ラビア・ムルエ講演会
2006年12月20日(水) 19:00〜21:00 にしすがも創造舎
司会(相馬):
今日はお寒い中、お越しいただきありがとうございました。ご案内にも書きましたが、私ども東京国際芸術祭では、本日レバノンからいらしていただきましたラビア・ムルエさんと新しい作品を共同製作し、東京国際芸術祭2007で発表することにしています。ラビアさんには、本日午後行なわれた我々の記者会見に参加していただきましたが、さらに今回の新作について、またクリエーションを行っている環境についてなど色々とお話いただきたいと思い、この様な機会を設定いたしました。
今日の流れですが、初めの30分はラビアさんの方から、今自分がどういった切り口から仕事をしているのかというお話を「Between Presence and Absence −存在と不在のはざまで」と題して映像を交えてお話いただきます。その後私の方からいくつか質問をさせていただいき、その後に会場の皆さんからもご質問をいただけたらと思っています。では、さっそくですが、ラビアさんお願いします。皆さん拍手でお迎えください。
ラビア・ムルエ:
みなさんこんばんは。ラビア・ムルエです。ベイルートから参りました。
私は39歳になりますが、外国へ行ったり、眠っていたりもしますから、それらを抜かすとだいたい19年3ヶ月と5日間、ベイルートで起きて暮らしていることになります。そうやって眼を覚まして起きている間も、そこで起きていることをすべてしっかりと見ていたわけではないのだろうと思います。
これは2005年3月14日に行われたデモの様子ですが、私はこの映像を見ることはできませんでした。というのも自分自身このデモに参加していたからです。このデモは大変盛り上がり、その日は家に帰らなかったので、そのデモの様子をニュースで見ることもできませんでした。友達がその時に撮った写真を送ってくれて、初めてデモの状況を理解しました。この歴史的な反シリアデモによって、十数年間レバノンに駐留していたシリア軍は撤退することになりました。
そしてこの数ヵ月後、このデモを主題としたインスタレーションのようなものをつくったのですが、一方でこのデモは私たちにとってある種の幻に終わった部分があります。というのも結局、後ろで動いていた勢力が宗教の宗派だったりするわけで・・・この写真は、そんな空虚なところに飛び込むという、身投げをしている場面です。
私が考えるに、イメージ/映像というものには二種類あります。ある存在を肯定する映像と、ある不在を確認する映像。つまり映像は、一方ではそこにあるものが存在しているということを強調すると同時に、他方ではあるものが不在であることを確認する役割を果たしています。例えば私が自分の作品の中で映像を使う場合、その映像の中に自分自身が不在であるということを示すために映像を使っています。それは、有名なスターやトップモデル、あるいはイスラム武装集団などが自分たちの映像を扱うのと逆の手法です。というのも、彼らは自分たちの存在を強調するためにその映像を使っているわけで、そうでなければ、戦争をやっている最中にわざわざ映像を撮る必要があるわけがない。よく考えると彼ら武装集団は地下組織ですから、本来こうやっておおっぴらに自分たちの活動を見せるはずがないんですが、逆に自分たちの存在や活動を強調するために、わざわざ地下活動の一部を映像に収め、わざとマスコミに流したりするわけです。
私が映像を扱う場合はこの逆のことを意図しています。我々のようにふつうの個人が、公的な映像/イメージからは除外されているということを指摘すると同時に、それでも私たち自身がこの世界のレバノンという場所でちゃんと個人として社会の重要な一部として生きていることを強調するために映像を使用するわけです。ですからここで私が今日この席で話していることはあくまで自分個人の名前でやっていることであって、別にアラブ人を代表しているわけでもなければ中近東という地域を代表しているわけでもないし、レバノンの代表でもベイルート代表しているわけでもない。あくまでラビア・ムルエという個人としてみなさんに会うためにここにきていると考えてください。
今ここにずらっと並んでいる写真は、すべて行方不明になった人たちの写真です。その行方不明になった理由というのも未だによく分かっていません。このすみっこに私自身の写真もあります。そこでは私自身も行方不明になっています。
このように、その存在を強調する映像と不在を確認する映像の間には、他にも様々な映像があります。何かを背後に隠している映像。その場に写っていないのだけれども、そこでこれから何かが起こるだろうということを表しているような映像。
これは60年代のベイルートの絵葉書ですが、レバノン人映画監督でアーティストでもあるカリル・ジョレイジュとジョアンナ・ハジトゥーマは、この絵葉書を素材に、その現実とはまったく別のものを徐々に見せていくような作品をつくっています。
