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2008年02月16日

もくじ

ドルイド・シアター・カンパニー『西の国のプレイボーイ』公演詳細はこちら

「ドルイド・シング」について

J.M.シング 『西の国のプレイボーイ』(坂内太)
『西の国のプレイボーイ』劇評(深沢祐一)

『西の国のプレイボーイ』作品紹介
ジョン・ミリントン・シング
アイルランド国民演劇とシング
ドルイド・シアター・カンパニー
演出家 ギャリー・ハインズ

2007年03月15日

「ドルイド・シング」 について


ドルイド・シアター・カンパニーは、2005年の夏、シングの全6作品を1日で上演するという「ドルイド・シング」を発表しました。
不朽の名作『海へ騎りゆく者たち』から始まり、遺作『悲しみのディアドラ』で幕を閉じる全8時間にわたる上演は、シングの圧倒的な劇作の力を再認識させるとともに、「アイルランド演劇史上に残る偉業」(IrishTimes)という畏敬の念を込めた称賛を浴びてきました。

今回の『西の国のプレイボーイ』は、その「ドルイド・シング」の一作品という位置づけになります。

ドルイド・シングの特設ホームページ(英語)はこちら


ゴールウェイでの初演の後、ダブリン公演、エジンバラ演劇祭(英国)、リンカーンセンター・フェスティバル(アメリカ)などでツアーを行ってきましたが、中でも、シングがその戯曲のほとんどを書いたという、アラン諸島(アイルランド西部の小さな島)のイニシュマーン島での公演は、カンパニーにとっても特別な思いが込められたといいます。

ドルイドのメンバーたちがイニシュマーン島を訪れた様子を、アイルランドの美しい風景とともにご覧ください。

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ドルイド・シングのキャスト・スタッフ(全19名のキャストで、全公演を行います)

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ゴールウェイから船で渡ります

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左がギャリーハインズ、右がプレイボーイ役のエーロン・モナハン

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シングが滞在したコテージ

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シングが海を眺めていたという岩があります

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名優 マーリー・マレン

このイニシュマーン島での上演を含む、ドルイド・シングのメイキングは、「Mighty Talk: A Journey with DruidSynge」としてアイルランド国営放送で特集されました。

2007年03月06日

J.M.シング 『西の国のプレイボーイ』 坂内 太


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(c)Keith Pattison


主人公が口にする“shift(女性の下着)”という言葉が引き金となって、J.M.シングの『西の国のプレイボーイ』が観客席の愛国者たちから激しく罵倒されたのは、ちょうど百年前のことである。1907年はアイルランド史的には英国からの独立前夜であり、演劇にも国家の威厳を求めた観客たちがシングの奔放な人物描写とセリフに当惑したのも無理はない。未来の国家を想像する者たちが演劇という「現実のオルタナティブ」を理解し得なかったとは皮肉なのだが、時は「男らしさという物語」が膨張する武装蜂起前夜である。コミュニティの基盤である店を若い女性が仕切り、男の顔を張り倒す一方で、男たちといえば飲んだくれの小心者ばかりという劇の設定では物語の上下が逆さまで、暴動が起きても不思議ではないタイミングだった。もっともシング本人は、この暴動を、非日常が舞台から街へ繰り出す事態ととらえて浮き浮きしていたらしいのだが。

イプセンの『人形の家』(1879)では、覚醒した自我としてノラが家を出て行く。イェイツの『キャサリーン・ニ・フーリハン』(1902)では、ナショナリズムの幻影に陶酔した自我としてマイケルが家を出る。『プレイボーイ』(1907)で扉を開けて出て行くクリスティが特異なのは、幻影と覚醒が交錯するプロセスそのものを体現しているからだろう。『プレイボーイ』は、父親殺しという「英雄」的な幻影とナイーブな若者の現実という、「虚」と「実」を行き来する人物を描いている。そこで前景化されるのは、主人公の垣間見る幻影が、現実を変容させるポテンシャルを持っているという点である。

しかし、なぜ「父親殺し」が英雄になり得るのか?村娘たちは突然現れた、ただならぬ若者に狂喜する。ここに、ブライアン・フリールの『ルーナサの踊り』の、狂喜乱舞する女性たちが久しく罪悪視されてきたセクシュアリティを放埒に発散させるシーンを重ねることは可能だろう。また、父親による家庭内暴力や、聖職者たちによる児童への性的虐待が表面化してきた歴史的経緯を視野に入れてもいい。アイルランドで伝統的に強権を発しながら、その内実は巧みに隠されてきた「父性」の転覆と変容をもくろむ、いかにもカーニバル的なカオスが、暗黙の了解として劇中に埋め込まれているとも言えるからだ。いずれにせよ、現実が行き詰まった時に存在の別のモードを想像する魔力を発揮するのが演劇だと考えれば、フィクションが現実を変えるという『プレイボーイ』の筋書きそのものが演劇のメタファーであった。この劇の初演が現実レベルで暴動を引き起こしたのも、劇作家にしてみれば想定内の出来事であったかもしれない。

