作段階から関わられていたということですが、岩脇さんとの間でどうやってやりとりを進められたのか、お話いただけますか。

岩脇:僕は台本を書いたのがこれで4本目なんですよ。その書き方というのも我流でやっていたものですから、見よう見まねで書いてきたんです。それでこれまでに2本上演してきたわけなんですが、佃さんは今までの僕の作品を読まれて、もう見抜いていらっしゃったんですね。

僕が今まで書いていたような、ストーリーを追うものではなくて、登場人物が2人だけで、一瞬一瞬といいますか、その時の人間の距離感というものを捉えて芝居を創っていくようにと仰られたんです。

僕も、最初は何人も登場人物が出てくるものをやろうと思って意気込んでいたんですが、そうすると今までやってきたのと同じようなものになってしまうんですね。だから一からご指導いただけるのであれば、「仰っていただいたように、その設定でいきます」ということで書き始めました。

今回は夫婦の話なんですけど、まず究極の時間を描いたほうがいいと言われたんですね。芝居の中で暗転を使って、その人たちの人生の一部をぽんぽんと抜き出すんじゃなくて、上演時間が1時間なら1時間で、その人たちが一番辛かったり苦しかったりの末に、理解しあう、ギュッとつまった究極の時間を書いてはどうですかとアドバイスをいただきました。

自分が書いたものを振り返ると、登場人物が多かったり暗転があったりして、トピックというか、話題で芝居が進められるようになっているんですね。その癖がなかなか抜けなくて、どうしてもおもしろい話にしたいと思ってしまうところがあります。佃さんはそのことも見抜いてくだすっているんですが、今後書き続けていくうえで、ストーリーじゃなくて、その場所、その状況を描いていくというのが僕のテーマかもしれないですね。

――台本はもう完成されているんですか?

岩脇:一応最後までいってるんですが、ギリギリまで演出家や役者と話し合って書いていきたいと思っています。

佃さんが仰ってくれたことがあるんですが、「正直、この後どうしようかと思っているんです」と言ったところ「“どうしようかと思う”じゃなくて、“この後どうなっていくのか”と考えてみたら」と言われたんです。佃さんご自身も「これからどうしようか」という時に、必ずいつも思い直して「これからどうなっていくんだろう」という風に考えて(台本を)進めていると仰ってくださいました。難しいと思いますが、たぶんそれもこれから僕のテーマになっていくと思います。

――今回の作品は、結婚後数年経つのに子どもができないという夫婦の物語ですが、どういった理由でこの題材を取り上げられたのでしょうか?

岩脇:あれは、言ってしまうと半分自分のことなんですね。
今まで書いていた作品というのは、戦争中のことだったり僕が生まれた昭和40年代くらいのことだったりして、その時代のことを調べて書いたりしていたんですが、それを全部やめてしまって、結局自分の中から出てくるものを書いたほうがいいのかなと思いました。じゃあ自分の中の一番の問題は何かというと、僕もおかげ様で子どもが生まれたんですけれど、なかなか子どもができなかったんですね。その時にいろいろな葛藤や悩みがあったりしたので、それを元にして何かできないかなと思ったんですね。


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――今回のリージョナルシアター・シリーズに参加される4カンパニーの中で、作と演出が分かれているのはわらくさんだけですが、カンパニー創立当初からこのようなスタイルだったのでしょうか?

勝俣:はい。岩脇が書いて僕が演出するというかたちでした。

岩脇:僕はもともと役者をやっていて、演じる側の立場の人間でした。それが、知り合いの人に戯曲というか台本を書いてくれと頼まれまして、戸惑ったのですが「じゃあ何とかやってみよう」ということで書き始めました。
佃さんのところもそうですよね。台本を佃さんが書いてらして、演出を別の方がされていて。

たぶん僕は書いているとすごく近視眼になってしまうので、周りがわからなくなってしまうんですよ。それを、勝俣が演出してくれて、ぐっと引かせてくれるんですね。「これは違うんじゃないの」とか。それでふっと違うことを思わせてくれるので、かなり助かっているところがあります。

勝俣:僕は書きたいなという興味はあるんですが、演出というものについて勉強することがまだまだ沢山あると思ってます。あと役者もやっていますので、そっちをもうちょっとやってから、書くということに挑戦してみたいなと思っています。

――リージョナルシアター・シリーズの中でも、千葉からの参加というのは今回が初めてとなります。千葉や神奈川といった東京近郊のカンパニーの場合、地元ではなく東京に出て公演を行うというケースが多く、あまり地域で演劇活動をされているカンパニーは多くないように思われるのですが、なぜ成田に拠点を置いて活動されているのか、お話していただけますか。

勝俣:まず実家がそちらにあるという理由があるんですが、やっぱり文化的な活動もそれ程盛んではなく、演劇ですとか表現といったものにはあまり興味を示してくれないですよね。
でも、東京に行かないと芝居を観ることができないという状況じゃなくて、成田でも1人でも多くの方に芝居を観ていただきたい。芝居を観る前と観た後で「あ、芝居ってこういうものなんだ」と見方が変わることがあると思うんです。だから1人でも演劇に興味を持ってくれる方が増えたらと思って、成田でやっています。もっと成田で芝居ができる環境ができたらと思っています。

岩脇:でも徐々に、市民劇団などが出来てきているので、少しずつ盛り上がりつつある時かなという気がします。

――成田では、どんなお客様が芝居工場わらくの公演を観に来られていらっしゃるのでしょうか。

勝俣:40代、50代の女性が多いですね。東京の小劇場の観客層とはもう全然違います。必ず子どもが騒いだりですとか、おじいちゃんの独り言が聞こえたりですとか(笑)。
同じ芝居を東京でやって、成田に持って帰ってくると全然反応が違うので、こっちもちょっと戸惑うことがあるんですけれども、でもそれがおもしろいですね。

岩脇:子どもが舞台で起こっていることを正直に言うんですよ。
登場人物の女性がお酒を飲んで寝ちゃったシーンがあって、スーッと静かになった時、子どもが「死んじゃったの?」とすごく高い声で言ったことがあって(笑)。
東京の劇場だと、やっぱりお客さんは「ちゃんと観ましょう」という感じですよね。それが成田では、良い悪いじゃなくて、すごくお客さんの息遣いが聞こえてくるというか。それがとてもおもしろいですね。

――岩脇さんの作風というのは、やはりそういった成田のお客様を意識して書かれているところもあるのでしょうか?