また、この映像はイラクの武装集団が人質の首を切るシーンを撮影したものでインターネット上に掲載されているものですが、我々が見ようとしなければ起こらなかったかも知れない出来事の映像です。これらの行為は、どこか隠れた場所で、カメラの前で行われている。つまりビンラディンの映像と同様、時間と空間が欠落した映像です。しかしテレビやネットで配信されることで、起こったことが認識される。つまりビラル・カヴェエスが指摘しているように、これらの行為はテレビやネットで配信され、人に見られた瞬間にはじめて発生する。もしそこに「観客」がいなければ、何の意味もないし何の価値もない、要するに、起こらなかったのと同じことになります。いわゆる抵抗運動に使われる映像も同様です。
これはパレスチナの「遺言テープ」、つまり自爆攻撃をやる人間がその行為の直前にカメラにむかって話す姿を録画したものです。こうした行為はもちろんイスラエルの占領に対する抗議として行われているわけですが、これから死んでいく人をわざわざテープに撮影して、それをちゃんとテレビ局に渡して、実際その事件が起こったあとに放送されるようにしておきます。この種の遺言テープは大概「私は殉教者の兄弟の○○です」とか「殉教者の同志のなんとかです」という決まり文句で始まりますが、ここである種の混同が起こります。テープで撮影してそれを話している時点では、まだ殉教者になっていない、つまりまだ死んでいないにも関わらず、彼らは自分のことを「殉教者」と言っているわけです。実際に彼らが死ぬのは撮影後なのに、あたかもテープを撮っている瞬間にはもう死んだことになっている。
レバノンにも同様の現象があります。内戦時から現在にいたるまで、町中に張られている「殉教者」、つまり死者の写真やポスターの数々。こういった写真はあたかもイコン(聖画像)のようです。面影だけが死者本人のもので、それ以外はどれも一様に加工・修正が加えられる。より美しく、より柔らかに、より純粋に、殉教者があたかも聖者か神様であったかのように加工されています。こういった写真は、それぞれの人間が生前に送っていたであろう、取るに足らない、くだらないこともいっぱいある平凡な人生、我々の日常と同じような普通の日常生活というものをすべて消し去ったものです。こうして彼らのイメージはつくりかえられ、彼らは英雄、そして神のような存在となっていきます。
ただしベイルートというのはきわめて非情な街で、敬愛されるべき殉教者のポスターも、政治家の肖像や広告、スターのポスターにあっという間に置き換えられてしまうわけですが(笑)。
これは先の選挙期間中の写真ですが、複数の候補者のポスター同士が、なんとか少しでも広い面積の壁を占有しようとしてあがきもがいている様子です。まるで映像と映像、写真と写真が戦争しているような状況です。対立候補のポスターを文字通り引っ剥がしたり破いたりして、その上に自分の支持する候補のポスターを貼っていく。ある意味で、映像の虐殺、あるいは映像同士の乱交パーティーのような状態です。破っては貼って、破っては貼ってを繰り返していくうちに、目や鼻がばらばらになって、それがごちゃごちゃになって、どれが誰の目だかわからない、今ご覧になっているようなイメージになるわけです(笑)。レバノンの政治家たちの巨大な肖像画も同様です。どう見ても実物の10倍以上の巨大な肖像画が壁に一枚貼られると、政治情勢の変化によってまた別の巨大肖像画がそれにとってかわる。どうして彼らが拡大された自分の写真に固執するのか、私には理解できませんが・・・レバノンの思想家ジャラール・トゥフィークの言葉を借りるならば、彼ら政治家たちは、自分の存在がいかに重いものであるかということを人々に刷り込み、いつか自分が死去したときには、その重い遺体が入った棺桶を国民が担いで大行進するようわざわざ意識的にやっているのではないかとさえ思えます。
さて、私たちはどうしたらこうした巨大で肥大化した映像に対抗することができるのでしょうか。その唯一の方法、それはおそらく、私たちがお手ごろなハンディカムやデジカメで撮っている、小さな、そして平凡な映像によってではないかと考えています。いまや誰もがこうした機器のおかげで映像を作り出すことができるわけで、なんの目的もなく無意識に撮影した写真が思いがけない効果を生み出したりします。
こちらの写真では、一方がレバノンの大統領の写真で、一方がスター歌手の写真が並んでいます。大統領の側には「決断の男」、もう一方の女性歌手のほうには「誰があなたを連れ戻してくれるの?」と書いてあるようです。こうした平凡でとるにたらない映像によって、大統領の肖像のように多くの意味づけがなされ肥大化した映像を破壊することができる、その意味を無効化することができるのではないかと思います。
レバノン内戦が終結し、破壊されたベイルートの再建計画が始まったときに、ほとんどの市民たちは街の中心部にこぞってカメラを向けました。この中心部は、本来であればいわゆるベイルートのハート、一番のダウンタウンでした。しかし内戦中には、居住者たちが避難・退去してしまい、そこがベイルートを東と西に大きく分断させる無人地帯になってしまった。内戦終結と同時に、この場所を愛していた多くの人がそこを再生したいという思いを込めて映像に収めようと集まりました。実に多くの写真が撮影されたわけですが、こうして破壊されたダウンタウンは、本来そこにあった場所から、写真の中、あるいはビデオ映像の中に居場所を移していったわけです。それはちょうど、60〜70年代のまだ美しかったベイルートが、いまや映像や写真の中にしか存在しないのと同じように。人々が、新しく再建されたダウンタウンを愛するのはいつになるのか、そこで写真を撮りたいという気持ちになるには、まだしばらく待たねばならないでしょう。あるいは、かつて人々が古いダウンタウンを撮影することによって葬ったように、新しいダウンタウンを無意識のうちに葬ることになるのは、まだ先のことになるでしょう。