25歳の時、シングはパリにいた。フランス文学に陶酔したこの若きアイルランド人は、詩人イェイツの勧めに従ってアイルランドの最果てのアラン諸島行きを決意する。このあと彼は劇作の才能を爆発させ、わずか38歳の短命な人生で流星の様に光り輝いた。一昨年、演出家ギャリー・ハインズは、シングが滞在したイニシュマーン島の小屋に近い古代遺跡で彼の全作品を上演し、舞台と観客席に呪術的な時空間を作り出した。演出家とは古代ケルトのドルイド僧の如き者だとも言えようか。この呪術的で濃密な幻影の核に置かれたのが『プレイボーイ』だった。

主役は2003年、アビー劇場の『負けるが勝ち』にトリックスターの役どころでデビューし、目の覚めるような演技で絶賛されたエーロン・モナハン。寡婦のクインを演じるベテラン女優マーリー・マレンはドルイド・シアターの支柱であり、アイルランド現代演劇史に燦然と輝くトム・マーフィの『バリャガンガーラ』での演技で名高い。また、一昨年、『悲しみのデアドラ』で主役を務めたジェンマ・リーブスを村娘に配し、奇才ブレンダン・ビーアンの『奇妙なやつ』で名高いパイク・シアターのデリー・パワーを飲んだくれのパブ経営者に配するなど、脇役の布陣も入念である。そして東京公演でヒロインに起用されたのは、シェイマス・ヒーニーの『テーベの埋葬』やエウリピデスの『メディア』など過酷な状況に置かれた女性を力強く演じて、めきめきと頭角を現した実力派キャシー・ベルトンである。実はこの女優、2004年にアビー劇場の首席演出家ベン・バーンズが『プレイボーイ』のヒロインに起用して、彼女の大きな潜在力を活かしきれなかったという経緯があるのだが、今回の配役に演出家ギャリー・ハインズの不敵な自負を感じないでもない。


坂内 太(早稲田大学、表象・メディア論)

2007年03月05日

現代に通じる「家庭劇」 深沢祐一


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(c)Futoshi Sakauchi


 安酒屋の女店主がひとり、椅子の上で灯りの絞りをゆっくり開くと、狭い室内の漆喰壁には二重の陰翳が映える。書き物に十分な光を得たと合点し、女は用立ての書き物を続ける。