岩脇:たとえば僕が最初に書いたのが、僕の父母が子どもだったときの時代で、その後が自分が生まれてきた時代の話だったので、お客様に観ていただくと「ああ、あの時代はあんなことがあったなあ」という感じでいろんなことを思い出していただけるのかなと思っています。
抽象的かもしれないですけど、僕は木の匂いというか、当時の家の匂いがしてくるような芝居が好きなんですね。


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――今回の公演はリーディングですが、どのような形式のリーディング公演になりそうでしょうか?

勝俣:以前に何回かリーディング公演をやったことがあるんですけど、その時は衣裳をつけてみたりですとか、動きや音を入れてみたりとかいうことをしたんですね。
今回はなるべくそういうものを入れないようにして、岩脇の台本と役者の表現力でやろうと思っています。なるべく単純に、素朴にやろうと思います。

――今回は東京での公演になりますが、地域の外で公演するにということをどのようにお考えですか?

勝俣:先程も言いましたけれども、今は何でも一極集中になっているような傾向がありますが、この頃になってやっと地域の色が出てきたような気がします。演劇も一極集中ではなくて、いろんなところでやっていければと思います。成田でやれば、成田のお客さんの反応にはすごく刺激を受けるところがありますし。
あとやはり、成田の場合なんかですと、東京までわざわざ芝居を観に行くとなるとちょっと億劫だなという感じがありますので、そういう意味でもっと機会を増やして、地域の特色というのをお客さんと一緒に作れればなと思っています。

(2007年2月27日 東京芸術劇場)


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[PROFILE]
04年6月、代表で演出を務める勝俣稔を中心に結成。千葉県成田市を活動拠点に、東京でも精力的に活動。
第6回成田演劇フェスティバルACT WAVE2005に参加し、オリジナル作品『「てのひら弐」〜はっはしくしく奮闘記〜』にて旗揚げ公演。以後、オリジナル以外に岸田國士や菊池寛などの作品を上演している。また都内JazzClubやシアターバーで、リーディング公演を行い好評を得る。劇作を担当する岩脇忠弘の処女作『「てのひら」〜活版印刷工場のひとびと〜』は第4回AAF戯曲賞の最終候補に残る。

魚灯[京都] 山岡徳貴子インタビュー


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――今回はアドバイザーとして岩松了さんが山岡さんに戯曲のアドバイスをしていったということですが、そのやりとりはどのように進められたのでしょうか?

他のカンパニーでもいろいろなやり方で進めていると聞いているんですが、岩松さんの方からは、まず戯曲を完成させてください、それを読んだうえで意見を言わせてもらいますと言われました。それで、何もない状態から書きたいものを書いて提出しました。

――実際に岩松さんからはどのようなアドバイスをいただいたのでしょうか?

岩松さんには本当にわかりやすく教えていただいたんですけれども、最初の第一稿の時は、結構大まかというか全体的な話をしていただきました。第二稿を提出したのは先週だったんですが、結構細かくダメを出されて、いままさに(台本を)書いている途中です。

一番印象的だったのは、「台本から読み取ると、山岡さんは意地悪だよね」と言われまして(笑)、「それを隠さないで、もっとどんどん追求していったほうがいい」と言われたんですね。
それと、私はどうしても俗に言う「静かな演劇」というか京都系というか、肝心なことをあまり語らないで話を進めていく、という中で育ってきているんですね。だから台詞も短いですし、自分の心境とかもなるべく喋らないように書く癖がついてしまっているんですけれど、岩松さんは「あえて長台詞を書いた方がいいよ」と仰ったんですね。「長台詞を書くと、どんどん登場人物の心境を追求せざるを得なくなってくる」と。そうなるとより良く人物像が膨らむし、関係性も複雑になっていくから、そういうことをこれからはやっていった方がいいというのが、一番印象に残ったアドバイスでした。

アドバイザーとして、どういう立場でものを喋ればいいのか迷うところはたぶん岩松さんにもあったと思うんですけれども、自分の意見みたいなのを強く出してしまうと、それはやっぱり岩松戯曲でしかなくなってしまうので、なるべくそれをしないよう、気をつけながら教えていただいた感じがします。
そして私は、具体的に教えていただいたことに関して、それをそのまま使わないように、なるべく自分の色に変えて、自分の表現としてどう出すかというところで奮闘しております(笑)。

――今回の作品『静物たちの遊泳』は夫婦の物語だと伺っておりますが、どういういきさつでこのテーマに決められたのでしょうか。

夫婦というのが一番身近で一番遠い存在じゃないかなというのがありますので、いろんな関係性がそこに生まれるんじゃないかなと思いました。

――「リーディング公」演と一口に言ってもいろんな形態がありますが、今回はどのような形式になりそうでしょうか。

私自身がリーディング公演を一回しか観たことがなくて、無知なんですね。だからリーディング公演ということでどういうことをやればいいのか、「リーディングとは何ぞや」ということで既につまずいているんですね。
ただ、今回の意図としては本公演に向けての戯曲の発表ということで、戯曲を見てもらおうと思っています。エンターテイメント・ショーとして楽しめるものを創るというよりは、戯曲をどう伝えるかということに重きを置いてやろうかなと思っています。


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――棚瀬さん(南船北馬一団)のお話によると、大阪はどんどんエンターテインメント志向が強くなっているということだったのですが、京都の演劇状況はいかがでしょうか。

言い切るのは難しいですけれど、京都というのは、売れる売れないということを気にしないで、どんどんマニアックな方向に向かっていったりですとか(笑)、簡単に言ってしまうと小難しい方向に走っていったりですとかを、結構自由に表現できる場所だと思います。その分、あまり劇団同士の競い合いですとかライバル心みたいなものは少ないように思うんですけれども、わが道を行くというスタイルの劇団が多いような気がします。

京都の場合、お客さんをいかに集めるかというより、お客さんが集まらないものとして創っているようなところがあります(笑)。東京と違って、小さな小屋で、お客さんは200人とか300人、というのが普通の世界ですので、良くも悪くものんびりしていますね。のんびりしている代表が自分なんですが(笑)。

――今回は東京での公演となりますが、地域の外で公演することの意味というのをどう考えていらっしゃいますか?