このように私は、「存在の映像」と「不在の映像」の間に多くの映像を見てきました。そして我々は日常生活の中で日々、大量の映像によって爆撃されています。世界全体がまるで映像をどんどん生成する巨大な装置に化けたようで、そこで新しい映像が作り出される度に前にあった映像が消えていく。私たちはいまや、そんな大量の映像に耐えることができなくなっているのではないか。映像の表面だけを見て、その中にあるものを読みとく能力を失ってしまっているのではないか。私たちはもはや、映像というものを、自分の体で体験している現実、自分の目で見ていることの延長線上に捉えることができなくなっているのではないか。人間の目は、物を見る能力をいまだに持ち続けているのでしょうか。目というのは本来、人間の五感の中でも最も重要なものだったはずです。しかしいまやベイルートで私は何も見ることができません。そしてふと、自分自身が、ただの映像、イメージになってしまっているのではないか、あるいはイメージの合間をさまようだけの存在になってしまっているのではないかという気さえしています。
相馬:
このプレゼンテーションそのものが、既に彼のパフォーマンスともいえるような、アーティスティックな切り口、そしてラビアさん自身によって集積された映像から成り立っていて、それを聞くだけでも非常にエキサイティングだったと思います。彼のこれまでの作品でも、非常にドキュメンタリー性の強い、たとえば彼の生きている社会や彼自身の身体や表情を加工したものであるとか、あるいは新聞や雑誌等、それからインターネットからひっぱってきた様々な映像の集積によって成り立っているものが多いわけですが、こうした手法が、彼の作品の大きな特徴であり、これまで構築されてきた確かな方法論だと思います。それで、私のほうからそれに関して質問をさせていただきます。
こうした方法に辿り着くには、いろいろなことを考えて来られたと思うのですが、たとえばラビアさんご自身はベイルートの演劇学校でいわゆる普通の演劇、スタニフラフスキーの理論・システムに基づいたような演劇を習って演劇を始めることになったと伺っていますが、そうした演劇を否定・解体して、このような表現方法をとるに至った思考の軌跡をお話頂きつつ、ラビアさん自身の演劇的キャリア、アーティストとしてのキャリアを振り返って頂きたいと思います。
ラビア・ムルエ:
とっても長い話になるのですが、なるべく短くすませようと思います。
ベイルートにあるレバノン大学でもともと演劇の勉強をしたのが始まりですが、最初大学をでたばかりのときには、大学で習ったとおりのやり方で舞台や演劇をやっていました。いわゆる普通の演劇では、まずテキスト・台本があり、照明や舞台装置、あるいは体の動きなどその他の要素は、テキスト・台本をよりよく表現するためのおまけというか、支援するためのものとして使われています。結局6年間くらいそのような普通の演劇をやってみて、それもうまくいっていたのですが、そこでふと気がついてみると自分が一生懸命やっている演劇が、単にテキスト・台本の挿絵として、それをより分かりやすく見せるために演劇という行為をやっているだけなのではないか、そこで本来舞台で何かをみせるときにある他の力となるものをまったく無視して、無効化して舞台をつくっているのではないか、ということを考えるようになりました。
当時、他の同世代のアーティストたちがテキストよりも視覚的・身体的な表現に向かいつつある中、私も感覚的に舞台を体験できるような視覚的・身体的な作品をつくりたいと思うようになりました。
そこでまず、人間の身体についての再考察を始めました。舞台で扱う身体とは、抽象的な、大文字の一般論としての身体ではなく、私たち自身、個人としてひとりひとりの人間として持っている個別の身体として考えなければならないのではないか。そしてそれはどのような身体かといえば、戦争を体験した身体、つまりレバノン内戦の記憶がほとんど刺青のように拭い難く刻み込まれた身体に他ならないわけです。そこで私は、そのような身体とはどういうものなのだろうかと考えながら、9ヶ月間、5人の俳優と一緒に考え、ほとんど台詞のない、身体のアクションによってのみ成り立っている作品を作りました。それはとても暴力的な演劇になりました。
その後すぐに、とあるフランス在住のレバノン人演出家がフランス人俳優をつかった一人芝居をベイルートで公演したのですが、その作品もやはり内戦の体験、内戦によっていかに人間の身体が傷つくかというテーマを扱ったものでした。しかしその舞台をみて私は失望しました。というのもその役者の身体が、私たちが実際に経験した内戦というものを背負った身体には到底見えなかったからです。しかしそこで自分が作ったばかりの作品を思い返したときに、やり方は多少違うにしても実はその演出家がやったのと同じことをやっていただけであって、自分が舞台で見せた身体も、内戦を経験した身体ではなかったのではないか、少なくとも自分たちが内戦をしていたときに知っていた人間の身体ではないということに気がつきました。その演出家の舞台のおかげで、逆に自分自身のやったことを批判的に見ることができました。そこではじめて、実は戦争を体験している身体そのもの、体験している時点の身体そのものを舞台の上で再現すること自体が不可能なことなのではないかと考えるに至りました。