 ドルイドシアターの『西の国のプレイボーイ』はオリジナルテキストには無いこんなシーンから幕を開ける。漆喰壁に映る、仄かな光が作り出す極めてくっきりとした陰翳は、さながら虚構と現実、写実と騙し絵である。視線を下に移すと、用立てを書き綴る主人公、ペギーンの鬱蒼とした表情が眼に焼き付く。これから始まろうとするドラマのタブローたる幕開きである。
 承知の通りこの物語は、隣村から遥々逃げてきたというクリスティ・マーホンなる人物の、「父親を殺害した」というひとつの嘘が要になっている。片田舎のパブで、夕べの一献しか楽しみを知らないような村人は、この異人によるたったひとつの虚偽に色めき沸き立ち、たちまちクリスティは彼らのコミュニティの中で英雄に祭り上げられる。彼らの過剰なまでの煽動にはじめは当惑を隠しきれなかったクリスティ自身も、次第に増長し、酒場の娘であるペギーンと夫婦の誓いを交わす。ペギーンもまたクリスティは父親を殺したものとすっかり信じ込んでいる。しかし、土壇場でクリスティが「殺した」と宣言した筈の父親自身が、息子にかち割られた頭を包帯でぐるぐる巻きにした出で立ちで皆の前に姿を現し、散々に息子を罵倒する。事の次第を知ったペギーンと他の村人はクリスティに怒りの矛先をぶつけ、彼は文字通り村八分にされる。
 このように筋を述べると、この作品が一種の社会劇、風刺劇のような体裁を持っていることがお分かりいただけるだろう。情報に踊らされる大衆の愚鈍と滑稽さが生々しいまでの感情の吐露で謳われる様子は、初演から百年を経た今も尚、リアルな響きを持っている。しかし、今作はドラマツルギーとしては確たる構造を持ち得ている作品である反面、既視感のある登場人物の配置や時に大味にも思える劇言語が一種書き割り芝居のような印象を与え、それが作品から観客を遠ざける危険性を孕んでいる。だからこそ「大衆煽動」というようなテーマを提示した方が、今の観客には物語を分かりやすく提示することができるのである。
 しかし、演出のギャリー・ハインズは今作を政治劇としてではなく、あくまでも現代に通じる家庭劇として描こうとした。危険を承知でこの賭けに敢えて挑んだという所に、この演出家の面目躍如たる所以があるだろう。結果として本作はテンポの良いロールプレイとして生まれ変わった。この演出家が役者の芝居に全幅の信頼を置いているからこそ成せる技である。
 出演者の誰一人とっても無駄な仕事をせず、絶対的なアンサンブルを保っている点には正直舌を巻いた。そしてその役者たちの芝居の「感覚」のベクトルは、あくまでも現代の我々にむかっているのである。エーロン・モナハン演じるクリスティ然り、キャシー・ベルトン演じるペギーン然り、体のキレ具合や鬱屈した精神性の表現の手法は非常に現代的な感覚に裏打ちされており、その結果芝居の運び方が、ある種の様式を孕みながらもテンポ良くメリハリのある出来映えとなっている。圧巻は、漆喰壁に寂寥としたライトブルーの照明が映えるなか、この二人が違いの愛を確かめ合うところ。行く手を阻む者はなにも無いと確信している若者の契りは幼く、これからこの二人を襲う現実を知るだけに没頭してみることは阻まれる。ここに提示された運命の皮肉さこそ本作の傑作たる所以であろう。他に役者陣で特筆するべきは矢張りマーリー・マレン。肩をいからせながら登場し、村人をやっかむ毒味と、クリスティの正体を唯一知りながら彼をかばおうと躍起になる慈愛。対照的な感情表現を卒なくこなすその存在感に一日の長たる貫禄がある。少しでも演劇に関心のある人間であるならば、この出来映えに羨望し、嫉妬を覚えることは必須である。
 真実が判明し父親と命からがら故郷へと帰って行ったクリスティ。残されたペギーンは「たった一人の西の国のプレイボーイをなくしちまったんだわ」と本心を吐露する。スポットから浮かび上がった表情は悲痛そのものであるが、そこには幕開きの時には知り得なかった、自分にとっての「他者」の存在を知り得た女の成熟を俄に感じ取ることができる。幸福な終末とはほど遠い幕切れだが、喜・悲劇を超越した劇体験後のカタルシスに、会場は深く包まれていた。

2007年02月16日

『西の国のプレイボーイ』作品紹介


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(c)Keith Pattison


『西の国のプレイボーイ』は、アイルランドを代表する劇作家ジョン・ミリントン・シングの作品の中でも傑作といわれている。07年のダブリンでの初演の際には、その痛烈な風刺と皮肉のために、上演中に大暴動が起こるという前代未聞の事件を引き起こした。

笑いと暴力、ロマンスと現実、厳しいリアリズムとリリシズムが対置され、矛盾するいくつかの要素が混じり合い、対照をなしているこのドラマを、演出家ギャリー・ハインズ率いるドルイド・シアター・カンパニーはその悲劇性と喜劇性の精妙なバランスのまま成立させている。

『西の国のプレイボーイ』は、ドルイド・シアター・カンパニー創立時の初演目でもあり、劇団の代表作である。この作品は、断固としたリアリズムによって作品のセクシュアリティと暴力性を提示し、アイルランドの観客にシングを再認識させるのに大きな役割を果たした。80年代を通して再演され、国内外で様々な賞を受賞した『西の国のプレイボーイ』は、世界中から賞賛されている。

ジョン・ミリントン・シング John Millington Synge


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(c)Keith Pattison

19世紀末から20世紀初頭のアイルランド文芸復興運動の主要な担い手として、38年の短い生涯の間に、アイルランド文学史に不動の地位を確立した劇作家。

1871年、ダブリン市郊外のイギリス系アイルランド人支配階級の家系に生まれる。ダブリン大学を卒業した後、音楽と文学を志してヨーロッパ大陸を遍歴。パリ滞在中にイェイツと出会い、パリを離れアラン島へ赴くことを勧められ、98年から5年間にわたり、アイルランド西岸に位置するアラン諸島を訪れた。アラン諸島の人々と交流し、島の住民と同じような日常生活を過ごしたこの経験は『アラン島』にまとめられた。

アラン島における経験は、劇作家シングにとって重要な転機となり、島で見聞きした多くの逸話は、後に彼の芝居の萌芽となった。生涯の最後の6年間に、『谷間の蔭』(03年)『海へ騎りゆく人々』(04年)『聖者の泉』(05年)『西の国のプレイボーイ』(07年)『鋳掛屋の婚礼』(09年)『悲しみのディアドラ』(10年)の6編の戯曲作品を残した。