そうですね。まあ今回はリーディング公演なので、本公演を打つという意識とはちょっと違うんですが、たとえば岩松さんと触れさせてもらったおかげで、プロ意識だとか、作品に対して妥協せずどんどん追及していくという姿勢を学んだと思います。のんびりしちゃいけないな、と(笑)。

私は台本を書くのが遅い方なので、いつも本公演の2、3週間前に台本が出来上がって、「さあやろう」という感じで一気に創っちゃうんですね。だから台本の見直しみたいな時間はほとんどとれないんです。稽古をしながら、おかしいところを修正していくという感じだったので、今回のようにじっくり取り組むということは初めてだったんですね。

今回取り組んだことで、戯曲の見直しがいかに重要かということはよくわかりましたし、いろんな角度から視点を変えて見ていく時間は必要だなと思いました。今回で学ぶなという感じではあるんですが(笑)。

――そういった意味では、山岡さんにとって、今回岩松さんと一緒にやられたことは大きかったんですね。

逆にそれだけプロとの差があるというのは、まざまざと見せつけられた気はしますね。プロで活躍される方はこういう人じゃないと駄目なんだなという、高い目標ができたと思います。

――今後、京都でカンパニーとしてどのような活動をされていこうと考えていらっしゃいますか?

自分がやりたいようにじっくり取り組めるというのが京都のよさだと思いますので、既成の今までの自分の作品に囚われず、どんどん視野を広げて戯曲を書き続けていきたいなと思います。

(2007年2月27日 東京芸術劇場)


●魚灯『静物たちの遊泳』公演詳細はこちら


[PROFILE]
99年、ユニットとして活動をはじめ、03年に劇団として活動を開始。
脚本・演出を担当する山岡徳貴子は02年「祭りの兆し」で第8回OMS戯曲賞佳作を受賞。
その作風は、人間の内面をえぐる残酷さとそれを笑い飛ばす愛とユーモアに溢れ、テンポの良さと緊迫感漂う上演により評価を得ている。
また俳優陣も武田暁が第4回関西現代演劇俳優賞奨励賞を受賞するなど、その実力が認められている。

南船北馬一団[大阪] 棚瀬美幸インタビュー


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――今回のリージョナルシアター・シリーズは、プロの劇作家がアドバイザーとして戯曲の創作段階から関わっていくという企画ですが、この企画に参加するにあたって、どのような期待、または不安をお持ちでしたか?

アドバイザーについてもらって台本を書くというのが初めてなので、正直、どういう風になるのか全然分かりませんでした。

主催者の方から「アドバイザーはどなたがいいですか? 3名くらい選んでください」と言われて、個人的にお話したことのある方、挨拶したことがある方、全然お会いしたことがない方の中で、どれぐらいの距離感の方がいいのかわからず、3グループに分けさせていただいてお名前を挙げ、その中から選んでいただいたという形でした。

それでアドバイザーが北村想さんに決定しまして、9月の顔合わせの時にお会いさせてもらったんです。その時に、「一番最初はプロットから送ったほうがいいですか、それとも台本を書いている段階から送った方がいいですか、それとも第一稿を仕上げてから送った方がいいですか」とお聞きしたんです。私は書くのが遅いという話と、プロットは書かないという話をさせていただきました。ただ、アドバイザーの方が望まれるのであれば、プロットを書いてそれを提出しようと思ったんですけど、「全部終わってからでいいですよ」と優しく仰っていただいたので、ほっとしました。

基本的に想さんから、途中段階でアドバイスをもらうというよりは、私が遅筆で、期日までにラストシーンまでいかなかったからなのですが、ラストシーン近くまで完成させてから感想をいただくというかたちでした。それで、「この戯曲のここについて、私はこう思っているんですけど、どうですか?」というようなお話をさせていただきました。今回のアドバイザー制度は、本当にアドバイザーの方のお人柄と作家のキャラクターで、どんな話題や進行になるのかは、それぞれ違った形になっているのだと思います。

――北村さんからは、どういったアドバイスをいただいたのでしょうか?

私は書くのが遅かったので、ギリギリにしか想さんに出せなかったのですが…。
想さんは博識なので、まずリーディング公演と本公演との違いはなにか、というリーディング公演の定義についての話を伺いました。

ハイデガーの「存在と時間」から入って、存在というのは何かというところから話をしていただきました。まあそれは、私が哲学は入門しか勉強したことがないからなんですけれど。そこからリーディングというのをどうやって定義していくかというお話をしていただきました。だから、台本の細かいところについてというお話ではなかったです。けど、私から「少しここが足りないと思っているので、もう少し書き足したい」と言うと、「こんな話題に触れてみてはどうですか」とお話しいただいたりしました。

先生、生徒という形ではなく、大先輩の劇作家さんに聞きたい事を聞いていいというスタンスに想さんがして下さったので、私にとってはすごくやりやすかったです。想さんが興味をもっていらっしゃること、想さんの知識や、この戯曲をどう思っているか、何が必要かというのを言っていただいて、楽しい時間でした。だから私は、想さんで良かったと思ってます。

――今回の作品『ななし』についてですが、どういったいきさつで戯曲のテーマを決められたのですか?

最初に、想さんがリーディングについて「3人がいいと思う」と仰ったんです。想さんのリーディングの定義で「3人」というのがありまして、なぜ3人かというと、3人から「社会」になると言いますよね。「1人」は個を書くものなので、それは日記がいいと思うと言われました。「2人」は対のペア。「3人」になったら「社会」になる。そこでは、都市伝説とかそういう話を語りなさいと。個、対、社会と3つができるから、そのためには3人というのがいいですと言われました。私は3人というのはちょっと少ないなと思いましたし、一緒にやりたい役者さんもいたので、じゃ、3の倍数でいこうと(笑)。それで6人にしました。最初に、3人のペアを2つ作るというところから始まって、確実に個の話を入れて、対の会話も入れて、3人の会話も入れる。だから4人とかいうのはないんです。6人芝居であろうとも、それは想さんの3というのを引き継いで、3と3で6人(笑)。

私は文化庁の海外派遣で1年間ドイツに行っていて、その間にリージョナルシアター・シリーズに出させてもらうことが決まったので、これが帰って来て1作目になるんですね。ベルリンに行っていたのですが、なぜベルリンに行こうと思ったのかという動機、日本をどう見ているのか、もしくは日本人であることは何なのだろうとか、そういうようなことを書きたいなと思っていました。それと、先程の形式を合わせて考えていきました。

――いまベルリンに留学されたというお話が出ましたが、そのときの経験と、その際どういうことを考えたのかをお話いただければと思うのですが、まず最初にドイツに行こうと思った動機は何だったのですか?