そこで考え始めたのが、そもそも表現する、表象するという行為そのものについてでした。舞台の上で、戦争のときに感じた恐怖、苦しみ、痛みといった感情や過去の体験を、舞台の上で生の身体として表象することが可能なのか、可能だとしたらどうやったらいいのか。結局この難問に挑戦する度に、そこでやっていることは単なる物まねにすぎず、表現したいと思っている本来の体験そのものから比べたらマイナスにしかならない、チープな物まねにしかならないという結論に行き着いてしまったわけです。そこで考えたのが、身体そのものが必ずしも舞台の上に現れているのではない演劇でした。そこに身体そのものが登場しない演劇、つまり自分たちの戦争を体験した身体というものを語っていると同時に、しかしその身体そのものは見えない、その身体の不在によってこそ戦争を体験した身体というものをみせる、あるいは観客に考えさせる演劇。このような演劇を実現するには、やはり言葉=テキストに戻らなければいけないと考えました。さらに、自分の舞台づくりというのは結局、演劇そのものを問う、演劇の定義とはなんなのか、演劇とはどういう枠組みでつくられているのかということを問うものにならざるを得ないと考えました。
こうして15年間、演劇という世界で自分の長い旅路を続けてきた中で、浮かび上がってきたもうひとつのテーマが、自国の歴史というものです。その歴史が誰によって書かれた歴史なのか、その歴史の中に真実・事実であることや虚偽であることがあるとしたらその真実と虚偽の違いを判断するのは誰なのか、誰がどういう権威によってこれは嘘であるといえるのか。この問題は、特にレバノンのように、どれが公式の歴史なのかという問いを巡って常に戦いが起きている国、つまり誰が公式の歴史を書くのかという争いが起こっている国を考える際に非常に重要なものです。
私自身は、歴史というのは事実とフィクションの混合のようなもの、その境界線すら曖昧なものであり、そうしたごちゃまぜの状態そのものが、歴史という形で現実の中に作用しているのではないかと考えています。ですからひとつ言えることは、今までいろいろな立場からみた様々なレバノンの歴史が存在していますが、「本当のレバノンの歴史」というものは、あらゆる歴史を、お互い矛盾することもあるかもしれないけれどもそれも含めて全部ひっくるめたものであるだろうということです。ゆえに、ある歴史的な事象が書かれているもののなかで、これは事実である、これは嘘であると区分けすること自体がおそらく意味の無いことで、フィクションも事実もごちゃまぜになって区別がつかなくなっているところを歴史として受けとること自体が歴史の役割であるだろう、と。
ですから自分の舞台作品のなかではドキュメンタリー的な手法を確かに用いていますが、それは決して古典的な意味でのドキュメンタリーではなく、ある事実が記録され語られることによってフィクションになっている、ということを示唆する舞台だろうと考えています。
相馬:
記録するとか、記述をするとか、ものを語る切り口自体がひとつの物語を作ってしまう、たとえば、今の話にもありましたがレバノンには複数の歴史がある、複数の記述の仕方があるわけですよね。
では今度はレバノンの芸術、表現をとりまく状況に話を移していきたいと思います。今年の夏にイスラエルの侵攻があったり、現在は内戦の再来が危惧されているような宗派同士の厳しい対立があったりするわけですが、そうした社会情勢の悪化によってラビアさんの創作の環境がどのように変化しているか。それに関係して、たとえば現地では検閲がどうなっているか、あるいは先ほどから何度か言及されていますが、宗派によって分断され、あるいは共同体の論理によって定義付けられるような社会の中で、個人として何を表現したいのか、アーティストとしてどういう活動を自分自身に課しているのかといったことを含め、レバノンというコンテクストとご自身の表現の関連についてお話いただきたいと思います。
ラビア:
今の質問のなかにはたくさんの質問があって難しいのですが、なんとか答えようと努力してみようと思います。その前にひとつはっきりいっておきたいのは、繰り返しになりますけれども、私がこれまで話したこと、あるいはこれから話すことはすべて私自身、私個人の視点です。これ自体がフィクションであるかもしれないので、あまり信じないでください(笑)。