アイルランド国民演劇とシング

19世紀後半のアイルランドでは、イギリスからの政治的独立を求める運動が盛んになっていた。その一環としてアイルランドの文芸復興が叫ばれ、国民文学および国民演劇運動が起こった。それはアイルランド特有の文学英語を使用したアイルランド特有の文学を建設しようとする運動、そしてゲーリック語復興運動と密接に結びついていた。

1899年にマーティンとムアによってアイルランド文芸座が結成され、イプセンをお手本としたリアリズム演劇を展開した。創立者の1人として20世紀最大の詩人イェイツが参加していたが、彼はリアリズムではなく詩劇の復興を提唱し、アイルランドの方言に芸術的可能性を認めた。


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(c)Keith Pattison


やがてアイルランド文芸座が解散すると、1902年にイェイツとグレゴリー夫人がアイルランド国民劇場協会を創設した。イェイツとグレゴリー夫人は、アイルランドの伝統と生活に根ざした演劇を目指し、地方色ゆたかな農民劇や詩劇を発表した。その際、標準語ではなくアイルランドの方言英語を採用することになったが、その方言を文学に昇華した最高峰の作品がシングの戯曲であり、シング戯曲の中ででも最高傑作が『西の国のプレイボーイ』である。

ドルイド・シアター・カンパニー


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ドルイド・シアター・カンパニーは75年、アイルランドのゴールウェイ市を拠点として、演出家のギャリー・ハインズ、俳優のマリー・ムーレン、ミック・ラリーによって創立された。当時のアイルランドにおいて、プロの劇団がダブリン以外に拠点を持つのは初めての試みであったが、その後30年間にわたって、ドルイド・シアター・カンパニーはアイルランドにおける地域劇場の発展の先駆けとなっている。

ドルイド・シアター・カンパニーはその歩みの中で、ジョン・ミリントン・シング、ジョン・B・キーンやM・J・モリー、マーティン・マクドナーなどのアイルランド系の劇作家による戯曲の上演に取り組み、国際的な評価を高めてきた。


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96年には劇作家マーティン・マクドナーのデビュー作『ビューティークイーン・オブ・リーナン』をロイヤルコートと共同製作し、ゴールウェイで初演を迎えた後に、ロンドン、シドニー、ダブリン、ブロードウェイで上演を行った。この作品は4つのトニー賞を受賞し、演出家のギャリー・ハインズは女性として初めてトニー賞最優秀演出賞を受賞した。また女優のマリー・ムーレンは最優秀女優賞を受賞した。

演出家 ギャリー・ハインズ


アイルランドのロスコモン州に生まれる。University College Galway(現National University of Ireland, Galway)Drama Societyで学び、75年にドルイド・シアター・カンパニーを創立。75年から90年までドルイド・シアター・カンパニーの芸術監督を務めた。90年にアベイ・シアターの芸術監督に任命され、94年まで芸術監督を務めた。同年、再びドルイド・シアター・カンパニーの芸術監督に復帰した。また、ストラットフォード・アポン・エイヴォンおよびロンドンにおけるロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ロイヤル・エクスチェンジ(マンチェスター)、ロイヤル・コート・シアター(ロンドン)、シグネチャー・シアター(ニューヨーク)、セカンド・ステージ(ニューヨーク)、そしてゲート・シアター(ダブリン)で演出を行った。

80年にカンパニーと共同で執筆した”Island Protected by a Bridge of Glass” と”The Pursuit of Pleasure” がエジンバラ・フェスティバルでFirst Fringe賞を受賞。98年、マーティン・マクドナーの戯曲『ビューティークイーン・オブ・リーナン』を演出し、女性として初めてトニー賞最優秀演出賞を受賞した。翌年には同じくマクドナーの『ロンサム・ウェスト』を演出し、トニー賞にノミネートされた。02年Irish Times/ESBアイルランド演劇最優秀演出家賞を受賞。またギャリー・ハインズのアイルランド演劇への貢献は高く評価され、National Council for Education Awards(88年)、National University of Ireland(98年)、ダブリン大学(04年)から名誉博士号を贈られている。また05年の2月には特別貢献賞を受賞した。

TIFポケットブック
もくじ
mark_tif TIFについて
mark_sugamo 巣鴨・西巣鴨
mark_ort 肖像、オフィーリア
mark_america アメリカ現代戯曲
mark_atomic
mark_portb 『雲。家。』
mark_ilkhom コーランに倣いて
mark_familia 囚われの身体たち
mark_rabia 『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』
mark_druid 『西の国のプレイボーイ』
mark_becket ベケット・ラジオ
mark_regional リージョナルシアターシリーズ
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