それはカストルフの芝居を観たかったというのと、東西演劇が一緒になった後の、ベルリンの混沌とした世界を見たいというのがあったんですね。そしてその混沌とした中にいて一番思うのは、なぜ私が日本人だと分かるんだろうということです。いっぱいアジア人がいる中で、日本人だと分かるんだろうと思いました。

あと、言葉がないんですね。もちろんドイツ語を勉強して行ったんですけれど、演劇の専門用語は喋れない。日常会話を喋れたとしても、きれいな言葉を喋っているのとは違う。その言葉が無い中で、逆にどういう風に言葉じゃないコミュニケーションが成り立つんだろうと考えました。それでも気が合う人合わない人というのが出てくるので、それは何なんだろう。そういうことをすごく考えていましたね。それは戯曲の中では、表立っては出て来ないんですけれど。

――今回はリーディング公演という形式ですが、この作品はどんなリーディングになりそうですか?

これもまた、想さんからお話があったんですが、いま行われてるリーディングというのは、台本を持っているといってもほとんどみんな台詞を覚えている。私も1回リーディング公演の演出をしたことがありまして、そのときは公演形式にしてしまったんですが、公演形式にするのに10回程度の稽古では足りない。だけど、台詞を覚えたのになぜ台本を持っているのか、という疑問もまた出てきてしまう。

想さんからは、役者が台本を持っているという、最初不自然に見えることが不自然でなくなるのにはどうしたらいいかという話ですとか、リーディング公演についていっぱいアドバイスをいただきました。だから想さんと話をした上で、とにかく台本を括弧にくくる、だけれども<何か>を読んでいる。昔、リーディング公演を演出したときには、衣装も考えて、台本の色も考えて、立ち位置も考えてという感じでやっていたんですが、今回は本当に読むことに重きを置いています。でも朗読とはまた違うので、動きます。ただその動くというのは、物理的距離を表すわけではなく、心理的距離を表すという点で動くということですね。

――次年度以降は本公演という形でやることになっていますよね。

それが困っているんですよ。最初、想さんからは「リーディング公演の台本を書きましょう」って教えていただいたし、私もそう思って台本を書いていたんです。リーディングと本公演の何が違うかというと、空間性を重視するか時間性を重視するかだと言われてまして、想さんのアドバイスが目からうろこだったので、時間性を重視して書いているんですね。

前回会ったときに「想さん、本公演はどうしたらいいでしょうか? 私の中ではリーディング公演だと思って書いているので、リーディング公演としてしか浮かばないんですけど…」と言ったんです。そうしたら「また一から考えて、本公演とリーディングの違いというのを僕なりに組み立ててみましょうか」と言っていただいたんですが、組み立てていただいてから台本を書き直してたら、大阪公演間に合うのかな(笑)。

だから、基本的にとても困ってます(笑)。空間性が本当に無いというか、動く必要性がないお芝居として書いていますし、語るということに重点を置いているので、このままだとたぶん本公演を観ても面白くないんじゃないかと思いますね。ちょっと案を考えなきゃいけないんですが、それはまあリーディングが終わってからです。

――大阪のカンパニーも東京に来て公演されているところが多いと思うのですが、東京といいますか、地域の外で公演することの意義をどう考えていますか?

それは難しいですね。南船北馬一団も、3回自分たちの公演で東京に来ているんですけれどね。私たちの旗上げの頃は、東京に公演に行く若い劇団も多かったんですが、私たちは簡単に行きたくないと思っていました。大阪でずっと芝居をしているので、大阪でやり続けて東京に呼ばれるようになる、もしくは観たいと思ってくれる人が増えてから東京に行きたいと思っていました。東京はやっぱり時間の流れが速いですよね。芝居に関してもそれは同様だと思っていて、消費されるのが嫌だったんです。

大阪も東京も、いまはエンターテインメントの方がお客さんが入るという中で、そうではない私たちのような芝居にお客さんがどれくらい入ってくれるかというと、東京でも少ないんじゃないかと思います。どこが面白いか、自分に合うかなんて、東京のあれだけのチラシの束の中から見つけ出せないですよね。「大阪から来た」ということは特別なことでもないですから。

今回のようにリージョナルシアター・シリーズの場合、リージョナルシアター・シリーズが持っている顧客の方がまず観に来てくれる。その顧客というのはエンターテインメントが好きな方ばかりではない。地域の演劇を観たいという人なわけだから、そことの差がありますよね。リージョナルシアター・シリーズだから来ようと思った、というのが正直なところですね。

いままで3回東京公演をしましたが、やっぱりチラシだけでは、フィーリングがうちの劇団と合う人たちを私たちも見つけられないし、向こうも見つけられないんじゃないかと思います。もちろん雑誌にたくさん載っている劇団なら、そんなことはないんでしょうけれど。そうなるとまたエンターテイメント系になってしまうというジレンマですよね。東京公演だからどうだというのはないんですが、今回はフィーリングが合うお客さんと出会えたら嬉しいなと思います。

――先程、以前は大阪の劇団が東京によく来ていたとのことですが。

いまはどちらかというと、公演をしに行くというよりは、東京に行っちゃう人が多いですからね。拠点を東京に移しちゃう。10年前はそうじゃなかったんですよ。毎年ちゃんと東京に行って、赤字を抱えて解散というのがよくあるパターンだったんですね(笑)。いまはそうではなくて、3年、5年経ったら東京に住んでしまうというのが多いですね。東京の方がお客さんもよく来るからという理由で。

大阪は難しいです。エンターテイメント系の劇団の方が多くなってきているので、お客を動員しやすい劇団が残り続けているというのが、大阪の現状です。東京も同じだと思いますけど、大変ですよ、大阪は。
大阪は特に、新しい観客層を開拓しようとするとやはり若くて面白いもの、その場で楽しめるものを求める人が多くなりますね。うちの顧客は比較的年齢が高いんですが、そういう人が他にどこにいるのか分からないんですよ。何にアプローチしたらそういう人が来てくれるのか。

――このリージョナルシアター・シリーズに参加されたことで、何かお考えが変わったですとか、感じられたことはありますか?