たぶん私がレバノンの社会の中でどのような立場にいるのかから話し始めるのがいいでしょう。レバノン社会は異なった宗派、民族が、隣同士、あるいはお互いに入り混じって生活している国です。厳密に言うと公式には18の異なった宗派があります。そこで18もあるさまざまな異なった宗派、集団が一緒に生活する、共存するということは、レバノン人にとってはもう避けられない運命です。当然、みんな仲良く愛し合わなければならないのと同時に、一方で憎みあってしまうこともあります。レバノンにも憲法があるので一応法治国家ということになっていますが、実はその憲法より、言葉だけで成文化されていない各宗派間の合意のほうがよっぽど重要な役割を果たしているのが現実です。それは、ある宗派が他の宗派を支配するといった関係に陥ることなく、なんとか平等に共存することを目指して作られている合意です。例えば政府の高官、いわゆる公職のポスト数はそれぞれの宗派に割り当てられていて、大統領がキリスト教徒で首相がイスラム教のシーア派、議会の議長がスンナ派、というように決まっています。
しかしもう一方で、レバノンは共和国なんです。共和国であるならば、憲法によってあらゆる市民が平等であるということが明記され、保障されているはずです。そういう意味では、レバノン社会の構造そのものの中にある種の衝突、矛盾があって、それは一方において法的に全市民の平等・自由が保障されているのに、実際には法律以上に効力を持っている口約束である合意はそうは言っていない、平等ということは保障していないという矛盾が社会そのものの中に組み込まれているともいえると思います。
私自身は自分を知識人、芸術家であって、反体制左翼だと思っているのですが、なんとその反体制左翼人が、体制をちゃんとつくるべきであるという方向のために戦っている、というパラドックスな状況にいます(笑)。つまりあらゆる人間が法律によって保障されて、表現の自由があり、そのほかの様々な自由が保障されたちゃんとした国家を作らなければだめだ、という立場のために闘っているわけです。
ですから、ここで今の質問の後半部分にうつる話になると思いますが、私自身は、いわゆる大衆、あるいはある宗派の集団のための作品をつくっているつもりは全くなくて、あくまでひとりひとりの観客、個人としての観客のために、そしてレバノンでやるときには実際多くの場合名前も知っているような特定の個人のために作品を作っているのだと思っています。観客とは何か、観客と作品との関わり、という問題についてはまた別の重要な議論になってくると思うので、またあとで話したいと思いますが・・・。
私自身がアーティストとしてやり続けている表現、作品を作るという行為は、おそらくレバノンのように宗派、あるいは家族・部族といった集団に個人がとらわれてしか生活がしにくい社会の中で、なんとか個人を取り戻すための作業なのではないかと考えています。例えばこんな冗談があります。レバノンに帰ると、よく「君はクリスチャンなのかイスラム教徒なのか?」と質問されるのですが、「僕は無神論者の世俗主義者だから」と答えると、今度は、「ああわかった。それで、君はキリスト教徒の世俗主義者なのかイスラム教徒の世俗主義者なのか?」と聞かれてしまって困るわけです。
尤も、レバノンで今言ったような質問を直接相手にすることは実際にはあり得ません。「あなたはキリスト教ですか、イスラム教ですか? スンナ派ですか、シーア派ですか?」という風に相手の宗派を直接聞くことはありません。もし知りたいのであれば、まず最初に「君の名前はなんというのだ」と聞いてくることでしょう。ラビアだけだとキリスト教徒かイスラム教徒かわからない、となると「ファミリーネームはなんだ」ということになって、ムルエからでもわからない、すると今度は「君はどこの出身だ」となって、ベイルート出身だといったら、ベイルートはいろいろな宗派が住んでいるところだからこれでもわからない、では今度は「ベイルートのどの地区の出身だ」ということになって・・・つまり間接的に出身地や名前によってどこの宗派か突き止めるようとするわけです。こんな風に、相手の宗派や出自がわからないと相手とどう付き合えばいいか分からないところが、レバノン社会にはあります。こういった問題を避けるため、レバノンのテレビドラマや演劇では、登場人物になるべくニュートラルな名前をつけて、その人物がキリスト教徒なのかイスラム教徒なのか分からないように設定したりします。
今、レバノンには検閲制度がありますが、この制度はおそらく争いを起こさないため、社会を守るためにやむを得ず存在しているものであると思います。たとえばサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」を舞台化して上演すればイスラム教徒から激しい抗議がくるわけで、そういう抗議が起こる内容を作らせない予防線として存在しているのが現行の検閲制度なのでしょう。逆に言えば、異なった宗派の共存が実現すれば、おそらく検閲はなくなるはずです。もともとレバノンの検閲制度は必ずしも成文化された、文章で書かれたきちっときまったものではなくて、かなりの部分が検閲官の裁量に任されているので、それぞれの検閲官によって、この程度なら言ってもいいやとかこれは言ったらまずいから削除しようということの判断がずいぶん左右されています。
ただしどんな作品においても許されない表現が四つあります。第一に、肯定的にしろ否定的にしろ、共和国大統領のことは絶対に言及してはいけません。第二に、どの宗教においても、他の宗教の批判を行ってはいけません。第三に、セックスに関することを語ってはいけません。第四に、下品な言葉や俗語は使ってはいけません。となると、これは前回東京でも公演した『ビオハラフィア』というパフォーマンスの台詞にもあるように、「大統領のことも、宗教のことも、セックスのことも語ってはいけないなら、何を語ればいいんだ?」ということになってしまいます。