私たちはまだ大阪でしか稽古をしていないのでわからないんですが、アドバイザーと作家の関係にすごく興味を持っています。私は想さんと出会えたから、リーディングという公演はどういうものかを考えて書いています。他のアドバイザーの方だったら、たぶん違うことを書いたのではないかと思いますし、それは他の人にも言えることじゃないかと思います。

作家の個性、アドバイザーの個性、それがどういう風に組み合わさったのかというのを、他の劇団の公演を観て知りたいなとすごく思ってます。

リーディング公演とは何か、作家とアドバイザーが出会うというのがどういうことなのか、まだ私自身よく分かっていないところがあるんですが、今回の公演を観て、そしてアドバイザーの方々のお話を聞いたときに、リーディング公演というのがどんなもので、作家と作家が出会う、また作家とアドバイザーという関係で出会うというのが何かというのが分かってくるんだろうなと思っています。

(2007年2月27日 東京芸術劇場)


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[PROFILE]
96年旗揚げ。97年より主宰の棚瀬美幸が作・演出を務める。
年2本ほどのペースで作品を発表し、2001年に発表した「帰りたいうちに」(棚瀬美幸/作)で、第7回劇作家協会新人戯曲賞大賞を受賞。“現実感を失った時代におけるリアル”を多彩なスタイルで描く。
棚瀬美幸は06年8月までの1年間、平成17年度文化庁新進芸術家留学制度研修員として、ドイツ・フォルクスビューネ劇場に留学。本作が帰国後第一作目となり、その成果が注目される。

F's Company[長崎] 福田修志インタビュー


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――今回はアドバイザーとして平田オリザさんが戯曲の創作段階から関わってアドバイスをしていったということですが、こうした企画に参加されるにあたって、どのような期待を抱かれていましたか?

僕も東京に住んでいた時期がありますが、地域の劇団が東京で公演をやるというのは、ある意味、見世物というか「市場に出す」といった感じがあります。ですからまあ、マーケットにのればいいな、という期待感はありましたし、今もあります。

――具体的に、平田さんからはどのようなアドバイスをいただいたのでしょうか?

わりと最初の段階から、たとえばどういう作品を扱うかといったことなどに関して、アドバイスをいただいていました。こちらが設定などを提出すると、「いや、これはダメ」とか言われたりして(笑)。物語の舞台となるところに何人の登場人物がいて、その外側に何人いて、といった感じで、わりと細かいところからやりとりが始まりました。それで実際に書き始めていくと、その後は意外とおおまかにアドバイスをいただきました。「ここが分かりにくいから、もうちょっと丁寧に書いて」とか「ここの流れがおかしいから、このシーンをもうちょっと分かりやすく」とか。

――そういうプロセスを経ながら書いていくというのは、大変プレッシャーが大きかったのではないかと思うのですが、いかがでしたか。

プレッシャーは別にプロセスからではなく、もうオリザさんから発せられるプレッシャーなので(笑)。作業自体にプレッシャーはなかったです。

作品を創っていくうえで言葉のイメージが違っている、というところから始まったんですね。こちらとしては、オリザさんがどういう意味で「こうして」と言っているのか、言葉の意味が分からない。だから「“丁寧に”の意味がちょっとわからないんですけど」とか僕が聞いたりして、そういうところからすり合わせていきました。それで大分やりやすくなりましたね。

オリザさんもオリザさんで、僕も僕で、結構頑固なんです。僕は全部言われた通りにはやりたくないなというのがあったので、オリザさんのアドバイスを受けとめつつ、プラスアルファで何か捻り出そうという風にしています。その出したものに対して、オリザさんが「それは面白いから、もっとこういう風にやってみた方がいいよ」と言ったりする。そうすると劇作家が2人でものを作っていて、どんどんお互いにいろんなアイディアが出てくるというかたちになっていったので、すごく楽しかったですね。

――本当に楽しそうな感じですね。

辛いんですけどね(笑)

――今回の作品『ロン通り十三番地』は架空の都市が舞台ということですが、どういった理由でこういった設定の戯曲を書こうと思われたのですか?

最初の段階で、「長崎のことを長崎弁で書こうよ」ということをオリザさんに言われたんですが、僕の中にも長崎のことを書きたいなという意志があったんですね。それは今回がリージョナルシアター・シリーズだからというわけでもないんですけど、最近の僕の流行というか…。

僕は長崎人なのに、長崎について知らないことが結構多いんですよ。そんなに歴史がないのに、「歴史が深い」というイメージが強いのが長崎なんですね(笑)。実は400年くらいの歴史なんですけど、でも歴史があるらしいんですよ。そこがすごくおもしろくて、それは一体何なんだろうというのが僕の流行りだったんです。

ただ、そのまま舞台を長崎にしてしまうと、長崎の話にしかならないので、作風的に架空の都市に置き換えて、特に国まで置き換えた方がやんわりとしていいだろうと思いました(笑)。


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――今回のリーディング公演では何を目指しているかお話いただいけますか。

決定的に違うのは、リーディング公演だと情報量が少ないんですね。それをどうやって補うのかというのを含めて、やっぱり普通の芝居を観るのと変わらないぐらいのものにはしたいなとは思っています。実際やるのは表現として全然違うんですけど、簡単に言うと「面白いものをやる」って感じですかね(笑)。

――リーディングと一口に言ってもいろいろな形態があると思うのですが、今回はかなり演出をされることになるんでしょうか?

そうですね。今回はリーディング用に戯曲を書いているわけではないので、その結果そうせざるを得なくなったといいますか…。ト書きを読めば済む問題も多少はあるんですけどね。
視覚的に入る情報というのは、ギリギリリーディングの範囲だと思うんですけど、今回は結構小道具が多くて、わりと本気で持ってきています(笑)。もちろんリーディングでならではのことも演出上やっていますが、楽しみながらリーディングというもののギリギリのところを探ってやっている感じですかね。

――F’s Companyは長崎を拠点に活動されていて、佐世保や県外でも活動をされていると伺っています。今回は東京ですが、このように地域の外で公演をすることの意義をどうお考えになっていますか?

全然知らないところに行くのは、すごく楽しいですね。特に最近は長崎弁の台本を使っているので、それを県外でやると、分からない人が多いんですよ。だから反応が全く違います。なんだか洋画を観ているみたいなことだったりするわけですよね。字幕はでませんが(笑)。そういうところは面白いなと思いますね。でも僕らは人間だし、日本人だし、何となくそういうところで繋がる部分というのもあるわけです。やっぱり、方言というもの自体、その土地の武器ですからね。これは使わないわけにはいかない、という感じですね。

――長崎の演劇状況についてお話いただけますか。

F’s Companyは今年で10周年なんですけど、僕が始めた頃には、大学生の演劇部と一般のアマチュア劇団が10くらいあったのかな。それから、老舗のすごく年配の方の劇団もいくつかあって、多分長崎市内だけで20あるかないかだったんですね。それがどんどん淘汰されてきまして、こんなことを僕が言っていいのか分からないんですけど(笑)、要するに歳をとっていったわけです。それはどこでも一緒だと思いますし、どこでも発生することだと思います。

そこから長崎市の中で、市主催の市民参加舞台が毎年行われるようになっていきました。それによって、今まで取り込まなかった、芝居を観るのは好きだけど自分でやったことはないとか、そういう方たちがどんどん入ってくるようになって、芝居に触れ合う人口は増えたんじゃないかとは思いますね。

結局その中で北九州の泊さんだったり、大阪の岩崎さんだったりを市民参加舞台で呼ぶことによって、外部とのつながりも出来てきました。もちろん平田オリザさんも結構長崎に来られていて、繋がりがどんどん県外に出来始めてきたんですね。今まではわりと長崎の中で鎖国していたのが、本当に開港されたわけですよ(笑)。僕自身も、長崎の中でやりながら、そういった方たちが実際に自分の公演を観に来るというプレッシャーを感じられるというのはすごく幸せなことだと思います。そうすることで、作品の出来としてすごくいいものが出来始めたんじゃないかなと思いますね。

泊さんは知り合って5年くらいになるんですけど、この間話をしていて、「うち(F’s Company)はもう10周年ですよ」と言ったら、「え、半分なの? 最近だと思ってた」と泊さんが言っていました。それくらい、ここ5年間というのが物凄く早いんですよね。九州演劇人サミットなどが催されるようになって、長崎の中だけでやっていたのが北九州と繋がって、そこから九州全体ともリンクしはじめたので、いまはわりと九州単位で考えられるようになったなと思います。九州の中で僕らはやっているんだ、という意識を持てます。

今回、東京に来ることによって、大阪や京都、成田の方たちと繋がることが出来ると、もっと全国的な感じになれますよね。そういったものを長崎に持ち帰れたらいいかなと思うんですけどね。


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――いまお話いただいたように、カンパニーとして今後、もっと活動の場を広げていかれるのでしょうか。

本当は、次の若手が出てきてくれれば一番いいんですけど(笑)。
この間、泊さんとも話したんですけど、期待していてもしょうがないですね。こういう意志や意識を持った人間を育てようと思ったら、やっぱり劇団内にしか育てられない。僕も外に求めようとした時期があったんですけれど、それをするのはエゴだという風に気づきました。それはただの押しつけなので、やっぱり各々がそういうことを感じて、突然発生的に僕みたいな若手がポンと生まれて「ケッ、F’s Companyかよ」みたいな奴等が出てくるのをただ待っておこうと思います。それまでは、今自分に出来ることをやる。

本当に今回の東京公演だって、行かないということもありえたし、応募しなければいいだけですよね。だけどこういうチャンスがあって、今回応募しないと、また、しばらくの間長崎の演劇界に発展は無いなと思ったので、「俺がやらないといけない」みたいな(笑)、責任感ですね。そんな感じで今考えていますね。

――長崎の演劇界の発展のためにというのもあって、参加されたんですね。

そうですね。「こういうことが出来るんだ」と思ったら、役者とかも東京へ行かずに済みますよね。長崎で面白いものが創れるんだったら、それで全国規模で展開できるんだったらそれでいいんじゃないか、という風に思える人が増えてくれればと思います。東京に輸出しなくても、長崎だけで創れるわけですからね。東京ばっかりに面白いものがあるのは許せないです(笑)。

(2007年2月27日 東京芸術劇場)


●F's Company『ロン通り十三番地』公演詳細はこちら


[PROFILE]
長崎市を拠点に、作・演出の福田修志を代表とした20代〜30代の役者・スタッフで構成。
社会の出来事と人間心理の関連性を描いた作品や、方言を用いて、
長崎の街をモチーフに賑やかさの陰に潜む過去や矛盾を描き出す作品を作り続けている。
長崎、佐世保、北九州と活動の場も広がりを見せ、05年「北九州演劇祭」コンペディション部門に出場、公演毎に多彩な表情を見せる。
また、ショートストーリーのオムニバス公演を定期的に行うなど、演劇に触れやすい環境作りにも取り組んでいる。
長崎市主催の市民参加舞台にも深く関わり、06年「宮さんのくんち」(作・山之内宏一)では福田修志が演出を務めた。

2007年02月28日

『浮力』稽古場日誌1 ストレッチから


『浮力』の稽古はストレッチから始まります。
小一時間、演出・北川さんの指導で、音楽をかけながら。
(ロンドンでパントマイムを学んだことが基礎になっているそうです)
言葉と身体のつながりをよくするための作業とでもいいましょうか。
最後はこんな状態(寝ているわけではありません念のため)。
リラックスして、稽古に挑みます。