私自身の検閲の体験を話しますと、以前はきちんと脚本を提出して許可を得てから上演をしていました。検閲に通すことを前提に脚本を書いていくと、こう書いたら検閲には通らないだろうと、事前に自分で自分自身を検閲にかけていることに気がつきました。そして自己検閲というのは、権力によってかけられた検閲よりも恐ろしいものだと感じました。それ以来私は検閲を通すことをやめ、レバノン国内の上演は非合法で行うことになりました。非合法で行うということは、もしみつかれば脚本を没収され、禁止事項に関する注意を受けたり、またそれを守らなければ牢屋に入れるぞと脅しをかけられることになったりするかも知れませんが、実際に逮捕されることは恐らくありませんし、そんなに危険なことではありません。
前回ベイルートで公演した『表象を恐れるのは誰?』というパフォーマンスでは、検閲が入り、途中で中断するというアクシデントが起きました。あとから検閲官に聞いたところ、「こんな内容がなぜ許されるんだ」と検閲局に電話をかけた観客がいたということでした。つまり観客が自己検閲をかける、という状況が生じたわけです。テキストでは、フランス人のアーティストが美容整形手術を受けたことに関連し、それを批判する登場人物が出てきて「美容整形はアッラーとヒズボラに反する行為だ」という台詞を言うんですが、そこがひっかかったわけです。検閲の結果「ヒズボラ」という言葉が削除されたのですが、「アッラー」つまり「神」という言葉は削除されませんでした。そうすると神に反することはできても、「神の党」(=ヒズボラ)に反することはできないという神学的に奇妙なことになってしまいました(笑)。
ここで観客の手が挙がる。
観客1(駐日レバノン大使):
私はレバノン大使です。まず始めにラビアさん、日本にようこそいらっしゃいました。レバノンは貴方のことを大変誇りに思っています。もう一つ私が嬉しく思うのは、あなたが個人の立場としてここで考えを語っていることです。そうした個人個人の視点が存在することが、現在のレバノン社会のダイナミックさを作り上げていると考えています。
ここで2つほどコメントさせて頂きます。第一に、あなたが芸術家としてレバノン社会をどう見ているかを知り非常に新鮮でした。あなたのおっしゃった検閲とアーティストの問題は、世界中のアーティストが体験していることと思います。確かにレバノン社会には検閲がありますが、日本社会においても成分化はされていませんが、もっと厳しい検閲があったりもします。ですからその検閲というのは大変複雑な問題であって、社会が知るべきこと、また知らない方がいいことを識別する大変尊重すべき制度であるのかもしれません。また、歴史というものが事実とフィクションを混合したものであると言う指摘も、大変素晴らしかったと思います。日本のアーティストが自分たちの歴史を考える際にも同じような見方が必要だと思いますが、そのことを貴方に伝えることで、貴方の考えがさらに深まっていくのではないかと感じています。その視点を今晩呈示してくれたのは、とても素晴らしいことです。
私からひとつ質問させていただきます。あなたが日本の観客に対して芸術全般について、またレバノンという社会ついて伝えたいメッセージは何でしょうか。
相馬:
一言付け加えさせていただくと、ジャーベル・レバノン大使は前回のラビア・ムルエの『ビオハラフィア』を含め過去の東京国際芸術祭の中東作品もほとんどすべて観てくださっています。その上でこうしたご発言をされたことをご理解ください。
ラビア:
何よりもまず、大変寛大で貴重なご意見をありがとうございました。実は私からも大使に質問があるのですが、それは後回しにします。
実は検閲に対する大使の発言には、私も賛成しています。検閲のことを話したのは、公式な検閲について批判したかったからではなく、むしろ自己検閲という現象についてお話したかったのです。実は世界中に制度化された検閲というものが存在していて、例えば世界で最も人権と自由が尊重された国であるとされるフランスにおいても助成金の交付などによる経済的な検閲が存在しています。おそらく日本にも、日本人のアーティストたちが公式ではなくても検閲にさらされているような状況があるのではないか、ということを共有するために検閲の話をしました。
次は歴史におけるフィクションとリアリティの問題ですが、この話については別の講演会が開けてしまうほど大きな問題だと思います。あらゆる国において、国をまとめるためには神話的な国家の歴史がどうしても必要になってきます。単にフィクションを否定的に捉えればよいというものではなく、むしろフィクションは社会をまとめるために非常に大切なものでしょう。しかし一方でそのフィクションを批判するグループがいるとすれば、そうしたフィクションは彼らにとって危険なものであるかもしれないし、そうでないのかもしれません。国家としてのレバノンの起源を巡っては、いつも二つの歴史的起源が持ち出されます。一つには、旧約聖書を根拠として、レバノンは5000年前にフェニキア人によって建国された、というもの。もうひとつは、レバノンはアラブ帝国が西洋によって解体・分断された際に誕生した、というもの。この二つの視点の間には、時に非常に暴力的な衝突が起こります。内戦後多くの国民の見解は、レバノンはレバノンとして独立した国家であるべきだという点で合意していると思います。現代のレバノン国家は、この2つの歴史的起源を前提にしか定義することはできません。この2つの起源がフィクションの要素を含んでいるとしても、もう既に現実の一部になってしまっているのです。フィクションを否定するのではなく、なぜそういったものが生まれたのか考えていかなくてはいけない。これは例えば、根も葉もない噂であっても噂自体がもう現実の一部と化した瞬間に、それは事実となっているような状態といえます。
では質問にお答えします。伝えたいメッセージは何もございません(笑)。
レバノン大使:
それが最良のメッセージですね。
ラビア:
私はアーティストや芸術の仕事はメッセージを提示することではなくて、質問を呼び起こすものだと考えています。もし良い質問や重要な質問を私の作品を通して呼び起こすことができれば、幸運だと思っています。ですから考えようによっては私の作品は挑発的だったり攻撃的だったりすることもありますが、攻撃的に観客を挑発して怖がらせようということではなくて、私の作品を通して問われているのは私自身です。私自身の偏見や思い込みをそれではいけないと厳しく問うていく中で、作品が観客に対しても厳しい質問を問うことができるのだと気付きました。決してみなさんを怖がらせるためではないということです。
やっと大使に質問ができます。大使にこのようなコメントをいただいて、大変感動しています。正直、ジーンときました。そこでどうしてもお尋ねしたいのですが、大使は個人として私に質問なさったのか、それともレバノン国家の代表として私に質問をされたんでしょうか?
レバノン大使:
あなたはいつまで日本にいますか。明日大使館の私のオフィスに来ていただければ、すべてお話します。
ラビア:
それでは、明日伺いましょう(笑)。
相馬:
思わぬ大使のご発言により、ライブ観溢れるトークになって参りましたが、ここで私が質問を続けるよりも、会場にいらした方から質問やコメントをいただけたらと思います。
観客2:
存在と不在の問題について質問があるのですが、イメージが存在を映し出すというのは当然のことですよね。私達はイメージに映っているものを存在すると認識しています。ではどうやってイメージが存在しないということを表現できるのでしょうか。例えばレバノンで起こったデモを撮った写真が、一種の不在を表しているとおっしゃっていました。でも私達がみると、ここにはデモを呼び起こすほどの悲劇的な出来事が存在したと思ってしまいます。その時にどうやって、写真が不在を表すのでしょうか。
ラビア:
まず初めに申し上げなくてはいけないのは、普段こういったトークの際に私は映像を使わないで話しています。実は今回は一種の妥協で、レバノンという馴染みの薄い場所へとみなさん招き入れるためにも映像を使ったのですが、それがこの質問につながったのだと思います。私は普段こういった形では、映像は使いません。作品の中で使うだけです。映像を使う際には、ニュースや報道で使われるオフィシャルの映像の中に、私達個人個人が存在していないということを表すために使用します。今レバノンでは二つの集団が対立関係にあります。一方は「9月14日側」と呼ばれる政府側の人々です。もう一つは「3月8日側」と呼ばれるシリアびいきのヒズボラやその他の人々です。私の立場はどこにあるかというと、私は「9月14日側」でもないし、「3月8日側」でもありません。しかし今のレバノンでは、そのどちらかに属していないと話しにすらならないとされています。その二つ以外の意見というのが、本当はあるはずですが、それはオフィシャルなイメージの中には、入り込むことすら許されません。例えばレバノンでは世俗派の存在が無視されています。私はどちらかと言えば政府側なのだと思いますが、それはもう一方に反対だからであり、政府を支持しているかと言われると、今のレバノン政府は宗教対立の罠にはまってしまっているところがあり、支持できるとは言えないのですが、そういったどっち付かずの私のような立場には居場所が与えられないわけです。また私とは違った立場でどちらにも属したくないという人もいるはずなのに、その人たちもまた公式なイメージの中には存在することを許されていないわけです。これは今の世界に共通する問題だと思っています。9.11の後にジョージ・ブッシュが演説で「我々の味方か、それともテロリストの味方か」と言いましたが、そう言ってしまった瞬間に、世界はそこで2つに分断されてしまうわけです。私にはブッシュの味方になるとはどういうことか、テロリストの味方になるとはどういうことか、さっぱりわからないのですが、こうした安易な二項対立が蔓延しているわけです。