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『浮力』は、未来のような、現在のような、過去のような時間のお話です。
誰のとなりにもあるような、遠い記憶のような、この先起こりうることのような場面が次々に現れます。出演者は5人ですが、たくさんの人が舞台に登場します。
出演者は、年齢も所属もバラバラな5人です。プロフィールこちら。「同世代の話を書いた芝居が多いので、世代を縦に切り取った芝居を作りたい」と北川さんは言います。先輩後輩だったり、親子だったり、恋人だったり、あるいは初対面な人たちだったり。場面ごとに役者たちの関係は変わっていきます。

この日はそれぞれのモノローグの場面を稽古。
いろいろな設定を与えたり、注文を出したりしながら、台本と役者との距離を測り、落としどころを探していくような作業が続きます。

(制作助手/小室)

『浮力』稽古場日誌2 職人


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今週は、劇場である体育館が空いているということで、1日に何時間か、体育館を使っての稽古がありました。
この日は稽古の最初の2時間を体育館にて。時間切れで途中までながら、通し稽古。まだそんなに稽古をしていない場もありましたが、役者というのは、技術者というか職人なのだなぁと強く感じたひとときでした。


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その後は、いつもの稽古場である技術室にて続けて稽古。先週まではとは変わり、ひとつひとつのシーンをぐっと掘り下げていきます。何度も同じシーンを繰り返し繰り返し。
単純明快なストーリーというか一貫した流れがあるわけではなく、役者の皆さんもいろいろな人物を演じないとならないので、気持ちの置き場や相手との距離感に苦労していたりもするようです。今のままでも観ている者からすると充分に面白いのですけどね。そこはみなさん職人ですから、どこまでも最高のカタチを追求していくのでしょう。
来週からは、稽古時間も長くなり、みっちりとした稽古となる模様。

(制作助手/小室)

『浮力』稽古場日誌3 変化


所用で数日稽古をお休みさせていただいていた間に、稽古場ではいろいろなことが進んでいたようです。加藤ちかさんの舞台美術模型がやってきました。体育館という難しい空間が、どのように変化しているかは当日までのお楽しみです。

大枠は出来上がり、稽古は細かい部分への修正へと突入。
当初、1つ2つのシーンのはずが、結果的に6場目まで通し。その後、より細かい部分へのダメだし。見え方、聞こえ方、言い回し、出はけのタイミング…。

続いてその次のシーンからの構成について。また変化。
構成が複雑に変わり始めています。順番が入れ替わったり間に入ったり重なったり。
何シーンが通してつながりを見る。
またググッと面白くなってきました。

(制作助手/小室)

2007年02月07日

リージョナルシアター・シリーズ「リーディング公演部門」稽古場日誌スタート!


2月26日(月)、リージョナルシアター・シリーズ「リーディング公演部門」の東京での稽古が東京芸術劇場リハーサル室でスタートしました。今年は昨年までとは企画を大幅に変えて再スタートしたリージョナルシアター・シリーズ。「創作・育成プログラム部門」共々、ご期待下さい。

二日目となる27日(火)には、各カンパニーの皆さん、スタッフさんとの顔合わせを行いました。
改めて自己紹介、事務的な確認・打ち合わせを行い、カンパニーごとに早速稽古へ。
稽古の模様は明日以降改めてお伝えしていきます。


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さて、第一回目の今日は忙しいスケジュールの間隙を縫って行われた劇作家インタビューについてお伝えします。この稽古場日誌と共にポケットブックでは随時、劇作家のインタビューならびにアドバイザーのインタビューをアップしていきます。

稽古二日日の今日は、各カンパニーの劇作家さん4人に貴重な時間を割いていただき、リーディング公演についての考えや意気込み、アドバイザーの劇作家さんとのやりとりがどのような感じで今まで進んできたかなどを語っていただきました。インタビューに答えるその話し振りからは、このリーディング公演への意気込みがヒシヒシと伝わってきました。
特にリーディング公演へのスタンスやアドバイザーとのやりとりの話は、それぞれ興味深いものになっていますので、是非、ご一読のほどを。また、自分たちのホームグラウンドである、各地域の演劇事情も語ってくれています。こちらも各カンパニーが感じている各地域についての生の感触を伝えるもので、大変興味深いです。まさに参加カンパニーならではのコメントです。

リーディング公演といえども侮る無かれ。新しくなった今年のリージョナル・シアターシリーズは一味違います。
来週のリーディング公演にご期待下さい。

松本修一

2/28(水) 稽古3日目


第2回の今日は予告しましたとおり、稽古場の模様を少しづつではありますがお伝えします。
今日お邪魔させていただいたのは、成田の芝居工場わらくさん。


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ちょうど岩脇さんのアドバイザーである佃典彦さんが稽古場に到着。
早速、佃さんを囲んで台本について意見を交し合います。
いくつか話の流れや登場人物の行動の選択のありかたなどで、佃さんが気になるところを指摘。
メモを取りながら眉間にシワをよせて考える岩脇さん。
カンパニーの皆さんも佃さんの言葉に耳を傾けています。

早速、劇作家とアドバイザーとのやりとりが見られる稽古場となりましたが、同時に
カンパニー全員で創っている様を改めて感じさせていただきました。
話がひと区切りついたところで佃さん、岩脇さん、演出の勝俣さんを交えてインタビューも録らせていただきました。
このインタビューの模様も後日ポケットブックにアップしますので、どうぞお楽しみに。


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以上、3日目の稽古模様でした。

松本修一

3/1(木) 稽古四日目


月日が経つのは早いものですね。3月になりました。もう一週間後は本番です。

第3回目も引き続き稽古場の様子をお伝えします。
今日は今まで大阪で稽古をしていた南船北馬一団の皆さんが上京しました。
これで全カンパニーが東京芸術劇場に集合です。


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さて、今日は長崎のF’s Companyの稽古の模様をお届けします。
稽古場にお邪魔したときは最初のシーンを通しているところでした。
先日アップされたインタビューの中で、

「視覚的に入る情報というのは、ギリギリリーディングの範囲だと思うんですけど、今回は結構小道具が多くて、わりと本気で持ってきています(笑)。もちろんリーディングならではのことも演出上やっていますが、楽しみながらリーディングというもののギリギリのところを探ってやっている感じです」

と福田さんが語っているように、稽古はまさに立ち稽古に近い状態です。


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第一場の通しが終わり、昨日よりもテンポが速くなったとのこと。
会話のテンポをつめることを意識しているようです。