以前発表したパフォーマンス『消えた官僚を探して』という作品では、ベイルートで行方不明になった人たちの写真を新聞から切り抜き、ノートに貼り付けて収集するところから始めました。レバノンでは内戦によって多くの行方不明者が出て大きな問題になりましたが、彼らは内戦とは関係の無いただの行方不明者です。レバノンはとても小さな国で皆お互いに知り合いなのに、なぜ彼らが行方不明になれるのか不思議に思ったわけです。その行方不明者の中に、ある財務省の官僚がいました。私はニュースでこの話を聞いて、彼の人生を追跡してみようと思いました。彼の記事が出てくる度にスクラップをするようになり、ノートは3冊にも及びました。この事件は最終的に、当時のレバノンで大変な政治問題に発展し、財務省から横領されたお金や切手の偽装など次々な事実が発覚していきました。毎日の様に新聞の一面に取り上げられ、政治家をはじめ当時あらゆるレバノン人がその事件と関わるほどの大事件に発展していく中で、私は半年間のスクラッピングをもとにした作品を作ろうと思い立ちました。
作品の中で、私は客観的に新聞の記事だけを読み上げる中立的な立場をとりながら、刑事のように事件を追跡していきます。舞台の真ん中に白い机と小さなスクリーン、その背後に大きなスクリーンが2つあり、私ともう一人の俳優が観客席の中に座っています。私の正面と頭上に一台ずつカメラがあり、正面のカメラは私を映し、その映像を机の上にある小さなスクリーンに映し出すことで、まるで私がそこに座っているかのように見えます。頭上のカメラは私が読むスクラップブックを撮り続けます。もう一人の俳優は膝の上にホワイトボードを乗せ、事件の経過を図にしていきます。それをまた別のカメラで撮影しながらもう一方のスクリーンに映し出します。そしてこの図は事件が進むにつれて、混沌さを増し、結局パフォーマンスは何の解決もないまま終わるわけですが、この事件に限ったことではなくレバノンで起きるこういった事件は、たいてい未解決に終わります。
ここで扱っているのは、テレビの生放送に関する問題です。私自身は上演中、ひたすら記事を読み上げています。観客は同じ客席にいる私の映像を舞台上で見るわけで、それはあたかも生放送のようです。ここで面白いのは、観客は振り返れば私がいることを確認できるのにもかかわらず、舞台上に映写された生の身体を持たない俳優のイメージを見るわけです。これは生放送がどういう力を持っているのかを問う作品だということができるかもしれません。生放送というのはやはりある力を持っていて、例えば深夜にサッカーの試合があれば、何人かの人はビデオ録画ではなく深夜まで起きて生放送を見るわけです。イラク戦争の始めとしてアメリカが行った爆撃を世界中の多くの人が生放送で見ているわけですし、私の住むレバノンでこの夏にあった爆撃の映像も私達は生放送で見ているわけです。私がこの作品でまず取り上げたかったのは、メディアが私達をいかに操作しているのか、ということです。もう一つ気がついて欲しいのは、私は一見中立に新聞記事を読み進めますが、実は何を読んで何を読まないか選択していて、決して中立とは言えないということです。そのほとんどは意図的ではなく必要性や目的のために自然に行われるにしろ、それ選択によって観客は常に操作されてしまっているわけです。この舞台のラストシーンでは、新聞記事を読み終わった後も私はしばらくずっとそこに座っていて、観客はパフォーマンスが終わっても、スクリーンに映った私を見続けることになる。しばらくそうしてじっとしていると、観客は一体彼は何をしているのだろうと、私の生身の体を振り返って見ようとします。ところがそこにちょっとした仕掛けがあって、その時には既に私は別の場所に移動して生放送をしているので、振り向いてもそこには誰もいません。そこで観客は、自分の見ていた映像が録画に切り変わったのはいつからなのか考えなくてはいけなくなります。私は生放送というのはどういうことかという問題を自分たちで考えてもらうためにこういうことをやっています。決して観客を騙して遊んでいるわけではありません。
相馬:
念のためにいうと、これは2003年に制作された作品で、これから私たちと一緒に作る新作ではないのですが・・・私は何度か拝見しましたが、非常にクレバーな作品でした。
さて、早いものでもう2時間が経過しましたので、そろそろまとめに入らせていただきたいと思います。シンポジウム終了後には、ホワイエでレセプションを設ける予定ですので、そちらの方に観客の皆さんにもご参加いただいて個別にお話をしていただければと思います。
今日は「存在と不在の間で」というタイトルでお話を頂きましたが、今度の新作もおそらくこの問題に触れるものになるだろうと思います。まだ決まっていないことも多いとは思いますが、今度3月に東京で世界初演する新作に向けて、豊富やキーワードを挙げて締めくくっていただけますか。
ラビア:
3月の新作も今日お話したレバノンの近代史に関わるものになると思います。
ただし今日私はひどく真面目な話をしたので、皆さんは私のことを真面目な人間だと思っているかもしれませんが、私は真面目な人間ではないので、かなり笑える作品になると思います。今日はどうもありがとうございました。
相馬:
もしかしたらみなさんは既に騙されていて、これは新作のパフォーマンスの一部なのかもしれませんね。本日は、長い間どうもありがとうございました。もう一度、ラビア・ムルエさんと通訳の藤原さんに拍手をお願いします。
撮影:松嶋浩平
文責:相馬千秋、阿部幸、米原晶子