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続いて第二場の冒頭の場面の稽古へ。
台詞のニュアンスを伝え、役者さんもそれにすぐ反応していきます。
舞台のイメージが伝わってくるような稽古場でした。
本番の舞台が楽しみです。


以上、四日目の稽古場日誌でした。

松本修一

3/2(金) 稽古五日目

本日お邪魔したのは大阪の南船北馬一団の稽古場です。


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長崎のF’sCompanyは立ち稽古に近い状態とお伝えしましたが、
南船北馬一団は少し様子が違います。
今回公演を打つといってもリーディング公演なのでカンパニーによって公演の手法は様々です。
先日のインタビューの中で棚瀬さんは、
「今回は本当に読むことに重きを置いています。でも朗読とはまた違うので、動きます。」
と語ってくれましたが、こうした各カンパニーのリーディング公演の表現の仕方の違いも、本番の公演を見る上でのひとつの面白さかもしれません。

さて、稽古場はというと、静かな空気の中にピンと張り詰めた雰囲気がある感じ、といいましょうか、棚瀬さんの作品の雰囲気で満たされているような印象を受けました。
アドバイザーの北村想さんも稽古の様子を見つめています。

あるシーンの稽古後、 棚瀬さんから北村さんに意見を求めて台詞をその場で直したり、台詞のニュアンスを確かめたりといった作業が行われ、再び同じシーンの稽古へ。
また、本番での動きや転換の指示も出されていきます。

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ここからリーディング公演としてどのように立ち上ってくるのか楽しみです。

以上、五日目の稽古場の模様をお伝えしました。

松本修一

3/5(月), 6(火) 稽古八日目・九日目

東京での稽古が始まって一週間が経ちました。
さて、第5回目は、3月5日,6日の稽古場の様子をまとめてお伝えします。

3月5日(月)から小ホール1の仕込みも行なわれ、
本番に向けて着々と準備が進んでいっています。
小ホール1では仕込みの後、芝居工場わらくさんの舞台稽古が行なわれました。


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また稽古場には佃さんと岩松さんが到着。
それぞれ担当のカンパニーの稽古に立ち会い、
本番前の最後のアドバイスとなりました。


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日は変わって3月6日(火)。
今日も小ホール1では舞台稽古が進行中。
舞台稽古を終えたF’sCompanyの役者さんも舞台に立って、
改めて本番が近づいているのを実感していたようです。

さて、遅くなりましたが、まだお伝えしていなかった魚灯さんの
稽古場の様子にも触れなければいけませんね。

先ほども書きましたが、昨日は忙しい中アドバイザーの岩松さんが稽古場に
駆けつて下さり、通しての稽古。
今日、再びお邪魔したときには冒頭のシーンの稽古をしていて、
山岡さんから具体的な指示が出されていました。
やはり、リーディング公演ということで、戯曲に書いてある言葉の意味やニュアンス、
その言葉が発せられることによって浮かび上がってくるイメージや登場人物の関係性に対して
非常に意識的な印象を受けました。
山岡さんの演出指示からは、自分のヴィジョンを明確に立ち上げようとしている様子が伺えます。


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明日はゲネ・プロ。
そして、もう間もなくリーディング公演の幕が開きます。
お楽しみに。

以上、稽古八日目、九日目の模様をお伝えしました。

松本修一

3/7(水)、8(木) ゲネプロ&本番初日

ついに、リージョナルシアター・シリーズ リーディング公演部門の幕が上りました。
今回は前日のゲネプロと本番初日の模様をあわせてお伝えします。

リーディング公演部門では4カンパニーが公演を行うため、
ゲネプロも1カンパニーが終わっては次のカンパニーへと入れ代わり立ち代わり進行していきます。
短い時間の中でもスタッフさんの協力のもと無事ゲネプロが終了。いよいよ翌日から本番です。

日は変わって8日。
リーディング公演部門の初日を迎えました。
4カンパニーの先陣をきるのは、成田の芝居工場わらく と 京都の魚灯。
どちらの公演も観てくださるお客様も多数いらっしゃって滑り出しは上々でした。
すでに稽古場日誌でお伝えしたようにリーディング公演をどのように捉え、いかに表現していくのか。
普通の公演とは異なりますが、いろいろな点で興味深いところがあると思います。
是非、東京芸術劇場小ホール1に足をお運びくださいませ。

(本番直前に最後の確認をしている魚灯の皆さん↓)
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魚灯の終演後は、みんなで初日乾杯と相成りました。

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以上、ゲネプロおよび公演初日の模様をお伝えしました。

松本修一

リージョナルシアター・シリーズ 閉幕

リージョナルシアター・シリーズの
リーディング公演部門ならびに創作育成部門の公演が終了しました。
ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

さて、リーディング公演部門の稽古場日誌も今回で最後になります。
まだお届けできていなかった3/9(金)10(土)11(日)の様子をお伝えします。

2日目は大阪の南船北馬一団と長崎のF’sCompanyの公演が行われました。
これで4カンパニーすべてが1回目の公演を終了。3日目は再び京都の魚灯と
成田の芝居工場わらくの公演です。

4カンパニーとも一日おきの計2回公演ということもあって、
自分たちの公演がないときは、他のカンパニーのリーディング公演や
にしすがも創造舎での「浮力」の公演を観劇していました。
短い時間の中ではあるものの、カンパニー同士の交流、情報交換ということも出来たようです。

11日(日)千秋楽
この日はF’sCompanyの公演終了後、ポスト・パフォーマンストークが行われました。
ゲストは南船北馬一団の棚瀬さんとF’sCompanyの福田さん。
聞き手はライターの大堀久美子さんに務めていただきました。
十分な時間を割くことは出来ませんでしたが、お互いにリーディング公演をどのように捉えたのか、
また俳優が舞台で手に持つ台本の処理をどうするかなど、稽古段階での裏話も交えて楽しく話してくれました。
ポスト・パフォーマンストークの後に南船北馬一団の公演が行われ、
リージョナルシアター・シリーズのリーディング公演部門は幕を閉じました。

改めて、ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

松本修一

TIFポケットブック
もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
mark_regional リージョナルシアターシリーズ
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